59 きたないもんまでみせてよぜんぶ

――ドオオン!!!
傷口を開かないように彼女がわしの身体に付いた唾液を拭い始めた所だった。辺りに轟いた巨大な爆発音に、目付きを鋭くさせる。とうとうバスターコールで収集された軍艦からの集中砲火が始まったらしい。
、わしは良いから逃げ――」
逃げるんじゃ。そう最後まで言わせることなく、肌蹴させたわしの服をそのままに、はわしの身体を背中に担ぐ。何をしているのかと驚けば、彼女はわしの脚を床に引きずりながら廊下へと向かう。
一階で気を失っているジャブラを見下ろして彼女は、アリシアに彼を拾ってくるように指示を出す。彼女は表情には出さなかったが、とてつもなく嫌がっていることを雰囲気で彼女に伝えていた。しかし、それに構うことなく彼女はわしに訊く。
「カリファは?」
「何やっとるんじゃ、そんな時間ないわい!」
一連の流れを見て、彼女のしようとしていることを理解したわしは、彼女たちだけでも逃げるようにと伝えるが、これも先程の彼女と同じく全く構われていない様子。何て頑固なんじゃ。彼女の様子に敗けたわしは、少しでも協力して早く逃げ出す為に上の階じゃ、と告げる。彼女はそれに頷いて、手摺から上へと飛び上がった。
上の階について彼女の部屋を教えてやれば、素早く駆けて行く。彼女の部屋の壁に開いた巨大な穴から入り込めば、全身焦げたカリファが何故か下着姿で横たわっていた。
それに彼女ははっとしてわしの帽子を顎まで下げる。そんなことせんでも、カリファの下着姿なんぞ興味ないわい。と思うが、これはわしではなく、彼女への配慮なのだろう。
「連れて来ました……」
「ありがとう、アリシア」
むすっとした声が背後に響く。きっとあの女がジャブラを連れて来たのだろう、主に命じられたとはいえ律儀なことだ。はわしを一度床に下ろして、何かをビリッと破った。に怒られるかもしれないが、視覚を奪われるというのは致命的なので帽子を頭上に戻す。それで漸く彼女がしていたことが分かった。カリファにカーテンを巻きつけていたのだ。同じ女性としての、気遣いに苦笑する。カリファだとて彼女を裏切ったのに、あまりにも彼女は優しすぎる。
――ドオオン!!!
だが、そんな風に苦笑している余裕も無くなってきた。とうとう司法の塔に大砲が直撃した。しかも、よりによって、わしらのいるこの部屋に。これしきのことでくたばるようなことはないが、運が悪いことにこの階はわしが戦闘中に塔から切り離した部分にある。
ぐらぁっ、と傾く塔が亀裂を生んで滝へと落ちていこうとする。カリファを抱えたも、窓際にいたということも相まって、その重力に従ってその滝へと落下しそうになった。彼女の目が見開かれる。しかし、キッと目付きを鋭くさせ咄嗟にカリファをアリシアに向かって投げた。
一瞬後のことだ、彼女を投げたことで周囲への注意が散漫になったのだろう、上から落ちてきた大きな瓦礫がの頭を直撃して、彼女の身体はぐらりと傾く。
…!!!」
目を見開いた。こんな時まで、どうしては他人を優先するのか。入口付近にいたわしは、彼女の名を呼ぶことしか出来ない。ぐっと身体に力を入れて起き上がった。意識を失った彼女が建物と共に奈落へと吸い込まれていく。アリシアなら鳥になってを助けることも出来ただろう。しかし、今は彼女にとっては邪魔な存在でしかないジャブラとカリファを抱えてそれどころではなかった。アリシアは何か彼女に叫んでいたが、彼女にしか神経をやっていなかったわしには意味を持たない音でしかない。
彼女が2人を捨ててまで彼女のもとに行こうとしたその時、視界の端で空間が歪んで扉となったそこから険しい顔をしたブルーノが現れた。
「ッブルーノ!!頼んだ!」
それを確認してわしは痛む身体を叱咤して、奈落へと跳躍する。
――死なせるか。
折角、本来の自分を曝け出して彼女と接することができそうだったのに、漸くあの頃のように笑いあえる関係に戻れそうだったのに、それを奪わせてなるものか。
剃で彼女のもとまで飛び、手を掴んだ。そのままぐいっと落ちていく彼女の身体を抱き寄せる。ふわり、と彼女の優しい香りがわしの身体を包み込む。彼女によって塞がれた傷が僅かに開いて、血が滲むのが分かった。だが、決してこの身体を離さないと誓ったのだ。わしが、を守る。
「――カク!!」
「ああ!!」
塔が崩れ落ちるギリギリの所で、月歩でブルーノが開く空間に飛びこむ。その勢いのまま地面に転がった。ハァ、ハァ…。疲弊した吐息が上がる。傷も痛む。だが、何よりこの腕の中に彼女がいることに安堵した。
今日ほど心臓を酷使したことはあっただろうか。一度目は、彼女に恋をしたと自覚して。二度目は目の前で彼女を失いそうな事に恐怖して。こんなこと、今までに一度だってない。彼女を抱えて座り込み、ここにがいることを確かめるように彼女の身体を抱きしめる。ドッドッドと自身の心臓が恐ろしく早く動いていた。対して、彼女の胸から伝わる鼓動は正常で、息もしている。
――生きている。
彼女の無事に、二度目の安堵の溜息を吐いた。
あれ程先程まで殺気を飛ばしてきたアリシアも、腕を組んだ状態でこちらを睨むだけで今は何故か大人しい。わしを見て、何か言いたそうにしていたブルーノも、今はそれどころではないと判断したのだろう。残りの者を連れてくると言い、この空間から出ていった。
この空間から周囲を確認することが出来るが、惨憺たる状況だった。間を開けることなく次々に撃ちこまれる大砲に、火柱と煙が至る所から上がり、火の海と化している。
そこに、クマドリとフクロウを抱えてやって来たブルーノ。彼は2人を下ろしてまた急いで外へと向かう。残るは、ルッチ一人。彼はまだ麦わらのルフィと戦っているのだろうか。
「うっ……」
「ぐっ…」
同時にカリファとジャブラが目を覚ました。身体に蓄積した疲労から、気怠げに周囲を見渡してここがブルーノの空間の中だと気付いたらしい。次いで、わしに向けられた目が驚愕に見開かれる。
…!」
「テメェ、何でLILY抱えてんだ…!!」
一方は純粋な吃驚、もう一方はとアリシアに向けて敵意の籠った目で見やる。アリシアは彼のそんな視線を受けた途端に、大人しかった形を潜め殺意の籠った目で彼を見返す。ピリッと険悪な空気がこの空間を占めた。だが、わしにはそんなに体力が残っているわけでも無く、一度黙れと彼らを睨み付ける。
「お前らを助けたのはとこの女じゃ。手出しするなら、わしが相手になる」
「ハァ!?何で、LILYが俺たちを助けるんだよ!?メリットなんてねェだ狼牙!」
ジャブラは当然の如くわしの言葉に突っかかる。彼は一瞬でも彼女と戦ったから、彼女のことが信用できないのだろう。彼の発言を聞いたアリシアの額にピシリと青筋が浮かぶのが見える。彼女が暴れると拙い。何せ、彼女はこのメンバーの中では唯一無傷だ。の従者としてウォーターセブンで対峙した時は無抵抗だったから、実力などほぼ分からなかったが、この島にやって来てからの彼女の働きで、彼女の能力の高さは良く分かった。面倒は御免じゃ。そう思って、再びジャブラを説得しようと口を開くが、それよりも先にカリファが動いた。
「ねぇ、この子…どうして怪我をしているの?」
「…お前を庇って受けた傷じゃ」
しゃがみ込んで彼女の白い額から流れて間もない血を拭って、彼女の顔を覗きこむ。先程のの行動を、簡潔にまとめて彼女に伝えれば、彼女は眉を寄せて唇を噛み締めた。
「お人好し、すぎるわよ……!!」
「わしも、似たようなこと言ったわい」
それでも、はわしらと友達でおりたいんじゃと。加えて、が泣きじゃくりながら伝えてきたあの言葉を、カリファにも伝えれば、彼女はぎゅっと目を瞑った。ぐっと拳を握りしめて立ち上がり、くるりと後ろを向いた彼女の肩はかたかたと震えている。
――直感的に泣いているのだと分かった。彼女を見たジャブラが心なしかぎょっと目を見開く。
きっと、カリファも彼女が眩しい光を放っているように見えるのだろう。彼女は、愚かで、わしらの裏切りをただの喧嘩にして、許してしまった。とことんわしらに甘い。海賊の娘なのに、あまりにも優しくて素直な心を持った少女。
「ジャブラ、彼女…たちに手を出したら私も相手になるから、覚悟なさい」
「ハア!?」
涙で潤んだ目で睨み付けられた彼は、カリファの変わり様に納得できない様子だ。しかし、彼も面倒事は嫌いな性質ゆえ、ややして「分かった分かった、手は出さねェよ」とつっけんどんに承諾した。次第にフクロウやクマドリも目を覚まし、ブルーノも少し煙臭くなりながらもルッチを抱えて戻ってきた。ルッチの容態はこの中で一番酷いものだったけれど、心臓が動いていたことに皆して安堵した。あれだけ常にルッチへと突っかかるジャブラもこの時ばかりはほっと胸を撫で下ろしていたのを、皆が見ていた。
「ん…」
様」
周囲の喧騒に、声を上げた。そんな彼女を確認して、アリシアがいつまでベタベタと触っているのだ、と言うように彼女をわしの腕から奪っていく。目覚めた瞬間に、一番にわしを見てほしいと思っていたがそれは叶わなくなった。
「アリシア…?私…」
「頭を打ったのです、暫くお休みになられますよう」
ずきずきと痛むのだろう、額を抑える彼女にアリシアは慮るようにそっと手を当てる。そして、ちらりと鋭い目でわしを見てから、それはもう不承不承といった体で、彼女を助けたのはわしだと、今はブルーノの空間で匿ってもらっていると伝えた。彼女は、そうと頷いてゆっくりわしを見た。
「カク、ありがとう」
「あ、たり前じゃ」
意識がまだはっきりと覚醒していないからだろうが、ふにゃりとした笑みを向けられてどきりと心臓が跳ねた。照れた顔を誰にも見られたくなくて、すっと帽子を目深にする。彼女はそんなわしを不思議そうに見てから、少し離れたカリファに視線をやる。あ…と、どう話せば良いのか分からない不安そうな様子でカリファを見遣った彼女。カリファはそれを見て、すっくと立って彼女のもとまで歩いた。
警戒するように立ち上がったアリシアに、彼女は何もしないわと言う。
「少しでも変な真似をすれば、その首を刎ねる」
「お好きにどうぞ」
と目を合わせるようにしゃがみ込んだ彼女を冷徹な目で見下ろすアリシアに、彼女は冷静に頷いた。何なら、首に手を当てていても良いわよ。そう続けた彼女に、アリシアはギロリと睨むが手を出すことなく彼女たちを見守ることにしたらしい。
「カクから聞いたわ…私を助けてくれたのね」
ありがとう。カリファの言葉に、彼女は恐る恐る頷く。まだ、カリファの気持ちを推し量ることが出来なくて、どう返せば良いのか分からないのだろう。
ゆっくりとカリファが彼女の顔へと手を伸ばす。それに目付を鋭くするアリシアだったが、対しては全く無防備な様子で彼女を見上げるだけ。そして、ぐいっとの両頬を摘まんで引っ張るカリファ。はいひゃいと眉を下げた。それに黙りなさいと言うようにカリファが睨み付ける。
「私は、あなたに恨まれ、殺される覚悟をして裏切ったのよ。それなのに、どうして…そんなに簡単に許すの…」
ぐっとの頬を引っ張っていた手がゆっくりと離れて、少し赤くなった頬を包み込む。馬鹿よ。を罵る声は、通常のカリファであれば考えられない程に震えていて。覆いかぶさるように、彼女に抱き着いたカリファに、彼女は涙を溢れさせる。
「だって…無かったことにしたくなかったから…」
あの5年前の1カ月を。別れ際の指切りを。友だと言ってくれた者を、失いたくなかった。そっと、カリファの背中に手を伸ばして、縋りつくように徐々に込められていく力。
彼女からは見えないだろうが、わしからはカリファがぼろぼろと涙を流している横顔が見えた。
目が潰れてしまう程、眩しい。闇の中で生きてきたわしらには、彼女の優しさや純粋さはあまりにも眩しすぎた。反則だ。海賊など、討伐の対象でしかないのに。だけど、それを願ってしまう。欲しいと、望んでしまう。
敵同士であるのに、彼女だけがわしらの特別だった。愚かなのは、彼女もわしらも同じだった。
「私はあなたを、死ぬより辛い目に合わせようとしたのよ」
「…それでも、好きなんだもん…っ」
どうしようもないじゃないか、と泣く彼女にカリファはその身を掻き抱いた。今までの行いを懺悔するように、腕に力を込める彼女。はその抱擁を受け止めて、彼女を抱きしめ返す力を強くした。

立場だとか蟠りだとか、全部かなぐり捨てて愛してよ。
2015/04/09

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