53 目を背けることが、精一杯の抵抗だった。

 どさり、と床に倒れ込んだウソップとロビン。ああ、良かった。ロビンも一緒だ。だが、まだ安心はできない。彼らは私がウソップに担がれているのを知っていてわざと泳がせていたのかもしれないのだから。
駆け込んできた2人を見て一先ず安心したのか、サンジが私へと視線を下げる。
ちゃん、怪我はない?」
私を案じる彼に、大丈夫だと伝えたいのだが、この身体のせいで彼に頷くことすら出来ない。そんな私の代わりに、ウソップが私の状況を彼に伝えてくれた。そうか、と表情を険しくした彼は私を座席に横たわらせ、目付きを鋭くさせて第二車両がある方を向く。
だが、何かがこの車両を止めた。そしてぐいっと引かれて揺れる車内。どうやら杞憂では済まなかったようで、何かしらによって引き戻されたようだ。じわりと手の平に嫌な汗が滲む。やはりCP9がそう簡単に私たちを逃がす筈が無かったのだ。ここで何も出来ない私は、彼らにとってお荷物でしかない。
「そげキング!!ロビンちゃんとちゃんを死守しろよ!!」
後ろ向きの座席に横たわらせられたから、現状を見ることは出来ないが、サンジがルッチたちに向かったのが分かった。
――サンジ…!無茶しないで……!
CP9の実力がどれほどのものか知らないが彼らは暗躍機関だ。それなりに力はある筈。
何も出来ない自分が歯がゆい。今、ここで動けたらロビンを彼らに渡さない為に戦うことが出来たのに。
「ぎゃあ!!」
サンジが戦う一方で、ロビンの声とウソップの悲鳴が聞こえた。ロビンちゃん!?と驚きの声を上げるサンジに、彼女がウソップに攻撃をしたのだろうと推測した。
「何度言わせるの!?私のことは放っておいて!!」
焦った声音の彼女と余所見をしたことでカクから蹴りを受けたサンジの苦痛に悶える声が上がる。ガシャアアンと車両内の座席を大破しながら転がったサンジ。
――もう、やめて。もうやめてよ。
何も出来ない自分が悔しい。拳を握ることも、奥歯を噛み締める事すらできないなんて。
「せっかく逃げられるチャンスだろうが!!」
ふと、バキッベキッという破壊音と共にそう言ったフランキーとCP9たちの気配が遠くなる。まさか、彼は一人で?
その考えを肯定するかのようにウソップとサンジが彼の名を叫ぶ。嘘だ、何でそんなことを。フランキーという人物はよく知らないが、ロビンを助ける義理はあっても私を助ける義理はないだろう。なぜ彼は自分を犠牲にするようなことを。
しかし、折角フランキーが自分を犠牲にしてまでロビンを助けようとしたにもかかわらず、この事態にロビンは声を張り上げてルッチたちに訴える。私は逃げたりしない、と。その様子に、何がそこまで彼女を意固地にさせるのかと恐ろしささえ感じた。仲間が助けにきたのに、それを振り切ってまで敵の場所へ戻ろうとする彼女。彼女は何を捕えられているのだろう。
「政府の“バスターコール”って攻撃さえ何ときゃすりゃロビンちゃんがあいつらに従うことはねェ筈だろ!?」
「!!」
「その“バスターコール”が問題なんだ」
サンジの言葉にはっとした。“バスターコール”、その名前は聞いたことがある。しかしそれを深く考える間も無く現れた新たな声の主にサンジは蹴り飛ばされた。血飛沫を上げながら倒れ込んだ彼に、声にならない悲鳴を上げる。
――サンジ!!
だが、私の視界を覆うように現れた黒。この位置からだと顔を見上げることはできないが、服装からカクだと分かった。そう簡単に私を逃がす筈は無いと思っていたけれど、やはり無理だったのか。ああ、万事休す。
「LILYは先に連れて行く」
「ああ」
ぐっと私の身体の下に腕を入れて抱き上げる彼。その手付きは、あの頃のように丁寧で優しいもので思わず勘違いしそうになるのに、私を見下ろす目は温度を失っていた。もう、名前すら呼んでくれないの。
――やめて、そんな目で見ないで。ルッチだけでなく、彼にも冷酷な瞳を向けられなくてはいけないなんて。
冷徹な空気を纏った彼にぐっと胸を圧迫される。
…!!」
ちゃん!!」
後ろで私の名を呼ぶ二人の声が聞こえたけれど、私には返事をすることも彼らを視界に入れることもできない。ただ、無表情に前を向くカクを見上げて、涙を出さないようにすることしかできなかった。

――エニエス・ロビーに着いた。
列車から降りる際に、ブルーノに担がれる。カクとは違い、私の身体が彼の肩の上で揺れようが配慮はしないようだった。それに少し安心する。どことなく私に配慮しているカクといると、まだ彼が友人だった頃のことを思い出して辛かったから。
先にロビンが列車を降りると、彼女の美しさから周りの人間がざわついた。すぐ側ではフランキーがまだ暴れている。ブルーノに抱えられた私は動くこともできず俯いているからか、彼らに顔を見られなかったようだが、「あれが吸血鬼の王…」とロビンとはまた違うざわめきが起きた。
「意外に小さいんだな…」
「俺はもっと背の高い美人かと…」
ぼそぼそと話している役人たちの声は全てこちらに届く。酷く居心地が悪い。モビーにいた時は末妹としてよく注目されていたが、それとは全く違い嫌な雰囲気のそれに息が詰まりそうだ。
後ろ向きに抱えられている為、ブルーノに鎖を引かれて歩くフランキーの様子を少しだけ窺うことが出来る。周囲の景色を見渡すことが出来ないのは厄介だが、この頃になると少し口を動かせる程度には身体の自由が戻りつつあった。
『アリシア、今エニエス・ロビーに着いた』
『御意。私共ももうそろそろそちらへ着きそうです』
司法の塔に着くまでの間に、アリシアに連絡をしようとテレパシーを彼女に向ければ、彼女はすぐに応答した。彼女はどうやら海列車の速度ではもう待ちきれないのか、鳥になって向かいますと言う。私としてはそれはとても心強いけれど、ルフィたちはそれで良いのだろうか。
『オオグンカントリでしたら、海鳥ですし疑われないでしょう』
『分かった。気を付けてね』
彼女は既に飛行を始めたのだろう、少し返事が遅れたがまだ会話を続ける。どうやら私を助け出す作戦を伝えるらしい。
『私の最も優先する目的は様を助けることです』
だから、様もそれを納得してください。と言われ、すぐさま返事が出来なかった。ロビンと先程まで一緒にいて私の境遇を憐れんでくれたフランキーを見捨てて私一人が先に助かるなんていうのは、酷く薄情な気がして。しかし、彼女はルフィたちにそのことについて了承を得ているらしい。尚も、解毒剤を飲んでからなら自由に動き回れますと言われれば、頷く他なかった。確かに、こんな状態では確かに誰の役にも立たないどころか足手まといでしかない。
『CP9の長官がいるのは司法の塔だと思われるので、建物内に入ったらだいたいどの辺りにいるのか連絡をください。私は鼠にでも化けて入り込みます』
『うん』
私達が作戦を立てている間にもルッチたちはどんどん進んで行き、既に裁判所にまで着いている。そのことをアリシアに伝えれば、忌々し気に「早いですね…」と呟いた。しかし、彼女も既にエニエス・ロビーに着いたようだ。ここからは見えない場所で鴎になり、空を飛んでいくらしい。確かにその方が疑われずにすみそうだ。
――ガガガガガ…ドォン。大きな音を立てて橋が下ろされる。これを渡れば司法の塔なのか。ごくりと生唾を飲み込んで、覚悟を決めた。すたすたと歩く彼らは程なくして建物の中に入る。何度か階段を上ったことをアリシアに伝えると彼女は分かりましたと頷いた。
人の姿では見つかってしまうのでそこまで早くは動けないようだが、壁の隙間などを通り抜けて階を上がってきたらしい。既に私たちから10メートルも離れていない後ろにいると言われ、驚く。
『合図をしたら、その男が私に気付かないように気を逸らしてください』
『分かった』
筋弛緩剤を飲まされてから多少時間が経っているからか、身体は身動ぎする程度なら動く。この程度でもブルーノの気を逸らすには十分だろう。
気配もなく、一匹の鼠がこちらに駆けてくるのが見える。どうやらまだ私以外誰も気付いていないようだった。ドキドキと心臓が脈打って身体に緊張が走る。
『今です』
あと1メートルという所で彼女が合図した。私はブルーノの肩の上で身動ぎする。私の思った通り彼は足元よりも私に注意を向けた。その瞬間、足元にいた鼠が人間のアリシアへと戻り、私の身体を攫った。それと同時にブルーノの身体を蹴り飛ばす。


ドガァアンと壁に身体を減り込ませたブルーノに、わしはすぐさま振り返った。突然の奇襲に、頭より先に身体が動く。姿を確認するよりも早くその相手へと嵐脚を放った。しかし、それを軽々と避けた女。ギロリと鋭い視線を向けた先には旅のマントに身を包んだ金髪の女、の従者が彼女を抱えて立っていた。彼女は一瞬こちらに憎悪の籠った目を向けたが、を抱き上げたまま窓を蹴破り、瞬間的に巨大な鳥へと変身し彼女を背に乗せ裁判所の上まで飛んでいく。
「くそ!俺が行く!」
「いや、良い」
すぐにブルーノが月歩で彼女たちを追いかけようとするが、それより前にルッチが興味を失った様子で彼を見る。彼の言っている意味が分からなかったが、よく聞けば長官の命令ではLILYをエニエス・ロビーまで連れてくること、としか言われていないということだった。
確かにそうだ、だがそれはいったいどういう意味でルッチは言っている。これではまるで――。
「長官は運が悪かった、それだけだ」
「…そうじゃな」
割れた窓ガラスから裁判所の屋上を見やっても、もうそこにたちはいなかった。フランキーとニコ・ロビンを連行して先へと進む彼らを追って、わしも歩みを進めた。


2015/03/31
そこに情はないと、誰かが言った。

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