50 零れ落ちた真珠が、ぼくを責める

 黒光りする海列車の中に足を踏み入れる。エニエス・ロビーを離れて5年。漸く彼の地へ帰れるのかと思うと、少しばかり感慨深いが、この街もそれなりに好きだった。
を先頭車両まで運ぶ。ルッチたちは既に思い思いの席に座り足を組んでいる。それをちらりと見て、ニコ・ロビンがいる車両の扉を開いた。ガラリと開けて、彼女の斜め前の席まで歩く。一瞬こちらに視線をやった彼女だが、すぐさま窓の外に視線を戻した。
抱きかかえていたをそっと座席に横たわらせる。寝息が聞き取れない程に小さなものだったので、一応脈を計ってみると正常だった。
「…目を覚ましたら呼ぶんじゃ」
「ええ」
それだけ言って、自分の車両に戻る。
――もう、逃れられはしない。
汽笛が空気を振動させ、とうとう5年間住んだウォーターセブンを出発した。

 ココロに案内されてやって来た場所には、アイスバーグがいた。どうやら暴走海列車“ロケットマン”を整備していたようだ。二言三言言葉を交わす彼らを眺めながらも、一足早く海列車に乗り込む。
麦わらたちと一緒に行動するのは不本意だが、様を救出するならこの海列車に乗ることが、一番可能性が高い。しかし、更にこの列車に乗る人間は増えたようだった。元々乗り込んだ時に察知していた気配と、あのフランキー一家だ。あれ程麦わらの一味に迷惑をかけ、そして間接的に私を彼女のもとから引き離した人物たちが、一緒に連れて行ってくれと懇願しているのが、音として耳に入ってくる。
「乗れ!!急げ!!」
しかし、麦わらは過去の蟠りを水に流してそう叫んだ。ここまで懐が深いと最早呆れも通り越して感嘆する。彼らの状況を自分自身に置き換えてみても絶対に私は彼らを許しはしないだろう、むしろ、この場で殺していたかもしれない。
しかし、だからこそこの少年に様は惹かれたのだろう。今はここにいない彼女を思って、ぐっと拳を握りしめる。
――必ず助けますから、どうかそれまでご無事で…。


 ズキズキと頭が痛む。その痛みで、意識は徐々に覚醒した。頭だけでなく、身体全体が重い。否、身体が動かなかった。
「………」
唯一、とても重たかったが瞼だけは持ち上げることが出来て、ぼんやりとした景色を視界に入れる。ゆっくりと瞬きを繰り返せば、景色はクリアになり、私が今アイスバーグの屋敷とは違う場所の座席に横たわっていることが分かった。
眼球をゆっくりと動かして窓の外を確認すれば、雨が叩きつけられて時々波飛沫も上がっているのが見える。
「起きたのね」
「(ロビン?)」
私の前に腰を下ろしたのは、数日見ていなかったロビンだった。この空間に彼女がいるということは、彼女が私をここまで連れて来たのだろうか。彼女に事情を訊きたいが、いかんせん口を動かすこともできなくて、私はただ視線で訴えることしかできない。
彼女は私が目を覚ましたことを確認して立ち上がり、車両の扉を開けてどこかへ行って数秒もしないうちに戻ってきて、先程の席へ腰を下ろした。それと同時に目の前に現れる黒い塊。否、それは全身黒で覆われたルッチだった。
――ルッチ?どういうこと?これは、いったい…。
「何が何だか、といった様子だな」
私を見下ろして口を開いた彼に、身体を動かせたら驚きのあまりに目を見開いていただろう。初めて聞いた彼の声は、低すぎず高すぎず、妙に冷たい響きを持った男の声だった。私を見る彼の目に、眠る前のような暖かみは感じられない。加えて、平生の彼とは全く違う雰囲気に、私はどことなく嫌な予感がして。出来れば、耳を塞いで彼の言葉なんて聞きたくなかった。それなのに、彼は。
「俺たちはCP9だ。お前も、名前程度なら聞いたことがあるだろう」
――CP9。彼の正体を知って愕然とした。まさか、彼が政府の人間だったなんて。私も伊達にマルコやアリシアから教育を受けてきたわけじゃない。その名前は彼らが危険視していたリストの中に、しっかりと入っていた。造船会社の職人としてしか見ていなかった彼が、暗躍機関の一員だったことに、ぐっと胸を締め付けられる。
それでは、私が今ここにいるということは。徐々に動悸が激しくなって、絶望感が私を飲み込もうと口を開ける。
「俺たちの任務はウォーターセブンであることを成すことだったが、半永久的に与えられていた任務がある」
やめて、やめて。もう、何も言わないで。今すぐ起き上がって彼の口を塞ぎたい。だけど、私の身体は意志に反して動こうとはしない。まるで、大地に根を張った木のように。
――それは、LILYを探し出し政府へ差し出すこと。
冷酷な表情で、私を見つめる彼の瞳から逸らすことができない。鼓膜を揺らしたその言葉に、一瞬目の前が白く染まる。目を逸らしたかった、聴きたくなかった。だって、あなたは、私はあなたのことを友達だと思っていたのに。嘘だ、これはきっと夢だ。悪い夢。私の不安が作り出した夢に決まっている。
「カク、カリファ、ブルーノも俺の仲間だ。俺らとの友情ごっこは、もう終わりだ。今まで楽しかっただろう?」
口元を歪めて放たれた彼の言葉に鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。カクと、カリファ?そんな、ルッチだけではなく彼らまで。では、昨夜のことは、彼らとの再会は全て演技だったというのか。私だけが舞い上がって、あんなに嬉しくて、幸せな思いをしていたのか。その裏で彼らは私を、こうやって政府に連行するための策略を練っていたと。無知で愚かな私を哂っていたのか。
信じたくない、嘘、馬鹿、どうして。抑えきれない程の感情の波に襲われて、眦から涙が溢れた。
胸が痛い。心臓が押し潰されそう。喉が焼けるように熱い。ずっと、ずっと、私だけがあなたたちのことを友達だと思っていたのか。一方通行の思いを大切に抱えて、態々彼らに捕えられるためにここまで来てしまったのか。ずっと、信じていた。いつか、彼らに会いに行って、あの頃のように笑いあうのだと。再会した時には、今まで一緒にいなかった時を共有するように、お互いの話をするのだと。それは、私が思い描いていた夢。私だけが望んでいた儚い、願い。
それは、叶うはずもなかったということ。彼らにとって、私はただの任務の対象でしかなかった。優しくしてくれたのも、一緒に笑ってくれたのも、心配してくれたのも、お泊りしたのだって、全部、全部、彼らにとっては偽物だったのだ。
涙で歪んだ視界に、ルッチの黒がぼやけて映る。彼はそんな私を見下ろして、ゆっくりと立ち上がった。
「吸血鬼は馬鹿力だと聞くからな、筋弛緩剤を睡眠薬と一緒に飲ませた。暫くは話すことも出来ないだろう」
精々、エニエス・ロビーまで大人しくしているんだな。
そう去り際に言い捨てた彼は、私に視線を寄こすこともなく元いた車両に戻っていく。
――やめてよ、嘘だって言って。これは、私を驚かすための演技だったと。あの頃みたいに笑ってよ。ニヒルな笑顔だって良い、馬鹿にするような笑みでも良い。だから、私を捕えに来たなんて、嘘だって言ってよ。
嗚咽を出すことも出来ない身体の中に、ただ胸を締め付けるような苦しみだけがぐるぐると渦巻いて、今にも爆発しそうだった。

 よくよく考えてみれば、違和感を覚えることだってあった筈だ。ガレーラカンパニーの部外者である私をアイスバーグの傍に置かせたり、私の潜水艦をいつの間にか移動させたり、ルフィたちに会せないようにしたり。
あの時のカリファの涙も、気遣いも、全部私を陥れるためのものだったのか。
どうして、私はそれに気付かなかったんだろう。気付けば、まだこんなに苦しい思いはしなかった。彼らから逃げ出していたら、胸を抉られるような痛みも感じなかったのに。
ぼろぼろと零れる涙が座席を濡らしていく。愚かな自分を嘆いた。私がもう少しLILYとしての自覚を持って、用心深い人物だったら、今ここにいなかったかもしれないのに。
「ごめんなさいね…。私には、あなたを助けることは出来ないわ」
そっと、今にも消えてしまいそうな声で囁いたロビンが、私の前に腰を下ろす。そして、まるで壊れ物を扱うように、頬を伝う涙を綺麗な指で拭ってくれた。その手は、少し冷たい。
――ロビンはどうしてここにいるんだろう。とことん無知な自分に嫌気が差した。私は、何も知らなかった。知ろうとしなかった。これが、きっと罰なのだろう。知ろうとする努力を怠った、私への罰なのだ。
「私にも、あなたと同じように政府が欲するものがある。…それは、世界を滅ぼしかねないものだけれど、私の願いを叶えるためなの。あなたを助けないのも、私のため」
薄情な私を憎んで良いわ。そう言った彼女。だけど、涙に歪んだ視界でも分かる。彼女が、眉を寄せて何かに耐えているのが。止まることを知らない涙が、また一筋頬を伝って彼女の指を濡らす。
きっと、辛いのは私だけではない。彼女も何かを抱えている。それなのに、友達だと信じていた彼らに裏切られたことが悲しくて、苦しくて自分のことだけしか考えられない私は、本当に馬鹿で愚かな子供だ。
――醜い。そんな私を労わるように、頬を撫でてくれる彼女に何もできないなんて。
ごめんなさい、ロビン。薄情なのは、貴女ではない。本当に薄情なのは私。自分のことしか考えられない、愚かな子供を許して。


2015/03/25
無知な己を殺して。

inserted by FC2 system