47 愚かな少女を夜が攫う

 アクア・ラグナの警報が出されてから既に数時間。それに少し心配になって腰を上げて外を見やる。時刻は既に19時。外は紫色から濃い黒に変わっていた。風は強く吹き付けており、窓をカタカタと揺らしている。
潜水艦は大丈夫だろうか。それに、メリー号。アリシアからの連絡で、私がアイスバーグの傍を警護している理由は気を利かせてくれた彼女のおかげでルフィたちに伝わったことが分かった。それと同時に、ウソップが麦わらの一味を抜けてしまい、ロビンの行方もわからないということも。
――まさか、私がルッチたちと楽しく飲んで騒いでいる時に、そんなことがあったなんて思いも寄らなかった。
ウソップはどうしているのだろう。一人で、メリーと一緒にいるのだろうか。アクア・ラグナが来るというのに、たった一人で…。
昨夜の自分を呪った。あの時、ルフィたちを追いかけてフランキーから金を取り返していれば、今頃ウソップは麦わらの一味を抜けないですんだかもしれないのに。あの時の私は、久しぶりに会えた彼らと一緒にいることが楽しくて、ただ笑っていた。
「大丈夫かな……」
「あなたの潜水艦なら大丈夫よ。昨日カクが見ていたからガレーラの男たちに安全な場所に運ばせたわ」
思わず、ウソップを案じるあまりに口から出た言葉を、カリファは私が船を心配していると勘違いしたようだ。ウソップも心配だったが、あまりにも手際が良い彼らに目を見開く。
しかし、これで潜水艦がどこかに流れていくことを心配しなくて良くなったのも事実なので、ありがとうと言い再び椅子に座りなおした。昨夜は遅くまで飲んでいた上、早朝に叩き起こされたということもあり、今の私は目がショボショボしていて、つい目をごしごしと擦ってしまう。
そんな私の手を止めるように、アイスバーグが腕をそっと掴んで下ろさせた。ンマー、眠そうだな。そう小さく笑った彼にふるふると首を振る。彼の言う通り眠気に襲われつつあるけれど、私は彼を守らなきゃいけないのだ。こんな所で寝ては駄目。
瞬きをしてどうにか眠気を追い払おうとしている私のもとに、カリファが暖かなミルクティーを差し出してくれた。
「疲れたんでしょう、少しお茶でも飲んで」
「ありがとう」
カチャリと高価そうなカップを手にしてそっとミルクティーを口の中に入れる。普段より少し甘い味がしたが、きっと甘い物が好きな私のために砂糖を多めに入れてくれたのだろう。予想外に喉が渇いていたのか、一気に半分ほど飲んでしまった。
ふぅ、と一息吐いてカップとソーサーをサイドテーブルに置く。温かいものを飲んだからか身体がぽかぽかしてきて、余計に眠気が増した。うっ、まずい。既にぴったりとくっ付いた瞼をどうにかして持ち上げようとするけれど、彼らは何が何でも離れるつもりはないようだ。
「大丈夫だ。寝ておけ、
しかも、そんな私にカリファに聞こえないようにアイスバーグが囁くものだから、増々私は眠りの沼にずぶずぶと嵌っていく。アイスバーグに休めと言われたことが予想外にも私の中では効果覿面だったようで、それなら良いかと誘惑に乗っかることした。
『アリシア、すごく眠いの。暫く寝るね…カリファたちもいるから大丈夫…』
『はい、お疲れ様です』
何かあればテレパシーで――。そう途中まで彼女の声を聞いた所で、私の意識は闇へと落ちていった。

 職長たちよりも、誰よりも早くから俺を見守ってくれていた少女は、とうとう眠気に耐えられずに俺の布団にうつ伏せになって寝てしまった。一生懸命寝まいとしていたが、昨夜の飲み会と早朝からの警備に疲れたのだろう、仕方のないことだ。それに、少しくらいこうやって休んでくれた方が俺としても安心する。いざとなれば、外にはパウリー達職長だっているのだから、彼女がいなくても大丈夫だ。
「あら、この子寝ちゃったわ…」
「いや、そのままにしといてやれ」
ふと、が寝てしまったことに気付いたカリファが、彼女を起こそうと肩に触れようとするがそれを制止させる。彼女も俺が言いたいことに気付いたのか、そうですねと言っての身体が冷えないようにと肩掛けをかけた。
「カリファ……少し外してくれるか。そしてパウリーを呼んでくれ」
はどうされます…?」
彼女は俺の言葉に何も言わずに頷いた。本当に、こんな風に空気を読んでくれる彼女は優秀な秘書だ。世界を回ったってここまで優秀な秘書はいやしないだろう。
チラリと腕を伸ばせば頭に触れられそうなのことを見やる。よく眠っているようだった。これなら大丈夫だろう。そう思って、そのままで良いと言う。彼女はそれに頷いて、外にいるパウリーを呼びに行ってくれた。
「どうしたんです、アイスバーグさん」
「ああ…」
静かに部屋に入ってきたパウリーは、俺のすぐ側で眠っているを見て苦笑した。コイツ、寝やがって。その彼の呆れたような言葉とは裏腹に、彼の表情は久々に穏やかなものになっている。そこにがいるとパウリーが座れないからと、あっちのソファに寝かせてやれと言えば、彼は頷いて彼女を起こさないように静かに運んだ。
――本当に、彼女は愛されている。
5年前の、それもたった一カ月しか共に居なかったというのに、その短い期間でこれだけの人間に好意を抱かせた。俺やカリファは忙しくて彼女に会えた日数はパウリーたちに比べたら少ないだろう。しかし、それでも尚心のどこかに残っていた彼女の存在。海賊だというのに、可愛い娘。
悪いことをしたと思う。彼女はきっと、今でも麦わらたちを信じている。そんな彼女を彼らから引き剥がして俺たちのもとに縛り付けて、これではどっちが海賊か分かりゃしない。
しかし、そんな思考もパウリーが椅子に腰かけたことによって、終わらせる。これから言うことは、彼の命を危険に曝すかもしれない。選ぶ言葉を間違えれば、俺だけでなく彼も危ない。

 何か得体の知れない胸騒ぎがした。先程から、何度もテレパシーで様に連絡をしているというのに、応答がない。普段の彼女なら眠りが深い時でも、三回呼べば目を覚ましていたのに。だから、麦わらの一味がガレーラカンパニーへ行くのに付いて来た。
海賊たちの襲撃に備えてガレーラの男たちがありとあらゆる場所に配置されているのは圧巻だった。この中で、彼女の身に何か起きている。傍には彼女が“友人”だと言ったあの男たちがいるが、私は彼らをあてにしていなかった。どうにも、人間は信じられない。吸血鬼間でも中々信用できる者がいないのに、人間を信じられるわけがなかった。
今は木の上で麦わらたちは作戦を立てている。私はそれに聞き耳を立てながら、どうやってアイスバーグの寝室まで行こうかと思考を巡らせた。鼠一匹取り逃がさないと殺気立っている男たちの中に入れば、いくら私が猫の姿をしているからといって、見逃してもらえることはないだろう。ふと、隣を見れば麦わらがぐっとアイスバーグの屋敷の方に腕を伸ばしているではないか。
――この小僧!!馬鹿か、また考えもなしに!!
思わず彼に向かって腕を伸ばす。しかし、今の私は猫の姿だ。人間の姿だったらまだ止められたかもしれないが、猫の腕ではどうやったって、伸ばした爪を彼の服にひっかけて共に飛んでいくしかなかった。
その上飛ぶ方向を間違えたのか壁の間に挟まった彼。私は直前にジャンプをして彼の顔の上に乗っかっていたから彼にぶら下がるということはなかったが、この考え無しの馬鹿に腹が立って鋭い爪で彼の顔を引っ掻いた。
「いは!!いはい!!」
何でお前まで一緒に来てるんだ?不思議そうな顔で私を見上げる彼に、早くここから脱出しろとばかりに爪で口を引っ張る。そうすれば彼は分かった分かったと慌てた様子でズリズリと壁から出ようと奮闘する。
五分程経ったであろうか、その間にも屋敷内が騒ぎ始めたことから既に剣士たちも屋敷内を走り回っているのだろう。しかし、それだけではない気がした。風に乗って火と火薬の臭いが漂っている。その上爆発音まで聞こえ出した。もしかして、真の暗殺者たちも動き出しているのか。
そして漸く壁の隙間から脱出した彼に、毛を逆立てて急かす。焦ってんのはお前だけじゃねぇよ!と彼は私を肩に乗せて、今度こそアイスバーグの屋敷に飛んだ。
しかし、私は直前で気付いた。このクソガキが飛んだ方角から考えるに、このまま直線に行けば壁に激突する。この少年はゴム人間だからぶつかっても大丈夫だが、出来る事なら私はぶつかりたくない。なので、私は壁に彼がぶつかる直前に、彼の背後に飛んで爪を彼のズボンにひっかけてぶら下がった。それと同時に大きな音をさせて壁に突っ込んだ彼。私はそんな彼の背中に飛び乗って、中の様子を察知しようとした。
声はくぐもって聞こえにくいが麦わらを合わせて4人いることが分かる。そのうちの一人はパウリー、とかいう名前だった筈だ。
――嫌な予感がする。
麦わらが動く気配と、中の何者かが殺気立ったのを察知して私は人間の姿に戻り屋根へと飛び上がった。直後、亀裂が入った壁。どうやら、戦闘が始まったようだ。ここで彼を助けることもできたが、彼なら自分で何とか出来るだろう。というか、そうしろ。彼のことを瞬時に切り捨てて私は赤い瞳を持った王を探すことにした。
「早く、様のもとへ向かわねば」
今もずっとテレパシーで彼女の名を呼んでいるにもかかわらず、彼女は返事をしない。確実に、彼女はこの混乱の最中に巻き込まれている。それが、ただのアイスバーグ関連のことなら良い。だが、もしLILYとしての彼女が狙われていたら…。そう思うといても立ってもいられなかった。
ドゴッと屋根を破壊して屋敷内に入り込む。ここは4階か。確かアイスバーグの寝室は3階だった筈。階段を探していくか、それともこの床をも破壊して強行突破するか。二つの選択肢に迷ったが、この下に先程の暗殺者らしき者たちがいたら厄介だ。私の優先すべき目的は暗殺者を倒すことではなく様を守ることだから。床に耳を当てて、下から声がしないか確かめる。数秒気配を探ったが、誰もいなさそうなので踵落としをして3階に降り立った。
扉を開けて、アイスバーグの寝室はどっちだったか思い出そうとする。この屋敷は無駄に広くて、もし逆の方向へ行ったらやっかいだ。時間のロスになる。
扉から出て左の方へ視線を向ければ、そこから聞こえる麦わらの声。どうやら死んではいないようだった。仕方なしにそちらへ足を向ける。パウリーの声も聞こえたから彼に案内してもらった方が早い。
急いで猫の姿になって彼らがいる部屋に向かう。開け放たれた部屋に入れば、金属の輪で床に縫いとめられた麦わらが丁度そこから脱出するところだった。
「あっ、猫!どこ行ってたんだよ!」
私のことはどうでも良いとばかりに不満気な声で鳴けば、彼はそうだったとパウリーを拘束している輪を外していく。良く見ればこの男、血まみれだ。丁度良い、彼の傷口を舐めて血を少しばかりもらおう。彼も傷口が塞がるから一石二鳥だ。
丁度麦わらが彼の腹を拘束している輪を取り除いたので、私はぴょんとパウリーの身体の上に乗って、一番傷が深そうな胸をぺろりと舐めた。猫の舌の感覚が傷に障ったのか、ウッと声を上げる彼。人体に穴を開けるなんて大したものだ。増々あの暗殺者たちを彼女に近づけさせてはならない。漸く全ての輪を取り除いた彼らに、早くしろ!!とばかりにドスの利いた声で一鳴きした。


2015/03/19
失うわけにはいかない。

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