45 流れた血が示す悪

 駆け付けたガレーラカンパニー本社のアイスバーグの自室は、酷い有様だった。床には彼の血痕らしきものが幾重にも重なり、吸血鬼の嗅覚も相まって噎せ返る程の血の匂いで充満している。隣の寝室では包帯を巻かれた彼がベッドの中で眠っているようだった。
どうやら一通り治療は医者に受けて、今は目が覚めるのを待っている状態のようだ。医者は山場は乗り切ったということで、更に必要な医療器具を持ってくるために一度病院へ戻っているらしい。私は傍に控えたナースの女性からそう言われて、一先ずほっと溜息を吐いた。だけど気は抜いてはいけない、いつ彼を殺そうとした暗殺者がやって来るか分からない。
第一発見者である清掃員の男がカリファから事情を訊かれている。私はそれにちらりと目をやって、なるべく音を立てないようにアイスバーグが寝ているベッドの横に椅子を持って来て座った。
「アイスバーグさん……」
彼は誰かに恨みを買うような人物ではない。私は5年前の彼しか知らないけれど、あの頃から彼は誰にでもフレンドリーで優しくて、社員皆から好かれて尊敬されているような人物だった。そんな彼にいったい誰が、こんな酷い事を…。
顔を青褪めさせ、しっとりと汗をかいている彼の顔を、そっとハンカチで拭う。どことなく、あの時の、植物状態になってしまったサッチと彼が重なって見える。駄目だ、そんな考えは捨てろ。ぶるぶると頭を横に振って、嫌な考えを頭の中から追い払う。
大丈夫、アイスバーグさんは絶対に目を覚ます。それまで私が彼を守るんだ。もう、絶対に、大切な人を守れないなんてことがあってはならない。
 職長たちには7時を過ぎたころに漸く連絡が取れ始めたようだった。カクたち以外の職長たちもどうやら昨晩は飲んで騒いで爆睡していたらしく、電伝虫の音に気付かなかったようだ。まず、一番に来たのはルルとタイルストンだった。カリファから説明を受けた彼らは、大声を出してアイスバーグの身体に障るかもしれないという理由から部屋の中に入れてもらえないようで。そんな彼らに申し訳なくて、私も扉の外にいると言い彼らと一緒にいることにした。
「ん?お嬢ちゃん、確か…」
「白ひげ海賊団の。5年前に船を修繕してもらっ――」
「ああ!!!あの時の娘か!!!大きくなったな!!」
どうしてここに部外者が。そういう目で見てきた彼らに自分の正体を明かせば二人とも思い出したのか納得の表情をする。しかしタイルストンの声は大きすぎてルルに殴られていた。私はあの頃、彼らの元でも作業を見ていたのだが、どうやら思い出してくれたようだ。ああ、良かった。
私を思い出してくれたようで、私がカリファに呼ばれてここに来たと言うことを話せば、彼らは神妙な顔付きで助かったと礼を言う。
「俺たちがいない間アイスバーグさんを見ててくれてありがとう」
「ううん、私もアイスバーグさんのこと好きだから」
ルルは私の頭をわしゃわしゃと撫でた。タイルストンは先程五月蠅いと言われていた為口を開くことが出来ずに、黙ってうんうんと頷いている。
次第に、外が五月蠅くなってきた。どうやらアイスバーグが暗殺されそうになったことを知った市民たちが心配して本社に押し寄せてきているらしい。ルルは未だに連絡がつかないパウリーに電話をかけると言って少し離れた所に向かった。
徐々に社員たちも現れ始めた中、急いだ様子でやって来たのはカクとルッチだ。2人とも今までにないくらい強張った表情でアイスバーグの部屋の中に入っていき、少しして彼の容態を確認して出てくる。しかしルッチはまだ室内に残ってカリファと共に医者の話を聞いているようだった。
、カリファから聞いた。ありがとう」
「良いの、これくらい」
はあ…と大きく溜息を吐いたカクは背を壁に預けて心臓が止まるかと思ったわいと呟く。彼はそれで気持ちを切り替えたのか、顔をぱちんと両手で叩いた。
「ちいとルルの所に行ってくる」
「うん」
先程よりいくぶんか穏やかになった彼の表情を窺って、私は頷いた。皆、アイスバーグのことが心配でならない。そう、誰もに好かれている彼。そんな彼を守らなければ。床に座り込んだタイルストンと共に、私は神経を尖らせてぐっと拳を握りしめた。

 アイスバーグが目覚めたという報せは、それから2時間後のことだった。その頃にはもうパウリーもやって来ていて、皆して強張っていた表情が一気にほっとしたものに変わった。
ああ、良かった。あれだけ血を流したようだったから、本当に心配だったのだ。私は部外者なので、とりあえず先に職長たちにだけ行ってもらおうと思って、窓に寄りかかる。
「何してんだ、お前も来いよ」
「えっでも、私」
そんな私に気が付いたパウリーがぐいと私の腕を強引に引く。私の言いたいことを察した彼は良いんだと言って、私も彼の自室に入れられた。そんな彼の行動に思わず口元が緩む。ここまで、私のことを信頼してくれているなんて。たった一カ月、そして昨夜共にいただけで、私という存在を認めてくれている彼らに、感謝した。
パウリーがアイスバーグの隣に腰を下ろし、本当に目が覚めたことに安堵している様子で今は休んでくださいと彼に伝えていた。私はそんな彼らのことを壁に寄って静かに眺めていることにする。
後で、私も彼に挨拶しよう。そう思っていると、まだ容態が改善しているわけでもないのに、昨夜の犯人のことを口にした彼に耳を欹てた。
――2人いた。一人は仮面をかぶった大男で、もう一人は黒髪で長身の女。
彼が昨夜の出来事を思い出すように告げるその言葉に、ごくりと唾を飲み下す。犯人が分かれば、対処しやすい。そう思っていたのに。
「あの鋭い瞳は…おそらく、ニコ・ロビン」
予想外の名前を出した彼に目を見開いた。ロビン?嘘だ、そんな筈はない。ガタリ、と音を立てて体制を崩した私に全員の視線が向く。その中には当然アイスバーグのそれも含まれていた。
頭が真っ白になった。ロビンがアイスバーグさんを撃った?ルフィの、仲間であるロビンが彼を?どうして、だって彼を殺そうとする意味が分からない。それに、たった数日間だけだったけれど、共に行動した彼女がこんなことをするとは思えなかった。わなわなと震える唇。緊張や信じられないという気持ちから口の中は徐々に乾き始めて。
「うそ…ロビンはそんなことする人じゃないよ…」
かぶりを振って、アイスバーグに見間違えではなかったのかと訊ねる。しかし、彼は無情にも確かにあの女だったと言うではないか。信じられない、信じたくない。そんな気持ちで彼らを見つめる。ぼうっとして思考の渦に巻き込まれた私を放って、彼等は昨日のルフィたちの話を始めて既に彼らを犯人だと決めつけているようだった。
「私、皆の所に行ってくる…」
とにかく、ルフィたちに、できればロビンに話を聞きに行きたい。でなければ、正しいことが何一つ分からないではないか。そう思って扉に向かえば、それを防ぐくようにカクとルッチが扉の前に立った。何、どうして。
「今あいつらに会いに行くのはやめとくれ」
「お前を疑いたくない」
じっと、強張った表情で告げる彼らに、私はこの状況を理解した。彼らは、ルフィたちと今まで一緒に行動してきた私のことも、可能性として視野にいれているのだということを。だけど、疑いたくない、信じたいのだと。
口の中にはもう飲み下せる唾液などない。足元でアリシアが徐々に毛を逆立てていた。私は、どうすれば…。ルフィとは、兄弟の杯を交わした。それは、私にとっては血の繋がりがなくても彼が弟であることを表している。そんな彼の仲間たちを放っておいて、ここにいるのか。でも、出ていけばきっとガレーラは私のことも疑わざるを得なくなる。
「お前と麦わらの一味は違う。一カ月、俺たちと共に居たお前を信じさせてくれ」
アイスバーグまで、そう言う。私と、ルフィたちの違い。それは、私があの頃に毎日毎日飽きもせず一日中彼らの仕事を見て、交流して私のことを知ってもらったということ。そして、彼らが友達だと言ってくれたこと。
じわじわと手の平に嫌な汗が噴き出す。
私は、私は…。ルフィ達とここでの友達。天秤がぐらぐらと傾いて、二日酔いで頭痛がする頭がパンクしそうだった。
、お願いよ…」
しかし、カリファが流した涙を見てしまえば、もう駄目だった。ぎゅっと握りしめて白くなった指先、泣き腫らして赤くなった目元。もう、駄目だ。そんな彼女を見て、出ていけるわけがなかった。
「泣かないで、カリファ。私、ここにいるから……」
――許して、ルフィ。あなたたちを守れなくてごめんなさい。薄情な姉でごめんなさい。何も策を思いつけない、愚かな私を許して。
そっとカリファの元まで近づいて、固く握り締められた手を解していく。彼女の手は冷たくなっていて、私の熱を分け与えるようにその綺麗な手を包み込んだ。


2015/03/19
友と弟たち。どちらも大切なのに、一つしか選べないなんて。

inserted by FC2 system