43 束の間の安寧に包まれて。

 今まで期待に満ちていたルフィとナミの表情に曇りが差した。いったいどうしたのだろうか。そう思いながらも、外に出ていくことはまだ出来ない。ルフィとアイスバーグが険しい表情で何かを話している。ルフィは大口を開けて抗議していたようだけれど、私は読唇術を使えるわけでもないので、彼らの会話を想像することしかできなかった。
――もしかして、修理できないのかな。
一抹の不安を感じながらも彼らを見守る。途中、政府の役人が来て、アイスバーグが対応しているのが見え、万が一の時の為に外から見えないように窓際から離れた。
『こんな所にどうして役人が…』
『確かに。見つかったらやっかいですね』
アリシアも、猫の姿であるにもかかわらず、表情豊かに顔を顰めて窓の外をちらりと見やる。暫く待ってみて、窓の外を覗いてみると、そこにアイスバーグと政府の男たちはいなくなっていた。別の場所に移動して話しているのだろうか。
「ん?」
ふと、何故か分からないが突然走り出したルフィと、その後を追うように駆けて行ったナミが視界に入る。2人ともかなり焦った様子で、もしかしてまた何かあったのかと事務室を飛び出した。
すぐ側に佇んでいるルッチたちの所まで走って、どうしたのかと問う。
「あ?何かケースの中の金が無くなってて、おまけに一緒にいた鼻の長い男がフランキー一家に連れ去られたらしくてな」
あー…と先程の彼らを思い出すようにして、パウリーから告げられた言葉に先の男たちを思い出す。一度私たちが退治したにもかかわらず、また襲撃するとか。しかも、一番非力そうなウソップを狙うなんて。彼らの汚さに苛立ち、ぎりと拳を握る。
「じゃが、お主には楽しんでくれと言っていたから追わんでも大丈夫じゃろ」
私の内心を読んだかのようなカクの言葉に、一応「そう…」と頷く。しかし、私はアリシアにテレパシーで率直な気持ちをぶつけた。
『私も追いかける』
『駄目です。フランキーという男がどれくらいの実力者か分かりません』
すぐにでも彼らを追いかけて、ウソップの無事を確認したかったのだが、私の安全を第一に考えるアリシアが許してくれそうにない。それでも、ウソップを助けるだけだから、とか、戦わないで逃げる事だけ考えるからと彼女を説得し続けると、彼女は深い溜息を吐いた。
様が行くことは許可できませんが、代わりに私が見てきます』
『…うん、分かった。ありがとう』
きっと、彼女は100歩譲ってこの選択肢だったのだろう。本当なら私自身が出ていって彼の無事を確かめたかったが仕方ない。アリシアは私をここに一人置いて彼らのもとに向かうと言ってくれたのだから。彼女は、では何かあったら連絡してくださいと言い、なるべく自然に私のもとから離れてドッグの外に向かった。
「おい、良いのか?お前の猫どっか行ったぞ」
「うん、きっと散歩だよ。大丈夫、あの子頭良いから船までなら帰れるし」
ずっと黙りこくっていた私を心配したのか、パウリーが私の顔を覗きこむようにして訊いてくる。それに頷きながらも、私はウソップの無事を祈った。


 全く、なぜ私が様のもとを離れてあの人間の子供たちを探さねばならないのか。本来であれば、私は彼女のもとから片時も離れるつもりなどないのに、彼らのせいで彼女を一人にしてしまった。しかし、ああでも言わない限り彼女は自ら麦わらたちを探しに行くところだっただろう。彼女は誰に似たのか、どうにも頑固な所がある。特にその傾向は仲間や家族、友人相手に強く現れる。それゆえ、渋々安全そうな場所に彼女を残してきたのだ。
路地裏の物陰に潜んで、そっと猫から人間の姿に戻る。日の光をなるべく浴びないように目深にフード付きマントで隠し、屋根へと飛び上がった。そしてきょろきょろと航海士の女が駆けて行った方向辺りに目を凝らす。
すると、遥か先の水路を彼女がヤガラブルに乗って進んでいるのが目に入った。
「行くか」
音を立てず、人の目につかないような俊敏さで屋根の上を走って、彼女のもとへ向かう。その最中に、どうやら彼女は長鼻の小僧を見つけたようだった。高い位置からだと視力の良さも相まって良く見える。一分も経たないうちに彼女に追いつき、屋根の上でまた猫の姿に戻って、彼らを見下ろした。
彼の様子は悲惨なものだった。顔も身体も何度も殴られ蹴られた痕が残り、血を流している。可哀想に、と思わないこともない。だからと言って、彼らを進んで助けようとは思わないが。人間に憎しみを抱いている私にしてみれば、僅かでも憐憫の情を抱いたことの方が驚きだった。きっと、様が友人として大事にしているからだろう。
しかし、そんな彼女から彼らを守るように言われていても、私は彼らの命が脅かされない限り正体を明かすことはしないだろう。なぜなら、私が守らなければならないのは彼女だけであり、そのために猫として周りの人間を欺いているのだ。彼女の友人とはいえ、彼らを助けるために易々と変身を解いてしまったら意味が無い。
その上、これしきのことであれば、まだ自分たちでどうにか出来る筈だ。この小僧だって、きちんと手当をすれば命に関わるような傷でもない。そう判断して、彼らの行動を見守るだけにする。
「ちょっとあんたら!!見世物じゃないって言ってんでしょ!!?」
航海士がそう叫んで、ひとまず船へ戻るために少しの間彼をこの場に置いていくことにしたようだ。私は、怪我をしていない彼女よりも、ボロボロの状態の彼を監視していることにする。彼女なら、それなりの事態にも対処できるだろうと。
一先ず、日光が当たる屋根の上からではなく、下の影がある場所で彼を見ていようと、するりと地面に飛び降りる。そしててくてくと彼のもとに歩んで行けば、ふらふらと立ち上がる彼。
「(何をするつもりだ…?)」
彼が立ち上がったことで、野次馬たちは大丈夫かと囁き合うが、彼はそんな声を気にせずに先程誰かが言っていたフランキー一家がある方向へと足を動かし始めた。まさか、この傷付いた身体で金を取り戻しに行こうと言うのか。彼の責任感には共感できるが、だからと言って今この状態で行ってもまた彼は返り討ちにされるだけだ。この場でじっとして加勢を呼んでくる彼女を待った方が良いに決まっている。
「金…メリーを、直す金だ……」
――馬鹿な男だ。そう思った。しかし、彼がどれほど船を愛しているのかは伝わってきた。私には想像することも難しいが、彼らにとってあの船が何らかの理由から特別であることは窺える。
私は日陰を選びながらフランキー一家に向かう彼に付いて行った。しかし、流石に岬にまで行くと日陰がないことから、一番近い家の上に飛び乗って彼の様子を眺める。
彼は火薬玉を妙なデザインのアジトに向かって投げつけ、扉を破壊した。そして、モクモクと上がる煙が収まってからその中に足を踏み入れた彼。
きっと、今以上にボロボロになって戻ってくる。甚振られて、金を奪い返せずに放り出されるだろう。私はそれを想像しても何も思わない筈だった。しかし、あの赤い瞳を持った少女がそれを聞いた時に、きっと悲しむだろうと思ってしまった。


 夕方に、アリシアは帰ってきた。それまでにテレパシーでウソップの状態とルフィたちがフランキー一家を壊滅させたことを聞いていた私は、沈んだ面持ちで彼女を迎える。
『我が侭聞いてくれてありがとう』
『いえ』
彼女の話では、ウソップは重傷だったようだが命に関わる状態ではないらしい。この目で見ていないから何ともいえないけれど、怪我をしても命を奪われなくて良かったと思った。
「じゃあそろそろ行くかのォ」
「ああ」
定時になって、片づけを終えてやって来たカクとパウリー。その後ろからルッチとカリファもやって来た。今日の飲み会のメンバーはこの4人か。もしかしたらアイスバーグも来るかと思っていたが、彼はもう少し本社に残るようだ。
この飲み会はルフィたちの金が奪われるよりも前に決まっていたのだから、いつまでも暗い表情をしていたら彼らに申し訳ない。それに、本当に久しぶりに再会したのだ、今日だけは許してほしい。明日になったら彼らのもとに行って、少しでも手助けできないか頭を悩ませるから。心の中で彼らに謝って、私は彼らがよく行く店に案内された。
パウリーとカリファに挟まれて歩いてやって来た店は、ブルーノズバーという名前らしい。牛の角が店から飛び出している斬新な店だ。中に入ってみれば意外にも内装は落ち着いており、私たちは円卓の席に着く。
「まずはビールで乾杯だな!」
「あ、私はカシスグレープフルーツで良い?」
注文を取りに来たブルーノに生4つとカシスグレープフルーツを頼むカク。常連だからだろう、その注文に加えてパウリーとルッチがメインとなる料理を頼んでいる。どれも皆でつまめそうな物だったので私は彼らのおすすめ料理を食べることにした。
との久しぶりの再会に!!乾杯!!」
そうカクが笑いながら言い、ジョッキを上げてカチンとグラス同士をぶつけた。
まさかと酒が飲める日が来るとはのぉとカクが笑い、あんまり飲み過ぎちゃ駄目よとその隣でカリファが微笑みながら私を窘める。そして既にビールを飲み干したパウリーが私の背を叩きながら、お前ももうそんな年になったんだなぁ!と嬉しそうにはしゃぎ、ルッチがこいつはまだお子様だとニヒルに笑った。

――今この瞬間にも、メリー号を巡ってルフィとウソップが決闘をしていることすら知らずに、私は幸せなひと時を感じて笑っていた。


2015/03/17
友よ、無知な私をどうか許して

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