41 さようなら、あの愛しい赤

 鋸で丸太を切っている時に、ふとドッグの外から視線を感じた。顔をちらりと向けると同時に視界に入ってくる、あの白と赤。最初は、幻影かと思った。日に照らされた暑さから生まれた、己の願望が作り出した幻ではないかと。しかし、彼女は現実に立っていた。
――カク。そう自身を呼んだ声は、5年前と比べたら少し大人びたそれで、だがあの頃のように純粋な赤で見上げる彼女の瞳は、全く変わっていなかった。少し成長しただけで、思い出の中の彼女と、全く変わっていなかった。
彼女に会えたことで嬉しさが全身に廻ったけれど、同時に自分たちに課せられた任務を思い出して胸を締め付けられる。
そっと、彼女の視界から自然に消えて、積み重なった丸太に背を預ける。
……」
なぜ、今来てしまったのか。この街で果たさなければならない任務もいよいよ大詰めとなる、この時に。その上、ニコ・ロビンが麦わらの一味としてこの街にやってくるという情報を上から与えられ、それを利用することになっていた。今、あの上司がLILYがこの街に来ていることを知れば、強欲な彼のことだ、ニコ・ロビンと共に絶対に連れてこいと言うに決まっている。
あの頃の彼女は海賊の船に乗っているだけで、まだ海賊と呼べるような年齢ではなかった。だが、今となっては、彼女は立派な海賊だ。白ひげ海賊団の一員として、手配書に載るということまで成している。昔であれば、その曖昧な立ち位置から、まだ彼女を守ることは出来た。だけど、もうそんなことは出来ない。ルッチは既に彼女を海賊として認識している。
この事実を伝えたくない。そう思うが、きっとルッチが見計らって彼に報告をするだろう。そうなれば、もう後戻りは出来ない。自分たちの裏切りは、もう間近。その瞬間に、きっと彼女を巻き込むことになる。
ゆるゆると溜めていた息を吐きだして憎たらしい程青い空を見上げた。
――もう、逃げられない。あの頃には戻れない。
結局、自分はずっと変わることなどできない。何故なら、CP9としての人生しか今まで歩んでこなかったのだから。そんな自分が、何かを求めること自体が、間違っていたのだ。
そっと、瞼を閉じると、彼女の笑顔が浮かんだ。それを一瞬躊躇するも黒く塗りつぶして、ぱちりと目を開く。
――わしらは闇を纏いし正義。
視界の端で、ルッチの黒が蠢く。ちらりと向けられた視線に、見つめ返す。
もう、戻れない所まで来てしまった。


 カクに呼ばれて視線を先に伸ばせば、そこにはきっともう二度と会いにくることはないだろうと思っていた、そして、自分たちに課せられた重大な任務の対象でもある少女が立っていた。
久しぶりに見た彼女の顔は、手配書でみたそれと同じだ。しかし、あの手配書のようなギラついた様子ではなく、無邪気なあの頃のような笑みをたたえている。少しは成長したようだが、俺にとってはまだまだ少女の枠から飛び越えない容姿。そんな彼女相手に、カクは普段の彼に比べたら舞い上がっていた。
――可哀想な。お前は運が悪い。
彼女とひとしきり話して仕事に戻った。ふらりと彼女の視界から外れるように積み上げられた丸太の影に身を隠したカクに目を細める。彼は無表情にぼうっと地面を見つめていた。
――馬鹿な男だ。
そんな彼の様子を見て、俺は鼻を鳴らしたくなった。きっと、彼が思い詰めている内容は、十中八九あの少女のことだろう。彼は俺たちの中でも特に彼女に対して好意を抱いていたようだから。
トンカチで釘を打ちつける。その速度と正確性は、平生と何一つ変わらない。どこかの誰かと違って、俺は何一つ動揺などしていなかった。
そういう所が、彼と俺の違いだ。俺はCP9であることに誇りを持っている。そして、今まで与えられた任務は全てこなしてきた。今回も、それと同じだ。たとえ、あの少女をどんなに気に入っていたとしても関係ない。元より、彼女は海賊だ。5年前まではまだあやふやな立ち位置にいたが、今となっては正式に海軍から海賊として手配書を出されている。海賊は、海賊。たとえ何も悪事を働いていなくても、彼らはそれだけで悪だ。尚且つ彼女はLILYなのだから選択の余地などない。
彼女がこの島に来たということはそういうことなのだ。本来であれば、自分たちで探しに行かなくてはならなかった存在が、奇しくも目の前に現れた。それは天が、俺たちの私情よりも任務を優先させたということ。後に引ける筈がない。
本音を言えば、普段の俺にしてみれば、俺はあの少女のことをとても気に入っていた。しかし、それはそれ。これはこれだ。任務に私情などいらない。たとえ、心と矛盾する行動をしたとしても、それは任務の為。この程度の感情をコントロールできなければ、これからもCP9として生きていくには不便なだけだ。
トンカチを打ちつける手を止めて、設計図を見せに来た部下の話を聞く。彼の話を聞きながらも、俺は思考回路を止めることはなかった。
――彼女がこの島に来なければ、あるいは自分たちの目の前に現れなければまだ逃がしてやることは出来ただろう。彼女は至極タイミングが悪い時に来てしまった。ウォーターセブンでの任務がいよいよ大詰めとなり、素性を隠さずにいられる上に、この街からももうすぐ出ていくという時に。これが1年前だったら、彼女を連れ去るということは立場上難しかっただろう。そう、俺たちにとっては最適な時期に来てしまった彼女が悪い。
――恨むなら、運命の歯車が重なり合ったこの時に来てしまった自分を恨むんだな。
ちらりと、先程の様子とは違い仕事に精を出しているカクを視界に入れる。
そして俺はあの愛しい少女を政府に差し出すために計画を練り始めた。

 ルフィたちは暫くしてからやって来た。ナミが少し離れた所に立っていた私に気付いて手を挙げるが、それに私が応えるより前にルフィが勝手に柵を越えようと足を上げた。
――全く、せっかちなんだから。
カクによって瞬時にドッグ内に入ろうとする彼の試みが阻止された様子に、ふふと笑いながら彼らのもとに向かう。たぶん、アイスバーグの話をしているのだろう、ナミがココロから渡された紙を彼に見せながら彼を見上げている。
「ああ、。私たちの話しといてくれたのね。ありがとう」
カクから私に目を移してそう言ったナミに、どういたしましてと返す。彼らがアイスバーグについて訊いているのを、邪魔しないように見る。私が説明するよりも、この街の職人であるカクに話してもらった方が正確だし、何より日差しがきつくてそれどころではない。そろそろ日の光を浴び始めてから2時間程になる。それのせいか、先程から顔が熱くてぱたぱたと手で風を送るように扇いだ。
「顔が赤いのう、大丈夫か?」
「ちょっと、熱い」
カクがそんな私に気付いて、ぴたと額に手を当ててくる。少しばかりひやりとした彼の掌が心地よくて目を細めた。カリファたちが来たら室内に入れさせてもらうんじゃぞ。そう言って彼はまたルフィたちと査定の話に戻る。
ちらりと下を見れば、アリシアも同じように熱さを持て余したような様子で、私は苦笑した。
「で、どこに行けば会えるの?」
「今はどこにおるかのォ…」
出来るだけ早くメリー号を修復したいのだろう、ナミが少しだけ焦った声音で彼に訊くが、彼はうーんと首を傾げ、忙しいゆえに神出鬼没なのだと彼女に伝える。それに、彼らは困った様子で顔を見合わせた。
「お前たちの話は要するに、船の修理じゃろ?船を止めた場所は?」
「ああ、岩場の岬…」
ぺたぺたと頬の熱を冷ますように手を当てていた私に、この会話の中心となっているカクが「すまんが、少しの間預かっとってくれんか?」と腰に付けていた道具を渡してくる。不思議に思いながらもそれに頷いて、私はそれを受け取った。鉄の部分がひやりとした冷たさを伝えてきて、少しばかり気持ち良い。
準備運動をし始めたカクに、怪訝な目を向けながらも答えるウソップ。カクの行動に、もしかしたら今から見に行くのかな、と推測する。彼がこの街を自由に走って飛ぶのを見るのは久々で、それだけでわくわくしてきた。ひとっ走りして船の様子を見てこよう。そう言った彼に三人は驚いているようで、私はこの後の彼らの反応が待ち遠しくてつい、笑みが浮かぶ。
「10分待っとれ」
クラウチングスタートの姿勢を取った彼に、ああやはりと視線を向けるとぱちりと彼と視線が合う。
「いってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
そう言った途端風のように走り出した彼。土煙を上げて瞬間的に私たちの元から遠ざかっていく彼に、ルフィたちはうわ!?やら飛んだ!!やらと驚いて大口を開けていた。
「でも、待って、あっちにあるのは…絶壁!!」
目を飛び出す勢いで街に飛び降りていった彼を見つめる三人に、思わずふふふと笑ってしまった。やはり、初めて彼の走りっぷりを見る人は皆こうやって驚くのだろう。でも、大丈夫。彼はこの街自慢の大工職人だ。何も心配することはない。
「すっげー!!」
「大丈夫かアイツ…」
そう未だ目を見開いている彼らの元に、こつりと足音が響く。それを鋭い聴覚で拾った私は、くるりと振り返った。振り返った先には、胸ポケットに入れたねずみを指で撫でているアイスバーグと、以前よりも更に美しさが増したカリファが佇んでいる。
「アイスバーグさん…カリファ…」
小さく零れた私の声に応えるように、彼は小さく微笑んで頷く。隣にいたカリファも久しぶり、とばかりに小さく手を振った。飛び去っていったカクを見やっていたルフィたちに届くように、朗々と語り出すアイスバーグ。
「奴は街を自由に走る。人は山風と呼ぶ。ガレーラカンパニー1番ドッグ大工職職長、カク」
社長としての風格を持って現れた彼に、ルフィたちはまたもや目を見開いた。


2015/03/14
結局、君を裏切ることしかできないぼくらは。

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