37  absolute rose

 ロングリングロングランドを出航してから既に三日。とは一日目の時に出会った。黒猫のパーカーを着た吸血鬼の少女がゴーイングメリー号に暫く乗ることになった時は狂喜乱舞したものだ。吸血鬼という事実を知った当初は誰もが驚き恐怖したけれど、今ではそんなこともなかったように彼女は俺たちに溶け込んでいる。
彼女は外に出る時以外はフードをかぶっている様子はない。俺は彼女の白い癖のない髪や、実年齢より少し幼い容姿に不釣り合いな筈の魅惑的な赤い瞳が好きだった。
ダイニングで読書している彼女を気にしながらも俺は皿洗いを続けていた。彼女は気を遣わせないことに長けている。先程それを実感したばかりだ。彼女はキッチンが俺の聖域だと知っているからだろう、料理や後片付けに手を貸そうと言うようなことをしない。そもそも彼女は料理ができないという理由もあるのだろうけど、適材適所という言葉を実行しながらも、彼女は俺のことを慮ってくれる。それに俺がプレッシャーを感じないようにちゃんと本まで用意して。なるほど、これで俺が会話に困ることも無いわけだ。
皿洗いが終って後ろを振り返ると、彼女は膝の上でアリシアを撫でながら紅茶を飲んでいた。あれは俺が数十分前に淹れたものだから既に冷たくなっているだろう。視線に気づいたのか、彼女はちらりと俺を見上げた。
――どきりと心臓が跳ねる。
「お疲れ様」
「ああ、ありがとう」
あの、薔薇色の瞳が俺を見つめているだけでやけに心拍数が高くなる気がした。ナミやロビンたちのように類い稀な美貌を持っている訳でも、スタイルが完璧なわけでもない。どちらかと言えば、大人の女というより少女に近い彼女。それなのに、彼女の瞳は何か魔力が籠っているかのように、俺の心臓を絡めとる。
「いつもそのイアリングとチョーカー付けてるね」
「うん。家族から貰ったものなの」
新しい紅茶を淹れながら、きらりと彼女の耳と首を飾るアクセサリーを見る。彼女はいつもランダムにこのトランプの記号を模ったイアリングを身に着けているのだ。しかし、スペードだけが一度も見たことがない。このダイヤ型の青い宝石が付いたイアリングに似ているそれを、自分はどこかで見たような気がした。思い出すべく、記憶を探る。
トポポと新しい紅茶を彼女のティーカップに注ぎながらその答えが導きだせた。ありがとう、とはにかむ彼女に微笑み返して、口を開く。
「もしかして、スペードのイアリングってエースに渡した?」
「え、うん」
そうか、彼女が驚きながらも頷いて確信した。彼はそれを自身の左耳に付けていたから。男には少し華美で可愛らしいそれを、彼がしていることが少し気になってはいたのだ。きらりと彼の耳元で光った様子を思い出して、何だか俺は胸がもやもやする。どうにも、彼は彼女の中で特別なようだ。


 2日前に出会ったあの少女、。人を惑わすような赤い瞳に、恐ろしい程に何もかもが白い少女。通称LILY。その意味を、私は知っている。他の皆は知らないようだけれど、彼女は吸血鬼というカテゴリーの中でも更に特異な王の立場である。興味本位に賢者の石のことを訊ねてみたけれど、あの様子ではきっと彼女はやはり世界政府が求めているそれを作り出すことが出来るのだろう。
――神はよくもこんなに幼い少女に重たい枷をつけてくれたわね。
自分の生い立ちに重ねられることがいくつかあって、私は彼女を哀れに思った。私と同じように望むべくして得たものではないだろうに。
「ロビン、何読んでるの?」
「アネモネよ。ラブロマンス」
ひょこっと女部屋に顔を出した彼女に本の表紙を見せる。そうすると彼女は知ってると嬉しそうに私の所に近づいてきた。
「それ面白いよね。私、何回も読んでる」
「私もよ。主人公の心情の変化が何回読んでも飽きなくて」
読書家の彼女は私の性格ととても合う。それに彼女は人付き合いに長けている。相手によってどこまで踏み込んで良いのかを無意識に感じ取って、不快にならないように気を付けているようだった。それは、どこか私と似ている。きっと彼女も幼い頃から周りを気にして生きてきたのだろう。


 は良い子。子っていうのは少しおかしいかしら。一応私より年上だから。彼女が吸血鬼って分かった時はそりゃあもう怖くてなんでそんな子が私の船に!って思ったけど今では普通に仲良く出来る。彼女とはよく話が合うのだ。彼女はとても良い聞き手だった。相槌は上手いし、話題の振り方も違和感が無い。ほとんど私が喋って彼女が頷いているというのが今の私たちの状況だけど、彼女との会話は楽しかった。
ファッションに疎い彼女――昼間は日光があるから仕方がないかもしれないが――にファッション誌を見せてこういうのが似合うんじゃないかしらと勧めてみたり、ここのお店のケーキが美味しいのと教えたらとても食いついてくるし。
「あー、美味しそう」
「私にいくらでもお金があったらずっとここでお茶したいわ」
二人して雑誌の中にあるケーキ屋さんを見るのは結構楽しい。妄想だろうが何だろうが、二人でそれを食べている様子を想像するだけでわくわくするから。まあ、一番は実際に彼女とそのケーキ屋さんに行くのが良いのだろうけど。
「でもサンジの作るケーキだって十二分に美味しいけどね」
「そうね」
――あんた、それ言ったらきっとサンジくん嬉しすぎてぶっ倒れるわよ。思わずそう言いそうになった口を閉ざして、何も分かっていなさそうな彼女を見てふふふと笑った。


 あの女――が船に乗ってから2日経った。その間彼女は何も変なことはしていない。宴の時は酒を飲んだからかテンション高くあのルフィにも付いていけているようだった。しかし普段は静かなのか、誰かに話しかけられないと話したりはしない――ルフィたちのようによく独り言を大きな声で呟いたりしないということだ――ようだ。
ルフィが言うようにそこまで警戒する事もないだろう。しかし彼女を信用できないのは自分の癖と言っても良い。未だに信用しきれていない女が一人いるのだ。きっと、自分はそういう性分なのだろう。
俺がこのように用心する性格だからこの一味が成り立っているようなものだ。あのエロコックは女には弱いし、ナミは賄賂を渡されればすぐに懐柔されてしまう。丁度良いだろう。
何度かが血を分けてもらう光景を見たが、いたって普通だった。直接肌に噛みつくのかと思っていたが、彼女は注射器で血液を取り出し、瓶の中に入れていた。どうやらそれは今飲むのではなく、旅をしていく中で必要になった時の為だと言っていた。そろそろ予備の血が尽きそうだからと言っていたから、丁度良い頃に俺たちに出会ったのだろう。
仲間たちは彼女に血を分けるのは嫌だと思っていないのか、積極的に――特にぐるぐる眉毛は――協力している。しかし自分はまだ彼女に血を分けていない。よく知らねぇ奴に血なんざ分けたくねぇというのが俺の本音だが、たぶん彼女はそれに気付いているからだろうか、俺には一度も頼んだことがない。
ちゃーん!今日も俺の血いるかい?」
「ありがとう、サンジ。でも良いよ。毎日貰ったらサンジ倒れちゃうでしょ?」
麦わらの一味の中でも一番彼女に献血している彼が彼女の前に躍り出る。俺はそれを黙って見て目を逸らす。確かにこの二日間彼女は俺とチョッパー(人間じゃないからな)を除く全員から二度以上献血をされている。
「でもストックは多い方が良いだろう?いつ血を分けてもらえるか分からないんだから」
「そうだけど…」
彼女はそう言われて黙ってしまった。正論をどうにか覆そうと考えているようだったが、思いつかないようで苦笑いで彼から逃げようと後退りする。ったく、仕方ねぇな。
「俺の血で良いだろ」
「ああ?!?」
「え?」
甲板にアホコックの声が響く。あー、うるせぇな。お前が倒れてもらっちゃぁメシが食えねぇだろうが。と彼を睨めばチッと舌打ちをしながら納得したようだった。彼女はおやおやと言うように俺を見上げている。コイツはたまに俺たちのことを年の離れた子供のように見てくる節があるな。
「良いの?」
「良いっつってんだろ。さっさとやれ」
どかりと彼女の前に腰を下ろして睨むが、彼女は怖がりもせずありがとうと微笑んだ。肩から下げているポシェットから注射器を取り出して彼女は少し痛いよと俺に確認する。痛みなんざ慣れていると返せば確かにそうか、と彼女は笑ってアルコールで消毒してから針を俺の肌に突き刺した。


は良い奴だ。エースの妹分として可愛がられていたと言うだけあって、彼女はとても魅力的だった。会ったその日のうちに俺は彼女を仲間にしたいと思ったけれど、そういえば彼女は白ひげとかいう海賊団に所属しているみたいだし、保護者が怒るらしい。保護者ってどんな奴だろうなー。じいちゃんみたいな奴だったら怖いかも。
とにかく彼女といるのは楽しい。だけど昼間は彼女は日光の下に出られないからほぼダイニングか女部屋で過ごしている。そうするとやはり彼女が接するのはロビンやサンジに偏るわけである。俺はそれが不満だった。
――は俺の姉ちゃんなのによぉ。
珍しく外に出てると思ったら何故かゾロと話している彼女をむっとした顔で見つめる。つまんねぇな。
両腕を彼女に伸ばして捕まえると彼女からうわっと声が上がった。がしっと掴んだ腰はそれなりに細くて先日感じたような体重があるようには思えない。そのままぐいっと引っ張ると彼女は俺のもとに飛んできたがやはりかなり重たい。軽く1トンはありそうだ。
「こらルフィ!びっくりしたでしょ」
「良いだろー別に!それよりお前なんでこんなに重いんだよ?」
胡坐をかいた俺の身体に思い切りぶつかった衝撃で俺たちは床に転がった。少し離れた所でゾロが何やってんだと言う目で俺たちを見てきたが気にしない。むくりと起き上がった彼女は俺の問いにああと笑った。
「身体に重り付けてるから。ごめんね、痛かったでしょ?」
「あ〜!でも俺ゴムだから痛くねぇぞ!」
にっしっしと笑えば彼女はそうだったねと頷いた。何だか、エースと違っては良い姉ちゃんだなぁ。いや、エースが嫌な兄ちゃんってわけではなくて、彼女は普段から優しいってことだ。こんなことエースに知られたらきっと拳骨じゃすまねぇ。
俺は怖くなってぶるりと震えた。


2014/01/30

赤に絡めとられる。

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