31 Call my name.

「アリシア!ちょっとサッチの所行ってくる」
「かしこまりました。テレパシーを飛ばしてくださればいつでも参じます」
突如として行動を始めた私に、彼女は冷静に頷いて私のことを見送った。
外は暑くて暗い。星が空に瞬いているのに、冬島付近で見た星たちに比べたらあんまり光っていないように見えた。
足早にサッチの部屋に向かう。私の所からは少し離れているそこへ行く途中、甲板の方で仲間たちが楽しげに宴を開いている音が聞こえてくる。甲板は楽しい喧騒で満ちているのに、私の胸には段々黒くて重い物――不安が押し寄せ始めていて。
「なんでこんなに胸が騒ぐの……」
漸く辿り着いた彼の部屋の前。電気は付いていなかった。寝ているのか、それともまだ宴に参加しているのか。どちらでも良いから早く彼の顔が見たかった。とんとんと軽くノックして扉を開く。
「……………」
そこには誰もいなかった。ベッドの上もソファにも目を寄こしたけれど、彼の温もりさえ残っている様子はない。
「サッチ…」
歩くのはもうやめた。走って、彼のことを探す。とにかく甲板に行ってみようと、甲板の方へ続く階段を上がっていく。急いで階段を上りきってそのまま直進しようとした時だった。前方に、何かの影が見える。いや、あれは何かではない。
「――サッチ!!!」
腹部からナイフの刃が突き出た彼が力なく座り込んでいた。急いで駆け寄って彼の顔を上に向かせる。目は閉じられていて呼吸をしていなかった。血の気が引いて唇は真っ青だ。だが、まだ心臓が辛うじて動いている。
『アリシア!!今すぐイリオスを呼んできて!サッチがお腹を刺されて倒れているの!』
『――はい、ただいま!』
すぐさま状況を把握してくれた彼女が行動し始めてくれたようだ。自分が今いる場所も彼女に教えて、私はサッチの傷を調べることにした。私は医学には全く知識が無い為、イリオスが来るまで変に触らない方が良いかもしれない。だが、少しでも彼の出血死の可能性を減らさなくては。
「サッチ……!死なないで…!」
彼の洋服を脱がす。上半身だけ剥き出しにして彼の身体を横に向かせた状態で横たえた。今更無意味かもしれないけれど、彼の洋服を細長く切り裂いてナイフが抜けないように固定した。ああ、今ここで私の唾液を使った方が良いのか、それともしない方が良いのかそんなことすら分からない。
!!」
様!」
「イリオス!アリシア!」
心底慌てた様子で駆けてきた彼らに今まで耐えていた涙と震えが溢れてきた。手が、サッチの血で赤く染まっている。私にとっては欠かせない、生きる糧。それなのに、大切な彼が流している物というだけで、こんなにも怖いものに変わるなんて。
「イリオス、サッチは。サッチは…!?」
「今すぐ緊急手術をする。出血量はそこまで多くないが、内臓を酷く損傷しているだろう」
傷口に触らないように私とアリシアとでサッチの身体を抱える。イリオスは急いで手術用の部屋の準備をしに走って行った。サッチの傷に障らないよう慎重に、しかしなるべく速く歩いて彼の部屋に着いた。手術台の上に彼の身体を横たえた。イリオスとその部下が数人私には分からない道具を沢山揃えて立っている。
「お前たちは外で待っていろ」
彼のその言葉に頷いて私たちは外に出た。胸の前で握った手がかたかたと震える。今にも彼を失うのではないかという恐怖が、体内から私を蝕む。
様、血が…」
「あ…」
いつの間にか唇を噛んでいたのか下唇から血が滲んでいた。でも、そんなことどうだって良い。そんなことが気にならない程私は着が動転しているのだ。
――どうか、どうか、私からサッチを奪わないで。
まだ、あの言葉に対するごめんも言っていないのに。私から、取り上げないで。


 手術は4時間程で終わった。サッチの命は何とかつなぎとめられたようだったが、それでもいつ目が覚めるか分からないらしい。いわゆる植物状態というやつで、私は絶望した。途中で知らせを聞いたマルコが飛んでやって来て私の傍にずっといてくれた。他の仲間たちも宴の余韻など吹っ飛んで駆けつけようとしたみたいだったが、それは許されず各隊長たちの元、命令に従って夜を明かした。

 手術が終り、医務室のベッドに寝かされたサッチ。その手を握り、私は目を閉じていた。今、この部屋には私と彼しかいない。マルコたち隊長は白ひげに収集され、今回の事件について話し合っている最中だ。ナースたちも、私に気を遣ってくれたのか、何かあったら呼んでねと言ってそそくさと退出した。アリシアは私の傍に付いていたがったけど、お願いして出ていってもらった。ごめんね、アリシア。
「サッチ………」
ごめん、あの時あんな言葉を言って。あなたが傷付くと分かっていて言ったの。それくらいあなたのことを怒っていたのに、今はそんな気持ちも無くなって。だって、こんなことになるなんて思ってもみなかった。喧嘩別れなんて、嫌だよ。
頬に伝った涙が彼の腕に落ちる。ごめんね、サッチ。何も理由が無くて私に酷いことをする人じゃないって分かっていたのに。あなたのことを信じられなくて、ごめんなさい。何度でも謝るから、だから早く目を覚まして――。

 いつの間にか眠ってしまっていたようだった。それもそうだ、サッチの手術が終わったのは朝の4時。それまでずっと起きていたことになる。今は――。時計に目を移して今が午後2時であることに気付く。だいぶ長い間寝ていたようだ。隊長会議はまだ終わっていないのだろうか。
こんこん、と鳴った扉にはぁいと返事する。がちゃりとノブが回って、中に入ってきたのはエースだった。
「目ェ充血してる…」
「そっちだって髪の毛ぼざぼざ」
私の横に椅子を持って来て腰を下ろした彼は、私の目をじっと見た。彼の目は、私のことをとても案じているようだったが、その奥深くには隠しきれない怒りの炎が渦巻いているようで。ぎゅっと、瞑って再び開いたそこには、その炎は綺麗に隠れていて私を案じる色だけがあった。
「隊長会議でサッチの今後が決まった。オヤジも納得している」
「……」
彼が話した会議の結果はこうだった。
サッチは次の島で降ろす。偶然か必然か、その島に名医がいるようだった。船でいつ何時敵襲が来るか分からない海の上にいるよりはサッチは安全だろうという結論に至った。この航海が植物状態の人間にどのような影響を与えるのか分からない、というのが一番大きな理由だ。
「待ってよ…、でも陸地でサッチのことを嗅ぎつけた海軍や賞金稼ぎが来たらどうするの…!?船だったら皆で守れるじゃない…!」
「だから、そういう時の為に何人かサッチに付かせることにした。少人数制だが、どいつもサッチに深い恩義を感じている4番隊のやつらだ」
だから、安心して頼めるだろ…?そう私を覗き込んでくる彼。だけど、ふるふると首を振る。そういう問題ではないのだ。そんなことでは割り切れないのだ。頭ではその方が良いのかもしれないと分かっているが、心が――感情がそれを拒絶する。
「やだよ……サッチと離れたくない……」
……」
止まっていた筈の涙が溢れだす。エースを困らせたい訳ではないのに、ぼろぼろと零れ落ちる涙。
――泣くな、泣くな。まだ、サッチは死んだわけではない。泣いたら、本当にサッチが死んでしまうかもしれない。
涙をごつごつした指で拭ってくれた彼に、ごめんねと呟く。ぐっと、呼吸を止めて涙が零れるのを我慢した。
「……それとな、こいつを刺した犯人が分かった」
「……誰なの…?」
一瞬言葉に詰まったエース。しかし、彼はその名を口にした。
「マーシャル・D・ティーチ。俺ん所の隊員だ…」
「………嘘でしょ…なんで、ティーチが…」
彼らは友達だった筈だ。マルコ程ではなくても、確かにサッチとティーチは仲が良かった。お互いに笑い合って、酒を飲み明かしていた、そんな仲だった。それに、何と言っても仲間だった筈だ。それがどうして。
「あいつはな、悪魔の実欲しさにサッチを殺そうとしたんだよ」
どこを探してもティーチと、サッチが持っていた悪魔の実だけが見つからない。だからそう結論付けたのだと彼は言った。ぎり、と彼が拳を握りしめる。
――ティーチ………、信じていたのに。どうして私たちを、サッチを裏切ったの……。
思考が急激に冷えていき、目の前の景色が色褪せた。
「俺はあいつを許さねぇ。サッチをこんな風にしたことも、お前にこんな思いをさせたことも…」
私を見る彼の目には、先程隠された筈の重く暗い、しかし決意の籠った炎が再び現れていた。もはや、隠すことが出来なくなった激しい炎。ぎっちりと握り合わせた拳がわなわなと震えて、今にも炎に変わりそうな程熱気を放っていた。
「俺は、この船を出て黒ひげとケリをつけてくる」
「――待ってよ、エース…。一人で行くの?ティーチは悪魔の実を食べたんだよ?」
未知の能力を手にした彼は格段に今まで以上の強さを持っている筈だ。そんな彼の元にエースを一人で行かせることなんて出来ない。絶対に白ひげやマルコたちも反対する。
しかし、彼はそれに首を振った。
「あいつは俺の隊の隊員だ。あいつが犯した罪は俺がきっちり拭わせなきゃなんねぇ」
「でも!まだサッチは生きてるでしょ…!!」
「植物状態なんていつ目覚めるかも分かんねぇ。そんなの死んでんのと変わんねぇじゃねぇか」
仲間殺しは何よりも勝らない、決して許されない罪だ。だけど、まだサッチは生きている。本音を言えば、私だって彼を刺して植物状態にしたティーチが憎い。信頼を裏切りで返し、恩を仇で返した彼。出来る事ならこの憎しみという衝動のままに殺してしまいたい。だけど、態々彼が危険な旅をする必要なんてないのだ。彼まで無事に帰ってこなかったらどうすれば良いのか。
しかしこうなったエースはもう止まらない。私はそれをよく理解していた。何年も同じ船で仲間として、そして兄妹のように接していたのだから彼の決意の強さと頑固な性格も分からないわけがない。
「…なら、私も行く。二人なら――」
「だめだ。お前はサッチに付いていろ。マルコやアリシアが絶対に許すわけねぇからな」
二人なら、まだ安全に旅が出来る。一対二なら卑怯でも絶対にティーチを逃がすことはない。そう思ったのに、一蹴された私の意見。何よ、エースの馬鹿。こんなにエースのこと、心配しているのに。
「お前がティーチを恨むのもよく分かる。だけど、俺はオヤジの顔に泥塗って逃げたあいつの上司だ。俺が責任を取らなきゃならねぇ」
「……………ばか…、絶対怪我しないで帰ってきてよ……」
はあ、と口から溜息が出る。結局、折れてしまった。彼の意志の強い目で見つめられたらもうそれを変えられないことを悟った。きっと、私がどんなに正論を言っても彼は船を出て、ティーチを追っていく。それなら、いっそのこときちんと受け止めて彼が傷付かないように何かを考えたい。
「ああ、悪いな…絶対帰ってくるから」
お前を泣かせたあいつを懲らしめてきてやる。力強く、笑った彼にうんと頷く。
いつ出発するの?と問えば明日と返ってくる。早すぎるとは思ったが、なるべく早く出なければティーチに追いつくのは難しくなる。仕方のないことだろう。
「これ、お守りね。エースに預けておく。絶対返してよ」
「ああ、ありがとう」
サッチから誕生日に貰って肌身離さず付けていた青い宝石のイアリング。スペード型のそれを左耳から外して、彼の手に乗せ彼の手をぎゅっと握った。
――エースが傷付きませんように。必ず、無事に帰ってきますように。
「私とサッチが見守ってるから」
「ありがとう、……」
こんなことしか私には出来ないけれど、彼は穏やかに笑ってくれた。


 翌朝、エースは私に言った通りティーチを追いかけて船を出た。白ひげやマルコたちは彼を止めようと散々声を張り上げていたけれど、それでも彼は止まらなかった。
彼の背を押したのは私。本当にそれが正しかったのか分からない。でも、彼を止められないことは分かっていた。だから押した。どんどん小さくなっていく彼の背中を見ながら、昨日彼が渡してくれた一枚の紙きれを見つめる。
「どうしても俺を追いたくなったら、これを使って俺を探せ」
ひらひらとエースが去って行った方に動くビブルカード。私はそれを大事に握り締め、点になっていく彼を見つめていた。


2013/12/08
第一章完 君の背中をただ見守ることしかできない。

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