30 裏切りの夜

 夏島の気候でムシムシして暑い夜、仲間たちは浮かれて甲板でどんちゃん騒ぎをしている。しかし私は先程の事がまだ心の底に重く沈んでいるため、宴に参加するような気分ではなく、一人静かに過ごしていた。アリシアは今は夕食を食べているのだろう。気を遣わせてしまって悪かったなぁ。
自分でもどうしてあそこまで怒っていたのか、悪魔の実に拘っていたのか分からない。今でもサッチに横取りされた悪魔の実のことを考えると胸がもやもやして気分が悪くなる。それでも先程のおかしいくらいの怒りに比べたらまだどす黒いものは無くて。
――あの瞬間、悪魔の実を見つけた瞬間、私の中の何かが変わった。吸い寄せられるというか、何と言うか。そう、魅了されたというのが一番しっくりくるかもしれない。見た目的にはそんな風に思えないそれでも、強大な力を手に入れられるかもしれないと思った瞬間、それがとても欲しくなった。きっと、サッチもそれでほしくなったのだろう。彼は隊長で、船全体や隊員、そして私を守らなければいけないという責任感がある。いつもはあんなにおちゃらけて好き勝手しているように見えても、実際はよく隊員の気持ちや行動を把握して色々話を聞いてやっているのだ。今以上に強くなって守りやすくなると考えたのかもしれない。そうでなきゃ、あんなに強引に私の物を奪うなんてことを彼はしない。
――それでも、私から謝るなんてことは出来そうになかった。先に喧嘩をふっかけたのはサッチなのだ。あちらから謝ってこない限り私は仲直りするつもりはない。


 わいわいがやがや。そんな擬音語が似合う宴の中で、サッチは笑っていた。仲間と一緒に酒を飲み、肴を食べる。一見楽しそうに見えるが、彼はポーカーフェイスが得意なのだ。仲間の気分を下げない為に、笑っていた。しかし流石に笑うのに疲れてきてその輪から離れる。何よりも大切にしてきた娘に嫌いと言われて傷付かない程彼の心は図太く出来ていなかった。しかも、今回の一件は明らかに自分に非がある。彼女の物を横から掻っ攫ったのだ。決闘なんていう正当な理由をつけて、彼女から奪った。
「はぁ……」
思い浮かぶのは彼女の怒った顔と、嫌いという言葉。あの時の彼女は本当に怒っていた。誰が見ても分かるくらいに嚇怒していた。そして俺の見間違いではなければ、あれは俺を恨む目をしていた。
「何一人で飲んでんだよい。辛気臭ェ顔しやがって」
酒瓶を一本持ってこちらにやって来たマルコ。聞かなくてもお前だったら分かるだろ。ぼそりと呟けばそりゃあねいと返ってくる言葉。他人事だと思いやがって。くそっ。俺は思わず悪態づいた。
「サッチ…お前、何も理由なしにあんなことをしたんじゃないんだろい?」
お前は今まであいつにあんなことしたことないからな。そう続ける彼に、俺は頷くこともせずワインを煽った。
どんな理由があれ、俺はあいつにとっては悪だ。自分の大切な物を横取りした悪党なのだ。今更俺が何を言ったって、意味が無い。
「わりぃ、ちょっと一人で飲んでくる」
まだ会話を続けようとしていた彼にへらっと笑って、俺は甲板から離れた。誰かと飲みながら話す気分ではなかった。どこか静かな所でじっくりと考えてみたかった。
甲板から大分離れた所の廊下で、俺はどかりと腰を下ろし空を見上げた。憎たらしい程に綺麗な月が、俺を照らしている。
――あの時の彼女はどこかおかしかった。いつもならきらきらと好奇心に光っている目が、どことなく狂気を孕んだギラギラとした目付きで。たぶん、それをマルコは何となく気付いていたのではないだろうか。俺も、おかしいと気付いたのだから。
俺はそんな彼女を見た途端、あの悪魔の実が無性に欲しくなった。彼女から奪っても良い、どんな手を使ってでも自分の物にしたかった。それは自分の物にしたいというよりは何としてでもあの実を彼女から離したい、に近かっただろう。悪魔の実が彼女を変えてしまったような、操っているような気がしたのだ。今思えば馬鹿馬鹿しいことだろうが、危険なものから彼女を守りたかった。俺にとってはこの悪魔の実が彼女を破滅に導くような気がしてならなかったのだ。どこか禍々しい気配を放つ、悪魔の実。どうしてそんな風に感じるのかは分からないけれど、この直感は大切だと思った。俺の負の直感は大抵外れたことがない。だけど、
、許してくれないだろうなぁ…」
あれだけ熱のこもった目でこれを眺めていたのだ。きっと当分話してくれないかもしれない。
――ああ、だけどそれは悲しい。俺が勝手に思い込みで動いたことだけど、彼女と話せないなんて。駄目もとで謝りに行こうか。少しは考えてくれるかもしれない。
そう思ってよっこらせと重い腰を持ち上げた。彼女のいる部屋の方に足を向けて歩き出した。しかし、どんっと背後から腰に何かがぶつかる衝撃がして、足が止まる。な、なんだ。
ぽたり、と何かが垂れる音がして、自分の腹部を見下ろすと赤黒く染まったナイフの刃が腹から突き出していた。それを見た途端、痛みを認識する身体。
「く…そ…っ」
敵か。油断した。そう思うのは二度目だ。自分の船にいるからと注意を怠って、俺は馬鹿か。痛みを堪えて後ろを振り返る。だけど、俺の目に映ったのは――
「ティー…チ…?」
「ゼハハハハハ、サッチ…悪いな」
嘘だろ。何で、ティーチが俺を刺したんだよ。痛みのあまり冷や汗が噴き出してくる。よろよろと彼から離れてずるりと床に座り込んだ。手からは悪魔の実が落ちる。それを奴は拾って、嬉しそうに感嘆の息を吐いた。
「これだ…間違いねェ。俺は図鑑でちゃんと見たんだ」
「おい、ティーチ…!」
お前、俺たちを裏切るのか。何とか擦れる声を吐き出す。彼はああ、というように俺を見下ろした。
「サッチ…俺はなぁ、ずっとこの実を探してたんだ…が持って帰ってきた時には吃驚したぜ」
もちろん、お前のことは友達だと思っていたし、皆仲間だと思っていたぜ。そう付け加えた彼にゲスがと唾を吐きかけた。彼はそんなことにも“死にぞこない”だから気にすることなく俺に背を向けた。
「じゃあな、“サッチ隊長”」
ゼハハハハ……独特の笑い声を響かせながら奴は暗闇に溶けて消えた。ああ、くそ。そうか、俺が無意識のうちに危惧していたことはこれだったのか。良かった、から悪魔の実を奪っておいて。俺が奪わなければ、彼女があいつに襲われる所だった。きっと、疑いも警戒もせず背中を見せて、そして俺のように刺されてしまっていただろう。
――良かった、裏切られるのが俺で。彼女が裏切られて涙を流さずにいて、良かった。
ああ、くそ、仲直りしたかった。最後に見た彼女の顔が怒った表情だなんて。それだけが、心残りだ。
……わりぃ…ごめんな……」
擦れた声はもう、彼女には届かない。俺の意識は暗闇に落ちていった。


 こんこん、とノックの音がして頷く。
様、失礼します」
「おかえり」
扉から音もなく入ってきたアリシア。その手には私のお気に入りのマグカップがあった。
「夕食も召し上がっていないようなので、お飲み物だけでも」
「ありがとう」
ああ、また彼女に気を遣わせてしまった。私はまだまだだなぁ。彼女の手からマグカップを受け取り口を付ける。冷たい緑茶の味がすうっと喉に広がり、ほうと息を吐いた。やっぱり、緑茶は美味しい。いつもは紅茶が主だからたまに飲むと本当に安心する。
緑茶をコックたちが持っている筈もなく、どこから手に入れたの?と訊けば、彼女の口からはイゾウという珍しい名前が出た。何だ、いつの間に彼らは仲良くなったんだろう。
「別に、仲良くなどなっておりません。ただ、様のご気分が優れないようだと言ったら、これをもらったのです」
「そっか…」
どうやら、私はイゾウにまで心配をかけさせていたようだった。否、あの場面を見ていた者たち全員に心配をさせてしまっているだろう。はぁ、つくづく自分は子供だなぁ。こんなことでへそを曲げて。今回のことは自分の力を過信して決闘に乗った自分も悪い。そのまま自分の物にしていれば良かったのに変に負けず嫌いを出してしまったから、このような結果になったのだ。
こと、とサイドテーブルにマグカップを置く。ふと、傍に置いてあるテディベア――これは5歳の誕生日の時にサッチが買ってくれた物で、私の宝物の一つだ――が目に入る。
「あれ?」
そのテディベアの首の糸が解れたのか、白い綿がはみ出していた。ああ、嘘でしょう。あんなに大切にしていたのにどうしてこんな所が壊れているの。はあ、と溜息を吐いてどうにか直らないかなぁとそれを持ち上げて見てみる。
「―――
「え?」
「どうなさいました?」
不意に聞こえた、小さな声。それは明らかにサッチのものだったけれど、この場にサッチはいない。
――幻聴?
きょろきょろして挙動不審な私にアリシアが不思議そうな目を向ける。何か、心に小さなひっかかりを感じた。何故か分からない。ただ、このままじゃいけないという声に従って、突然私は部屋を出た。


2013/12/06
確かに、あなたの声を聞いた。

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