28 たった一つの信念

 真っ黒な闇の中で、真っ白な手が私を捕まえようと追いかける。
『なんで俺を殺したんだよ…』
「ごめ、んなさい…!」
はぁはぁと息を切らして逃げる。何度も何度も私を責める声に謝りながら、彼から――私が殺した青年から逃げる。しかし、ぐいと腕を掴まれて地面に押し倒される。ぬっと暗闇から現れた彼は、私が最期の時に振り下ろしたナイフのせいで首がすぱっと途中まで切れて、中の骨が覗ける状態だった。
『俺はまだ生きたかったのに、どうして殺したんだよ……!』
「ごめ、なさ…ごめんなさい…っ」
彼が私の首を絞める。苦しくて涙が溢れる。彼の手を振り払おうにもなぜか彼の握力は尋常ではなくて、全く抵抗できなかった。
いやだ、死にたくない――
「お前にも俺の気持ちを味あわせてやるよ」


「いやぁっ!!」
!!」
身体を揺さぶられて、びくりと震え目を開ける。はぁ、はぁ……と自分の荒い息が静寂を取り戻した部屋に響いた。震える焦点を合わせると、そこには心配な顔をしたマルコが私のことを見つめていた。
「大丈夫か?魘されてたよい」
「う、ん…起こしてごめん……」
どっど…と脈打つ鼓動が徐々に収まるのを感じていた。彼は私の冷や汗をかいてぺたりと張り付いた前髪を左右に分けて、私のことを抱きしめた。
「大丈夫…お前なら乗り越えられるよい……」
「マルコ…」
そっと彼の背に手を回す。大丈夫、見知った温もりに香り。彼がいるから、きっともう悪夢は見ないだろう。暫く瞼を閉じてじっとしていれば、いつの間にかまた眠りに落ちていた。


 おはよう、。おはよう、ジェイ。おはよう、お嬢。おはよう、ニコル。そんな挨拶を交わしながら、私は白ひげの部屋に向かっていた。今日は彼は部屋でじっとしているつもりなのか、まだ一度も甲板に出てきていなかった。いつもなら私たちがご飯を食べ終わった頃にはもう外にいるのに。
「パパ、私」
か。入れ」
コンコンとノックして扉を開ける。ベッドに下半身を横たえている白ひげは読書をしていた。ぱたんと持っていた本を閉じて、彼はこっちに来いと私に手招きした。ととと、と彼の元に行くとひょいと大きな手に抱えられて私は彼の膝の上に下ろされた。少し照れくささを感じるが、やはり彼の膝の上に座るというのは特別感があって、どこかマルコたちとは違った安心感を得られる。
「どうしたんだ?お前が俺の部屋に来るのは珍しいな」
「うん、ちょっとね…」
ぽん、と私の頭の上に乗せられた彼の手は大きくて、温かかった。気遣うように撫でる彼の手は、きっと私が何の為にここに訪れたのかをお見通しなのだろう。ぱちりと瞬きをして彼を見つめると、彼はこの前の戦闘はどうだった?と訊ねた。
「初めてだから緊張したんじゃねぇのか?」
「うん、ちょっと。……――私と同じくらいの男の子を、殺しちゃったの」
私、人殺しなんだ。ぽつりと自分にも聞こえないくらいに呟いたそれを彼は聞きとってそうかと頷いた。
「怖かったか?」
「うん……。あの人が私を責めてくるの…生きたかったのに、どうして殺したんだって」
今朝見た夢の内容をかいつまんで彼に話す。今朝だけではなくて、ここ最近はその夢ばかり見ていた。ずっと、彼の影が付きまとう。昼間は仲間たちと騒いで忘れていても、夜、暗闇が訪れて寝る時間になると、必ず彼のことを思いだした。
「その気持ちを忘れるな。大事なことは、お前が今のお前自身を受け入れることだ」
「受け入れる…?」
そうだ、ありのままの自分を受け入れろ。慈愛に満ちた目で私を見下ろし、彼はそう言った。
「お前がやった行いが正しかろうが間違っていようがまずは自分を受け入れろ。そうしなきゃ、お前の心は嘘を吐かれていつか壊れちまうからな」
グララ…小さく笑った彼の言葉を心の中で反芻してみる。自分を受け入れる、か。確かに自分の気持ちに蓋をしたり嘘を吐いていたらいつかストレスが溜まって鬱になってしまう。でも、青年の影を失くすにはいったいどうしたら良いんだろう。
「パパは初めて人を殺した時怖かった?」
「忘れちまったなぁ…相手は海賊だったから怖くはなかっただろうなぁ」
そっか。やっぱり、パパは怖くなかったんだ。だってパパは身体だけでなく心も強いから、きっとそのままの状態を受け入れることが出来たんだ。
「――人には皆平等に死が訪れる。俺たちが海賊であろうがなかろうが、人と関わっていく以上、誰かの歴史を狂わせないなんてことはできねぇ」
「うん…?」
彼の言っていることは少し難しくて、しかし何となく理解できる気がする。首を傾げて彼を見上げると、彼は慈愛に満ちた目で、少し笑った。
「お前が殺人を好き好んでやる海賊になりたくなければ、それで良いのさ」
「うん、そうだね」
きっと、そのうち分かるようになる。わしわし、と大きな手に頭を撫でられて、私は納得した。今は分からなくても、きっと彼の言った意味が理解できる日がやって来る。それまでは、これだけで十分だ。私が殺した青年と向き合える日がいつかやってくるなら、それで良い。


 そんなことがあってから一週間、今でも青年の夢は見るけれど、日に日に見る回数が少しずつ減ってきた。きっと、白ひげの話を聞いたのが良い影響を及ぼしてくれたのだろう。いつものようにエースとの特訓を終えた私はシャワーを浴びながらそんなことを考えた。
シャワーから出てきて一時間ほど経った頃、とんとんとサッチの部屋を叩く音が聞こえて、「はあい」と間延びした声を返した。
、オヤジが呼んでる」
「うん?」
扉の外にいたのは、普段あまり話すことのない刀鍛冶の中年の男だった。いかにも職人気質といった彼は部屋にいるのが私だけだからか部屋の中に入って来ようとはせず、必要な要件だけ言ってじゃあなと去っていった。一見彼は冷たい頑固な男に見えるが、実は意外に人間観察が得意なのを私は知っている。
この前は彼の部下に言葉少なくだが、長所を伸ばすようにアドバイスをしているのを見たのだ。そんな彼だから、部下たちも素直に彼の言うことを訊くのだろう。
とにかく、白ひげが私を呼んでいるのだから早く行かなくては。今日は甲板にいるだろうか。少し早歩きで甲板に向かうと、船首の方にどっかりと腰を下ろした白ひげがいた。
「パパ、どうしたの?」
「来たか」
たたたと彼の元に小走りで向かう。ずり落ちかけたフードをかぶり直して彼を見上げた。にっと笑った彼は、彼の傍にあったある物を渡しに渡した。思わず、口が開く。
「お前はちゃんとした武器を持っていなかったからなぁ。これは俺からのプレゼントだ」
ずしりと手の平に収まった薙刀。それは、大きさこそ私に合うように小さくなっているが、白ひげが持っている武器と同じそれだ。薙刀と白ひげのことを何度も見比べて、私は開いた口が中々塞がらなかった。
「こ、これ…私に?」
「ああ、さっきからそうだと言ってるだろう。間抜けな顔しやがって」
グララララ…陽気に笑った彼の声が甲板に響く。この前、ジェフに頼んでさっき出来上がったんだ。そう言葉を発する彼に、先程の刀鍛冶の男――ジェフが私を呼びに来たことを思いだす。ああ、だから彼が態々私の所まで来てくれたのか。
「あいつは顔には出さなかったが、これを頼んだ時吃驚していたもんだ」
「パパ、ありがとう。凄く嬉しい」
後でジェフにもお礼を言いに行かなきゃ。呟いたその言葉にそうしとけと彼が頷く。彼がくれた薙刀は私と同じくらいの長さで私の手が丁度握れる太さだった。最近ではトレーニングのおかげでかなり重い物でも持てるようになってきた私には軽くて、簡単に扱えそうだった。
試にくるくるとそれを回してみると、周りで興味津々の様子で見ていた男たちがわらわらと集まってきた。
「オヤジからのプレゼントか?ったく、オヤジはに甘いなぁ!」
「お前、薙刀とか生意気だなァ!!」
「まるでちみっ子白ひげだなぁおい!」
わはっはとはしゃぐ男たち。よく見せてくれという男たちに薙刀を渡すと、彼らは揃いも揃って私のことを羨ましがった。皆曰く、オヤジと一緒の武器なんてズリィ、らしい。
、お前ならこれをどう使うのかを決められる筈だ」
「うん」
彼が私に武器を渡してくれた意味。それは、私をもう立派な一人前だと認めてくれたということ。武器は人を殺める物だ。自分の身を守るためには必要な物だが、それはつまり相手を傷付けるということ。戦うということは、そういうことなのだ。
「わたし…私は、大切な人を守るために戦う…!」
「そうか」
私は海賊だ。海賊だから、他の海賊船とぶつかれば戦わなくてはいけない。それは相手も重々承知だ。お互い海賊という職業に就いている身なのだからそういった覚悟はある。だから、信念を持てばいいのだ。どんなことがあってもブレずに心の中心にあり続けるものを決めれば良い。私にとっては、大切な人――家族を守るということが、戦う理由だった。
白ひげは満足そうに笑って、私を見つめた。ああ、もう大丈夫。もう、怖くない。


その晩、彼とこんな会話をした夢を見た気がした。
「俺は理由もなく殺されたわけじゃないんだな」
「うん、私は私と家族を守るために戦ったの」
「そうか……」
それからはもう彼の夢を見ることはなくなった。それでも私は彼のことを忘れてはいない。私が命を奪った彼の分まで、生きると決めたのだ。


2013/12/05
闘う理由を胸に。

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