23 雪融けは近い

 段々冬島からは遠ざかり、夏島に近づいてきた。少し前までの凍えるような寒さが嘘のように暖かくなっている。急に変わった気温にこの船の男たちは体調を崩すようなことはせずに、いつも通りに各々に与えられた仕事をしていた。しかし、この気温の変化に上手くついて行くことが出来ていない者が一人。
―――私だ。
「急に暖かくなった……」
寒いのと暑いの、どっちが好き?と訊かれたら、私は寒い方と答える人間だ。それが、突然暖かくなった気温に身体がついて行くはずがない。皆にとっては心地よい気温だとしても。私にとっては少し暑い。元々吸血鬼という種続柄、太陽の光には抵抗がある。だから、私はなるべく外に出ないようにしている。
しかし私は今あることの為にパパの部屋に向かう通路を歩いている。上からはさんさんと太陽が私に日を注いでくる。私は慌ててパパの部屋をノックしてその中に入った。
「どうした、。見せたいものがあるって言ってたが…」
「今見せるからね」
ベッドに横たわっているパパとその傍に控えているマルコとサッチ。彼ら二人はいったい何をするんだと興味津々の目で私を見つめる。私は先程アリシアから言われた言葉を思い出した。

『これは我々によっては切り札になるかもしれないものです。あまり人には見せない方が良いでしょう』

そう言った彼女の表情はいつものように真面目なものだった。しかし、私はこの三人にだけは見せておいた方が良いと思った。だって、もし私がやったことが気付かれなくて置いて行かれたりなんてしたら、それは切り札でも何でもなく、ただの選択ミスになってしまうから。彼女もそれは分かっていたのだろう、彼らだけに見せることは許してくれた。
しゅるしゅると視線が下がっていく。ほぼ床と同じ位置に視線が固定され、マルコとサッチは目を丸くしているのが目に入る。
「グララララ、お前…そんなにちっちゃくなっちまって。踏んずけちまいそうだなァ」
「すごいでしょ?頑張ったんだから」
白猫になった私を見下ろして、彼は大きな口を開けて笑った。とてとてと小さな足で歩いている私のことを腕に抱き上げて彼の腹部に乗せられる。そのまま喉をくすぐられて、私は気持ちが良くてごろごろと満足気に喉を鳴らした。
「吃驚したよい」
「すげぇな!お前、能力者でもないのに猫になれるなんて!」
彼らも私の猫の姿に大きな声を上げて、べたべたと私の身体を触ってくる。肉球を押されたり、耳や尻尾を引っ張られたり。前までの私だったらこの時点で人間の姿に戻ってしまっていただろうが、今は猫の姿でいることに慣れてしまい、長時間変身を解かずにいられるようになった。コツさえ分かれば簡単ですよ、と彼女が言っていたように私も一度コツを掴めば後はそれほど難しくなかったのだ。


――夏島に到着した。動かずにいても汗が滴り落ちてくるような暑さが、襲い掛かってくる。
今アリシアは、ある夏島に上陸している。その島に眠っているお宝の地図を貰ったイゾウの隊が彼女を引き連れて、白ひげ海賊団の活動資金を集める為に探検に出かけたのだ。私は彼女が今どんなものを見ているのかと、思いを寄せた。


 きつい日差しが上から照りつける。ジャングルの木によってそれは大抵遮られているが、私にとってはあまり変わらない。黒のフード付きマントを着てきたは良いが、何せこの島は夏島。尋常じゃない暑さにこの厚着は相当苦しい。額から流れ落ちた汗を手の甲で拭いながら先へ先へと進む。この島は人が入り込めるように開拓されていなくて、木々や草が生い茂っていて中々進行するのが困難だった。まさかこんな熱帯雨林に私が赴くとは。
「あっちー」
「イゾウ隊長…まだっすか……?」
「まだ三十分しか経ってねェだろうが」
ぞろぞろと歩んでいる十六番隊の男達が隊長であるイゾウにぐったりした様子で問いかけている。だらしがない、といつもであれば私は口にしていたが、今の私はそのことを言う資格が無い。彼らと同じく私もこの太陽の照り付けには参っていたから。
なるべく直射日光を浴びないように小さな日陰の中に身体を入れるが、それでも痛い程の太陽の熱を感じる。
隊長命令だか何だか知らないが、私をこんな所に赴かせるなんて。彼は私が吸血鬼で日差しが弱点だと知っているのに、いったい何を考えているのだ。
まさかその弱点を利用してこの場で集団リンチ、なんてことにはならないだろう。いくら太陽の光によって弱っているといっても、これくらいの男たちなら私一人でも十分対応できる。まあ、あの男には手こずるかもしれないが。
彼らが探しているのは金銀財宝だ。その財宝がどこで眠っているのかは知らないが、私としては早く見つけて日の当たらない場所に入りたい。気が急いているのは彼らとて同じで、早くこの暑い島から抜け出したいと思っているのだろう、先程よりも歩くスピードが速くなっている。


――しかし、目的の場所には中々着かなかった。この島はかなり広いらしく、かれこれ二時間近く歩き続けているのに宝が埋められているという場所にはまだ着かない。そして私が日を浴びている時間。それは私の身体を蝕むには容易く、致命的ダメージを与えるには最適な時間だった。
ふらふらと身体を揺らしながら、それでも歩く。こんな所で、人間になんて弱っている所を見せたくないから。
霞みそうになる視界をぎゅっと目に力を入れることによって耐える。くそ、あとどれくらいで宝が見つかるんだ。あと数十分もしないうちに私は日の光が完全に届かない場所に入らなければ死んでしまう。
仕方ない、彼らとは行動を別にして洞窟でも探そう。きっとあの男も納得してくれるだろう。
しかし、私が口を開くより先に、ある男が口を開いた。
「おい、お前ふらふらしてんじゃねェか」
「そろそろやばいんだろ?俺たちが洞窟とか探してくるからお前は日陰で休んでろ」
ぶっきらぼうだが、私を気遣う様子を見せる男たち。良いっすよね、隊長?そう問いかけた彼らを見て、私は思わず目を丸くした。今、私に休んでいろと言った男達は私のことを嫌っていた節があった。食堂で私が一人で食べている時に睨みつけてきたうちの二人でもある。それがどうして、私を進んで助けるのだ。
「なぜだ。なぜ私を助けようとする」
「……お嬢の教育係が倒れられたら困るんだよ」
「…嫌いでも、仲間は助けるんだよ」
けっと呟いた彼らは照れくささがあるのか、私と目を合わせようとはしなかった。そのまま大きな日陰がある所へ私を無理やり座らせて、彼らは隊長の指示を待つ。
「五人ずつに別れて洞窟か洞穴を探せ。見つかったら信号弾で知らせろ」
彼が指示を下すと彼らは大きな声で頷き、汗を滴らせながら別々の方角へ歩き出した。
それを私は日陰から眺めていた。男たちが別々に散らばっていったのを見送ったイゾウは、すっと私に近づいて私を見下ろす。
「変な奴らだ…私を嫌っているのに助けるなど…」
「それが白ひげ海賊団だ。仲間は大切にする」
どんなにてめェの態度が気に食わなくても、弱っている仲間を見捨てようとする奴なんていねェ。そう続けた言葉にそういうものかと私は考えた。

――私は他の吸血鬼に比べて、人間に対する憎悪が強い。身体の中で一部のLILYの血が過去を伝えた当時、私は感受性がとても強くてそれを一身に浴びた。人間が憎い、人間を滅ぼせ。LILYの憎しみは、いつしか私の憎しみに変わって、私は人間を憎むようになっていた。
その年月はとても長くて、そう簡単には消えてくれるわけがない。頑固な染みとなって私の心にこびり付いて離れることはないのだ。

 だから、彼らにはまともに接することが出来なかった。きっと不愉快だっただろう。いくら様の教育係とはいえ新人の私が生意気な態度を取っていたのだから。それなのに、彼らは私を助けようと動いている。
人間というものは不思議だ。たぶん、こういった気持ちは吸血鬼の私にもあるだろうけど、それでも私にはまだよく分からない。
――様なら、彼らの気持ちが分かるのだろうか。


 木陰に入り、ほら。と水を渡してきたイゾウ。その水を受け取り、私は彼を見上げた。彼もまた、不思議な人間だ。
―――パァーン!
ふと、少し離れた場所で高い音がした。あれは、信号弾の音だ。空に上がった色は緑。上を見上げた彼がどうやら洞窟かなにかを発見したようだなと呟く。
「ここからならそう遠くない。歩けるか?」
「当たり前だ。馬鹿にするな」
緑の煙が上がった場所に赴こうと彼が木陰から出る。私も彼を追って木陰から出た。歩きから、たたたっと走り始めた彼に、気を遣われているのかと理解する。急がなくてはいけないが、私の体力の消耗を慮ったスピードだから。
――私は、まだ人間を憎んでいる。
そう簡単には自分を変えることは出来ないから。長い年月を生きてきて、頑固な性格になってしまう老人たちのように、私もそれを捨てることが出来ない。
だけど。ちらり、と前を走る彼を見やる。今は、この人間たちに少し感謝している。


 あの緑色の煙を見て、他の者たちも気付いていたのだろう、洞窟の前には先程別れた数グループの男たちが集まっていた。
「取りあえずお前は休んでろ」
「ああ、…助かる」
彼らが見つけた洞穴は軽く20人は許容できる大きさだった。洞穴の中に入った途端、ひんやりとした空気を感じで思わずゆるゆると溜息を吐いた。日の光が射しこまない奥まで行って地面に腰を下ろす。
「俺たちも暫く休憩するか」
どうやら、彼らも疲れていたのか、ぞろぞろと洞穴の中に入ってきた。水を飲んだり、流れた汗を拭いている彼らを見ながら、私は小さくありがとうと呟いた。
それは誰にも届くはずはなかったのに、入口で立っていたイゾウがふっと笑った。


ざざん…と波が打ち寄せる音と、おかえりと互いに挨拶をかわす声が甲板に響いている。二時間程洞窟で休憩をした私たちは、遅れてそこにやってきたグループが洞穴を探している間に見つけたという宝の在りかへ行き、無事にそれを発見することが出来た。宝が隠されていた場所は巨大な岩で覆われていて、それを見た時自分がなぜこの宝探しに連れ出されたのかを理解した。休憩したおかげで力は有り余っており、私はその岩を拳一つで叩き割り、山ほどある宝を持ち帰ってきた。
「おかえり、アリシア」
「ただいま戻りました、様」
たたた、と小走りで彼女が私の前に現れる。笑顔で言われた言葉にじんわりと胸の中が暖かくなる。彼女は尚も笑ってこう言った、
「何か良いことあったの?」
「えっ?」
――だって、アリシア笑ってるよ?


2013/08/03
きっと、笑いあえる日が来るから

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