22 太陽が、笑う。

――太陽が沈んで一時間経った頃、エースが帰ってきた。
賑やかになっている甲板で、彼が一週間の遠征から帰ってきたことが分かった。私は鋭い聴覚でそれを敏感に感じ取って甲板に向かって駆ける。この一週間で、私は宣言した通り280キロの重りに慣れ、尚且つマルコと戦えるようにまでなった。どうだ、これが私の本気だ。彼にああいったからには絶対に慣れてやると意気込んでいた私は、見事目標を達成できて嬉しかった。今では重りを付けたまま走ったりするのだって朝飯前だ。
「エース!おかえり!」
「おう!!お前やっぱり一週間で慣れたんだな!」
薄暗い甲板の上でも、彼の笑顔は眩しく輝く。私は肌寒さを感じながらも、自然に笑顔になるのを感じた。やっぱり、この船には彼の笑顔が無いと。彼が帰ってきて一気に騒がしくなった周りを見渡して改めて、この兄の偉大さを知る。皆彼が帰ってきて嬉しいのだ。
「ちょうど一週間で帰ってくるなんて、流石エース隊長だよな!」
「あったりまえだろ?ストライカーでなら俺は自由に海を駆け巡れるんだよ!」
「はっはっは!だけどそういやお前、一度ストライカーから海に落ちたことあったよな!!」
そんなこともあったなァとげらげらと肩を叩きあって笑い声を上げている彼ら。私もそれにつられて笑って彼の帰還を楽しんだ。ひとしきり彼と話して満足したのだろう、男たちがそれぞれの持ち場へ戻っていく。彼はそれを見送りながら疲れているのか、くわと欠伸をしていた。
「あ、。お前後で俺の部屋に来いよ」
「?うん、分かった」
彼は鞄を担ぎ直しながらそう言う。とりあえず、汗かいたからシャワー浴びてくる。マルコたちに帰ってきたこと言っといてくれ。そう後ろ手に言いながら去っていく彼。私はそれに頷いて元来た道を戻った。彼は何で私を彼の部屋に呼んだのだろうか。まあ、良いか。きっとエースのことだからまた何か面白いことが思い浮かんだのかもしれない。


 後で俺の部屋に来いよ、と彼から言われていたにもかかわらず、彼の部屋に行けたのは九時を回ってからだった。言い訳をするつもりではないが、マルコやサッチに捕まったり夕食を食べていたりお風呂に入っていたりしたら、彼の部屋に行くのが遅くなってしまったのだ。
とんとんと扉をノックして彼の返事を待つ。ちなみに今私は寝巻の状態だ。会うのはエースなんだから別に良いかと思ってそのままやって来た。
「おう、入れよ」
「おじゃましまーす」
気軽に声をかけて中に入っていく。その瞬間彼のカッと見開かれた目と合う。え、何?何か悪いことでもしたのだろうかと思って私は慌てた。とりあえず、彼の向かいのソファに腰掛けたけど、彼はいつになく真面目な顔付きをしているから、気軽に話しかけられなくなってしまった。いったい、どうしたの。
、お前女なんだからよ、自由に肌出せる夜くらいお洒落をしろ」
「へ?」
しかし、彼が発していたのはその真面目な顔付きに似合わない台詞だった。え?何?それじゃあ、エースは私のパジャマ姿があまりにも女の子らしさに欠けていることに真剣になってたの?
一気に気が抜けた私は、自分の姿を眺めてみる。長袖Tシャツに長ズボン。淡い色でまとめられたそれは、いつも昼間に着ている服に比べたらまだ女の子らしい、と私は思う。しかし彼は気に入っていないようだった。
「そんなお前に俺からのプレゼントがある」
「何?」
ジャーンという効果音と共に目の前に出されたのはフリルがついた可愛らしいワンピースタイプの寝巻。私はそれを見て思わず可愛いと言ってしまった。しまった、そう思ったが彼はその言葉を聞き逃さず、すかさず食いつく。
「お前こういうの好きだよな」
「いや…まあ、嫌いじゃないけど」
曖昧な返事をすると彼は「何だ、はっきりしない物言いしやがって」と言う。更に、お前が可愛いの好きなの知ってんだからなと断定されてしまう始末。まあ、彼の言う通り嫌味にならない程度のフリルは可愛いし、この可愛すぎない紺色も良い。彼が選んだにしてはセンスの良い代物だ。
「お前へのお土産として買ってきたんだけどなァ」
「ありがとう」
どことなく機嫌が下がり始めたような彼に分かった分かったと頷く。そうすれば彼は単純だからすぐさま機嫌を良くして、早く着てみろよと急かす。ちょっと、早くってこれ半袖で今だと寒いんですけど。
そう思いながらも彼が私の為に買って来てくれたからか、それには逆らえずに着替えようとそれを手に持つ。
「後ろ向かないでよ」
「おう、分かってる分かってる」
さっき私が言ったような台詞を彼が真似して頷く。私はさっさと今着ているパジャマを脱いでそのワンピースに着替えた。ゆったりとしたそれはひらひらと膝下でフリルが動く。何なんだ、可愛いじゃないかちくしょう。
「お、やっぱり俺の勘は間違っちゃなかった!」
「ありがとうエース。寒いから着替えるね」
彼は私のその姿に喜んでくれていた。腕が結構寒いけれど彼がそんなに喜んでくれているんだったらもう少しこのままでいようかなと思ったのは秘密だ。この寝巻は春島か夏島付近になったら使わせてもらうことにしよう。
至極満足そうな彼はやっぱり女の子はお洒落じゃないとなと呟いている。女の子に夢を見るのは良いけど、それを私に押し付けないでよ。そう咄嗟に出そうになった言葉はしかし、彼の笑顔を見ると瞬く間に消えていく。
まあ、良いか。一週間ぶりに会った彼がこれくらいのことでこんなに楽しそうにしているのだから、それくらい譲歩してやっても。
「ナースたちとはいかなくてもお前だってお洒落すりゃ可愛いんだから、もっと頑張れよ」
「……」
最後の一言さえなければ、そう思えていたかもしれない。


 俺が遠征した時にふと入った婦人服の店。そこには俺には理解が出来ない程の種類の洋服が並んでいた。こういったのを女たちはよく好んで、何時間も時間をかけてショッピングを楽しんでいるよなァ。しかし、俺が一番最初に浮かんだのはそれとは程遠い白い髪の少女だった。少女――はいつもフード付きパーカーとスキニーパンツを着ている。それは彼女によく似合っていたけれど、日光に怯えなくて良い夜ぐらい違った洋服を着ればいいのに。そう思った。
「彼女さんへのプレゼントですか?」
「ん?…ああ、まあそんなとこだ」
話しかけてきた店員は少し勘違いをしているようだったが、俺はそれを訂正するのは少し面倒くさくてそのまま頷いた。可愛すぎないやつが良いんだけどな。あいつはきっとあまりにも女の子しているやつは好きではなさそうだから。そう思いながら店を物色していく。
「お、」
ふと、窓際に置かれたマネキンの着ているワンピースが目に入った。紺地のそれは程よいフリルが付いていて甘すぎでもなければ地味でもなかった。彼女の好みに丁度会いそうなやつだ。どうやらこれは寝巻のようだが、まあ良いだろう。彼女は寝る時ぐらいお洒落をすれば良いのだ。洒落っ気のない妹のことを少しずれた観点で気にかけながらも俺はこれにしようと決めた。
これを渡した時はいったいどんな顔をしてくれるだろうか。喜んでくれると良いんだけどな。でもあいつは変な所で自分は好きな服が着れないとか思っているから素直に喜ばないかもしれない。まったく、困った妹だ。
帰った時の彼女を想像しながら会計を済ます。あっという間に持ち金が無くなってしまったけど、まあ良いか。

――彼女、はナースたちのような華やかさは無いけれど、彼女たちと同じように人を惹きつける魅力がある。
身体付きだって容姿だってナースのような艶やかさはない。しかし、彼女には凛々しさがあった。誰にも侵されることのない彼女の精神を表すかのような雰囲気に、薔薇のように赤いミステリアスな瞳。だけど、誰よりも無邪気で楽しそうに笑うその笑顔。ころころと変わるその表情と、彼女の人より少し弱い心が何よりも彼女の魅力だった。
俺にとっては妹だから邪な感情なんて浮かぶわけはないけれど、時々彼女が俺の前で無防備に眠りこけている時、俺はどうしようもなく彼女をもっと近くで見たいと思ってしまう。
「……」
長くくるりと上を向く睫毛。太陽の光を吸収しない白皙の肌。唯一色を放つ桃緋色の唇に、俺は無意識に彼女に顔を近づけてしまう。
寝ている時の彼女はまるで完成された人形のようだった。パーツ一つ一つが非常に優れているわけではない。平凡並みかそれより少し上くらいの容姿であるはずなのに、全体として見ると彼女は愛らしい。きっと、愛される造形をしているのだ。何よりも彼女が望んでいるのは、愛されることだから。人に愛されるようにそう作られたのだろう。
「おーい、起きろよ」
つんつんと彼女のほっぺを突く。ぷにぷにと弾力のあるそれに何度も人差し指で押し続ける。彼女はううんと鬱陶しそうな声を上げたけれど俺は気にせずそれを続けた。
眉の寄った彼女の寝顔を見て思わず笑えてくる。

――ああ、本当にこの妹は何よりも愛らしい。


2013/05/13
月が笑えるようにと

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