20 消えない痕を、残して

 アリシアが新しい仲間になってから、一週間が経った。今では彼女が加わった生活に慣れてきて、また余裕が生まれ始める頃だ。今までは彼女に吸血鬼の知識を叩きこまれる合間に、マルコたちと手合せをしてゆっくりする暇もなかった。しかし、これくらい経つと段々耐性が出来てくるものなのだろう。
彼女は相変わらず一週間経ってもこの船の皆と馴れ合う様子は見られない。必要最低限の会話しかしない彼女に、この船の男達は少なからず不満を胸に溜めているようだった。きっと彼女は私の教育係以外では他の人間と関わらなくて良いと考えているのだろう。でも家族たちはそれを良く思っていない。アリシアの気持ちも汲んでやりたいけれど、家族の気持ちもどうにかしてやりたい。なるたけ強制はしたくないんだけどなぁ。そう心中呟いてどうすれば良いんだろうと悩む。
私といる時以外は一匹狼のように孤独を好む彼女は、どうしたら良いんだろうか。彼女はそれで良いと思っているかもしれないのに、私は変におせっかい焼きで彼女のことが気になる。彼女は時々思い出したかのようにここを出て仲間の所に行きませんかと説得してくる。私はそれに毎回行かないと答えるけれど、彼女は彼女の仲間がどんなことをしているのかとか、ここにいるより豊かな暮らしが出来ますよとか色んなアプローチをめげずにしてきた。私は、そういったのも彼女とのコミュニケーションの一つだと考えていたから、彼女の仲間の話を訊いたりした。彼女に期待させているってつもりはないんだけど、やっぱりそういうのも彼女の心の負担になっているのだろうか。
「おい、。考えごとか?」
「ごめん、集中する」
今は久しぶりにイゾウとの手合せの時間だというのに、全く違うことを考えてしまっていた。今はこの手合せに集中しようと彼女のことを考えるのを一時的に止める。ガガガと連続で繰り出される拳に避けることなく全て受け止めた。今、私が課せられているのは彼からの攻撃を一度も避けずに受け止めることだった。その最中に攻撃もしてこいと言う彼に、拳の合間を潜って蹴りを放つ。
「おっ、今の危なかったぜ」
「油断してると伸しちゃうよ」
――生意気な口利きやがって。彼は私の冗談に笑って、拳の速さを速くした。しかし、それは動体視力が強化された私には全て見切ることが出来る。避けちゃ駄目だから少し難しいんだけど。そう心中呟いて彼の拳を全て受けた。バシンという強い音がトレーニングルームの中で何度も響く。
段々と彼も熱くなってきたのか、繰り出される技が強くなってきた。私はそれを受け止めながら、無意識に彼女のことを考えてしまっていた。


 私は四六時中様と一緒に過ごしているわけではない。私は彼女の教育係という立場だけど、彼女の臣下には違いなくて、そんな臣下が王の傍に四六時中引っ付いて回るのは失礼だからだ。見知らぬ場所ならそういうこともあるだろうが、今は彼女の家――これは非常に不本意だが――にいるのだし、彼女の傍にはいつも誰かしらがいるからもし危険なことがあっても周りに助けてもらえる。要は、私は彼女が自室に帰ってくる時や指導を受ける時にしか会わない。あとは、合間合間に話をしたりするけれど。
だから、私が今こうして一人で昼食を食べているのはまったくもって不思議なことではない。きっと彼女は思っていたよりも十六番隊隊長との特訓が長引いているのだろう。しかし、周りから投げかけられてくる視線は心地の良いものではなく、むしろ多少の不満が篭ったもの。きっとここに様がいたらこんな目を向けられることはないのだろう。私はこんなもので悲しくなるような性格ではないし、そんな年もとっくに過ぎていたけれど、それでも不快感はあった。覇気と殺気を混ぜて彼らに放ってやっても良い。しかしそれでは彼女の顔に泥を塗ってしまうだろうし、彼女は傷つくだろう。彼女は私と彼らが仲良くしてほしいと望んでいるようだから。しかし私にはそれが出来そうにない。なぜって、私の中には人間に対する憎しみと怒りが常に渦巻いているから。
「よお、前良いか?」
「勝手にしろ」
どかっという音を響かせて私の前に座ったのは二番隊隊長の火拳のエース。たまに私に話しかけてくる変わった子供だ。この子供はよく様と楽しそうに遊んだりしている気の良い兄貴――だと、以前彼女が仰っていた――だ。年は一つしか違わないけれど、彼女のことを年の離れた妹のように可愛がっている。本当に彼らは本当の兄妹かと思う程仲が良い。
どんっと置かれた目を見張るような量の昼食は全て肉類。血を好みながらも野菜を主食にしている私には、到底食べることができなさそうな量だった。私は相変わらず仏頂面を崩すことなく昼食を続ける。彼が来たことによって、今まで私に向けられていた嫌な感じの視線は少し少なくなった。彼はそういうことを気にして私の傍に座ったかもしれないが、私はそんなことを頼んだ覚えはないから礼など言わなくて良いと自己判断を下す。私はあんな視線があったってどうともしないのに。
「…お前メシ食ってんのかよ」
「今食べているだろ」
お前の目は節穴か。そう言うとそうゆーことじゃなくて血のことだよと彼は意味ありげに眉を上げた。
――ああ、そのことか。私は彼に話しかけられたことについて面倒だと思いながらも、医務室の予備から貰っていると返した。あとは、たまに様が持って来てくれた瓶の中の血など。
「ふーん、そうか。なら良いんだ」
「…??」
この子供はいったい何を考えているのだろうか。私の食生活なんかを知って、いったい何がしたいのだろう。煩わしい。私は人間たちと出来る限り関わりたくないというのに、どうしてこの少年は私に構ってくるのだ。彼の言葉の意味を理解することが出来ず、思わず眉が寄る。
少しの苛立ちが胸の中に生まれた。けれど、ここでいざこざを起こすわけにはいかない。私は皿の上の残りを出来るだけ早く口の中に入れて席を立った。
――私は、様以外と関わる気はない。放っておいてくれ。
そういった思いを込めた目で私は彼を見下ろした。彼はそんなことには気付かずに――気付いていてもそんな様子を見せなかっただけかもしれないが――手を振った。
ふん、と鼻を鳴らして食堂を後にする。私に関わるな。必要最低限の干渉で良いのだ。それだって我慢しているのに、どうしてこれ以上付き合わなければならない。
私は不愉快な気分のまま様の部屋に向かった。


 彼女、アリシアが来てからは一日おきに俺の部屋で寝ている。サッチと俺の部屋を交代で訪れているのだ。あの教育係が彼女の部屋を占領してくれている事に、少し感謝をした。彼女がそうしているおかげで、俺はと一緒に過ごすことが出来るのだ。同じベッドで寝るというのは、今でも少し抵抗がある。あの時のことを俺たちはまだお互いに忘れることができないこととして心に残っているから。それでも、少しずつ俺たちの仲は修復されてきている。そう俺は思っている。そうだと、信じたい。
お互いに怖いと思う時はまだある。手を握ろうと思って彼女の手に触れた時、彼女が小さく肩を跳ねさせることとか色々。だけど、たぶんそれは彼女も一緒で。お互いに傷つきながらも、あの頃の俺たちに戻れるように努力をしていた。
……」
彼女を壁側に寝かして、それを抱きかかえる形で俺たちはいつも寝ている。今、彼女は俺より先に寝てしまっていて、俺はまだ眠ることが出来ずに彼女の寝顔を眺めていた。暗闇の中でも微かに確認することができる、彼女の寝顔。それはあどけなくて、子どものそれだった。何よりも、愛しいこの娘。彼女は同じ年頃の女の子たちよりも幼い顔立ちをしている。身体つきもまだまだ発展途上といった感じで。だけど、最近ではそれの理由が分かってきた。彼女は吸血鬼。不死者の王だ。ある程度の年齢まで達した彼女は徐々に老いるスピードが遅くなってきたのだろう。それは、成長することを止めているのと一緒だ。だから、彼女はもうすぐ成人だというのに、こんな幼い外見をしている。実際はそんなに子供というわけでもないのに、この船の連中が彼女を子ども扱いしたがるのはそういうのが原因に違いない。
彼女の首筋に顔を埋める。すう、と息を吸い込むと彼女とボディーソープのほのかな香りが鼻腔を擽って、俺は彼女のことをより強く腕に閉じ込めた。


――ちり、と首筋に微かな痛みを感じた。いつの間にか寝ていたのか、カーテンから射しこむ光は朝の淡い色だ。いったい何なんだと視線を徐々にずらしていくと、が目に入った。なぜか彼女は俺の首筋に顔を埋めている。
…?」
そうっと彼女の名前を呼んでみるけれど、彼女は返事をしない。すうすうと静かな寝息を立てているだけだ。寝ぼけているだけか、と思っていると、彼女はまた俺の首にかぷりと噛みついた。それは、いつも彼女が俺たちから血を貰う時よりも強い噛み方で、思わず眉を少し寄せる。最近彼女はこうやって、寝ている時に首筋に噛みつくのが癖になっていた。今まではそんなに強くなかったのに、今日はかなり強く噛まれた。
――痕、残ったかもなァ。
そんなことを考えながらも再生の炎を出すことをしない。彼女に付けられた噛み痕を消すのがもったいなくて消せないなんて、俺も大概だよなァ。そんなことを思いながらも、嬉しくて自然に口元が歪む。
ちう、とそのまま首を吸い上げる彼女はきっと、血を飲んでいる夢でも見ているのだろう。たらふくになるまで飲めば良い。それが、たとえ夢だとしても俺は彼女が腹いっぱい満たされるなら、それを望む。
彼女が自分は吸血鬼だと明かせなかった時、彼女は飢え死にをする寸前まで血を飲むことを我慢していた。だから、今はそんな不幸せな思いをさせたくない。この少女が、お腹がいっぱいで、元気よく生きて何よりも幸せであってくれることが、俺の幸せなのだ。
この首についた綺麗な歯型を、どう隠そうかと悩みながら、俺は小さな幸せを感じる朝をゆっくりと過ごした。

2013/05/05
それが、俺を繋ぎとめる鎖だというのなら。

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