18 海と森を持つ者

 あの後、サッチは当然のように私とアリシアを二人きりでいさせようとはせずに、見張りとして彼と共に寝ることになった。私を彼女から守るように壁際に私を押しやった彼は、先程までの苛立ちが少し収まった顔をしていた。
――アリシアは私を傷付けない。きっと、危険なのはサッチの方なのに。そう思いながらも、彼が私を腕の中に閉じ込めるから、私は何も言うことが出来ないで、昨夜は眠りについた。


そして翌朝、私たちはパパの所にアリシアを連れて行って昨夜の出来事を話した。彼はいつの間にかモビーに侵入していた彼女に厳しい視線を向けていたが、彼女がしばらくこの船で世話になりたいということに頷いた。それをサッチがどうしてだよと珍しく彼に突っかかるけれど、彼はサッチを諭すように静かに声を出す。
は吸血鬼の社会のことも、自分自身についてもよく知らねェ。無知ってことは罪じゃねェが、それのせいで危険にさらされることだってないわけじゃねェ」
「流石白ひげ。よく分かっておられる」
そういうことだ、息子よ。彼はそうパパから言われて忌々し気に彼女を見た。
彼女はパパの前でも気後れすることなく彼を見上げていて、私は表面には出さなかったけど少し吃驚していた。どんな者だって彼を初めて見た時は畏怖の念にかられることが多いのに、彼女には全くその様子が見えないのだ。
――吸血鬼の社会は恐ろしい。
何となく、そんな漠然とした思いを抱えて私たちは彼の部屋から去った。


 そして、今。アリシアは白ひげ海賊団のクルーたちの前で、新しい仲間だと紹介されている。
「私は、我が君の教育係のアリシアだ。我が君以外の命令には従う気はないから覚えておけ」
彼女がそう自己紹介をすると同時にざわざわと多々から声が上がる。新人の癖に生意気な、だとかそれじゃああいつも吸血鬼なのか?とか、他にも聞き取れない程にざわついていたけれど、私は彼女のその発言から変に彼女が目を付けられても芳しくないと思って、声をかけた。
「アリシア、お願いだから隊長たちの指示には従って…」
「…我が君がそう言うのでしたら…」
彼女はそのことは嫌そうだったけれど、了承してくれた。これで、彼女を変に目の敵にするような輩は少なくなるはずだ。未だに甲板はざわざわと話し声で五月蠅いが、彼女はその声の波よりも日の光に眉を寄せて早々に大部屋の中に引っ込んだ。
「お前、昨日の夜にそんなことがあったのかよい…」
「ごめん…助けを呼べるような状況じゃなくて」
危害を加える気もないって言ってたし。私の目の前に現れたマルコは、昨夜のことについて何も知らされていなかったことについて少々不満気だ。はぁ…と溜息を吐いた彼は、とにもかくにもお前がまたどっかに行っちまわなくてよかったよいと私の頭を撫でる。
――心配しなくても、私はもう二度と誰に何も言わずに出ていくことなんてしないよ。
そう心の中で呟いて、彼の手を握る。とりあえず、彼女を大部屋で寝かせるわけにもいかないし、彼女の部屋の相談でもしに行こうと、彼女が入っていった大部屋に足を向けた。
「アリシア」
「はい」
彼女のもとに向かった私の後からサッチとマルコがついて来る。これじゃあまるで威嚇しているようではないか。しかし彼らは私の保護者としてまだ認めていない彼女から私を守るためにそうしているのだろう。彼女は一瞬私の背後にちらりと目を向けたが、それには気にしない様子で私の前に腰をかがめた。
「あなたの部屋のことなんだけど、」
「お気を使っていただかなくて結構です。私はここで良いですから」
私の言葉を全て訊き終る前に彼女が煢然として言う。もしかして彼女は私の部屋を使ってという言葉を予想していたのだろうか。でも、ここは彼女以外皆男しかいない。こんなこと言ったらきっと皆怒るだろうけど、はっきり言ってむさ苦しいしプライバシーも何もない。それに彼女はとても綺麗だから何かと言い寄ってくる男も多いかもしれないではないか。
もし不逞な輩がいたとしても、自分で対処できますから。そう続ける彼女に何だかなぁと思う。彼女は私をこの船から引き離したがっているけれど、彼女は私の部下であってそんな彼女をこんな所で生活させるのは嫌だ。
「今は部屋の空きが無いから私の部屋を使って」
「しかし、我が君…」
尚も私の好意を受け取ろうとしない彼女に、これは命令と押し切る。どうにも彼女は堅い性格をしているらしい。もう少し肩の力を抜いて接してくれればいいのに。でないと私まで疲れてしまう。彼女にそう押し切ると、彼女は分かりましたと頷いた。
「ですが、我が君はどこで寝られるのですか?」
「私はサッチかマルコのとこで寝るから大丈夫」
今までもそうやって暮らしてきたんだし。そう言ったところで、そう言えば彼らに何もお願いしていなかったことに気付く。はっとして後ろを振り返れば、サッチは何だそんなことかと笑顔になった。マルコは、良いのかな?少し不安になって彼を見ると、少し逡巡した後良いよいと頷いてくれる。
そんな二人の様子にほっとして私は「ね?」と彼女を見た。そうすれば彼女はそうですか、と納得してくれたようだ。まあ、私の荷物が置いてあるから結局昼間とかは共用みたいになってしまうけど、自由に使っていいから。そう付け加えれば、彼女は身に余る光栄ですと頭を下げた。
「我が君、」
「アリシア」
私に何か言いかけた彼女の言葉を遮って彼女の名前を呼ぶ。遮ってしまったことは申し訳ないけれど、先程からずっと気になっていることがあった。それは、彼女が私のことを我が君と呼ぶこと。ルイーゼたちも私のことをそう呼んでいたけれど、私はその呼び方にいつも違和感を覚えていた。私は誰かの上に立つような性格ではないし、何よりも私は吸血鬼の王以前に一人の人間――として生きているのだ。名前を呼ばれないというのは寂しい。
「その我が君っていうの、やめてほしいな。名前で呼んで」
「ですが、我が君…御名をお呼びするなど…」
思った通り彼女は私のお願いに渋る様子を見せる。それでも私は諦めるつもりはない。なるべく自発的に呼んでほしいのだけれど、もし彼女が名前で呼んでくれないというなら命令で聞き入れさせるしかあるまい。他のことでは彼女にあまり命令――もともと私は誰かに命令するような人間ではないし――したくないけど、これだけは仕方がない。
そうすればそれを後ろで黙って見ていたマルコが、彼女に「コイツは一度言い出したら頑固なんだよい」と言う。頑固、なんて言われたってしょうがないではないか。私はこの船で何年も色んな男たちの性格を見てきてそれを皆から少しずつ吸収して成長してきたのだ、簡単な性格になる方が難しい。
「……では、様とお呼びします」
「…うん、分かった」
私としては呼び捨てが良かったのだけど、彼女がお許しくださいと言うのでそれで勘弁することにした。後ろでサッチが様って違和感が…と呟いているが、私だってそうだ。呼ばれる立場が一番違和感を感じている。
とにかく頑張ってくれた彼女にありがとうと言えば、彼女はいえと言ってまた頭を下げた。

 私は白ひげ海賊団のクルーたちを観察していた。猫の姿となった今では誰にも警戒されることなくそれを行える。
 ライジャム島で我が君を発見できるだろうというシャーダイの言葉に導かれて、その島までやってきたが中々彼女は見つからなかった。何日か前に出た手配書で彼女の顔と名前は知ってはいたが、その特徴を持つ者がいない。しかし、あの予言者の力は本物だと認めていた私は猫の姿で街を歩き回ることにした。
何時間か街をうろついた所で、背の小さな白髪の少女の後ろ姿を見つけた。隣には黒髪のガタイの良い青年が並んでいる。私と同じくらいの背丈だなと思いながら、どうやって彼らと接触しようかと思案した。彼らは珍しい物に目を奪われてちょこまかと動き回っている。私はそれにゆっくりとついて行きながら、捨て猫の振りをしようと考えた。安易な考えかもしれないが、猫として白ひげの船に乗り込む方が警戒心を抱かせずにすむからだ。
そう決めて、彼女たちの視界に映らないように彼女らを追い越して、彼女の目に付きそうな路地裏に入り込んだ。ちょうどそこにはくたびれた段ボールが捨てられていて、私はその中に入った。汚くて気分が悪かったけど、今しばらくの辛抱だ。
「あ…」
思った通り彼女は私の姿を見つけてこちらに来た。彼女に催眠をかけることは無礼に当たるが、この状況では仕方がない。彼女に催眠をかけて船に乗せてもらおうと私は考えていた。しかし、彼女の薔薇のような瞳を見上げた途端、そんな心は脆く崩れ落ちた。
彼女は、私にそんな催眠をかけられなくとも、既に私に対する同情心でいっぱいだった。彼女は気付いているのだろうか、自分が酷く泣くのを我慢しているような表情で眉を寄せているのを。
慈悲深い、人だと思った。同時に、私はこんなに純粋な人を催眠にかけようとしていたのかと思うと恥ずかしくなった。彼女はそんなことをしなくても、私を守ろうとしてくれたのに。この人は、誰かの上に立つには、優しすぎる。
私はただ鳴くことしか出来なかった。


 そして数日間白ひげ海賊団の男たちを観察していて分かったこと。それは、彼女がどのクルーたちからも愛されていることだった。特に、不死鳥マルコと四番隊隊長サッチは彼女のことを溺愛しているようで、それが顕著に表れていた。そろそろ正体を現すかと決めた時は、彼女は私を敵だと見なして睨みつけていたのに、話し合いが終れば、私のことを仲間として受け入れたような態度を取る。
不思議な人だ。私はこの船の連中とは馴れ合うつもりなどないから距離を開けておこうと思ったのに、彼女はそれをどうにかして縮めようとする。
しかし私は、それに揺らぐほど甘くはない。


2013/05/01
馴れ合う気など無い。

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