16 結構、結構。好都合だわ!

「おい、。何抱えてんだ?」
「猫だよ。可愛いでしょ?」
自室に戻ろうと歩いていると、前方からイゾウがやって来た。まず最初に私の顔を見て次いで猫に視線を移した彼は何でそんなものを、と目で問いかけているのがすぐ分かる。


 エースとあの後船に戻った私はマルコとサッチにこの猫を飼って良いかとお願いしたのだ。最初はそれはもう反対された。「動物を育てんのは思ってるより大変なんだぞ」とか「何か病気持ってたらどうすんだよい?」とか二人から無責任なことをするんじゃないと怒られた。エースは帰る前に言っていたように、私と一緒に怒られてくれた。ただ、口出しはしなかった。これは私の決めたことだから。
「サッチだって私のことを拾ったくせにどうして私が猫を拾っちゃいけないの?」
「そりゃお前、あの時の俺は成人してたんだ。自分のケツくらい自分で拭ける」
「でもマルコに反対されてたのにその反対を押し切ってたでしょ」
こう言うと彼はうっと返事に詰まった。こいつあの時のこと覚えてるからタチ悪ィぜ。ぼりぼりと左目の傷を掻きながら彼がそうぼそりと呟く。ハァ…と溜息を吐く彼に、私は意志を曲げる気は無いという目で見つめた。
「私は、助けられる命があるのにそこで見捨てるなんてやだ」
腕の中でにゃうと鳴いた猫をぎゅっと抱きしめる。こんな子を捨ててこいだなんて大人たちは何て酷いことを言うのだろう。私はあの時サッチに拾われていなければ死んでいたのに。
――それじゃあ、どうしてサッチはあの時私を拾ったの?
小さな声でそう呟けば、彼は数秒押し黙った後吸い込んだ息を長々と吐き出した。
「サッチ、今回は俺たちの負けだよい」
「ズリィなぁ…そんなこと言われちまったら頷かないわけにはいかねェじゃねえか」
微笑を浮かべたマルコがサッチの肩をぽんと叩いて、私のことを見下ろした。ちゃんと責任持って育てろよ。そう彼が言った言葉にうんと頷く。隣でずっと静かにこの場を見守ってきたエースは、話が終わると良かったなと私の肩を叩いた。
こうして私はこの猫を飼うことを許されたのだ。
マルコはこの事は一応オヤジに知らせておくよいと言って、そこから消えた。
お前も、何かを守りたいと思うような年になったんだなァなんてしみじみと呟いているサッチに、許してくれてありがとうと言う。彼はそんな私の頭をくしゃくしゃと撫でて、ふっと笑った。


「ふうん、そんなことがあったのか」
「許してもらえて良かった」
今私はイゾウと一緒に自室にいる。事の要点をかいつまんで彼に説明するとそうかそうかと彼は頷いた。未だに猫は私の腕の中で大人しく収まっている。時折くわ、と欠伸をする以外動かないこの子は基本的に大人しいのだろう。
「ところで名前決めたのか?」
「まだ。何にしようか考えてた所なんだ」
私の前に腰を下ろしている彼はじゃあ俺も名付けを手伝ってやるよと意気込む。何だか彼の顔が生き生きと輝いているように見えなくもない私は少し嫌な予感がしたけれど、彼の行為に素直に頷いた。
「じゃあ…金剛力丸ってのはどうだ?強そうだろ?」
「却下らしいよ。それにこの子女の子だから」
私の膝の上にいるこの子はまるで彼が言っている事を理解しているように顔をぷいっと逸らした。たぶん、気に入らなかったのだろう。生意気な猫だ。彼がぼそっとそう呟くのが聞こえたが、私はそれに気づかない振りをして他には?と促した。
「うーん、まる子ってのはどうだ?マルコとお揃いだぞ。ワノ国では結構有名なんだが」
「却下だって。もっとお洒落な名前が良いんだよきっと」
まる子……って。発音は同じなんだからどっちを呼んでいるか分からなくなりそうじゃないか。きっと彼はマルコの名前をこの子に付けて何かとからかってやろうという魂胆だったのだろう。しかし、彼女がまた拒否反応を見せたのでそれは没になった。
「サフィラっていうのはどう?」
「また大層な名前付けやがって」
猫なんてタマとかで良いんだよ。そう言った彼の声を遮るようににゃぁんと彼女が鳴く。もしかしてこれは了承という意味だろうか。もう一度サフィラと呼べば、また彼女はなぁんと返事をした。
「じゃあサフィラに決定ね」
「猫にはもったいないな」
彼女の名前が決まったことで私は気分が良くなった。彼も口ではそんなことを言いながらも、実際は猫に手を伸ばして頭に触れようとしている。しかし直前で彼女に手を引っかかれてその手を引っ込めた。
「って!この猫!!」
「さっきからイゾウがぶつぶつ言ってるから嫌いになっちゃったのかもよ?」
くすくす笑いながら彼を見ると、彼はケッと口を歪ませて引っかかれた手の甲を擦っていた。思っていたよりも猫に引っかかれたのは痛かったのか、「ん」と手を差し出してくる。それの意味を理解した私は彼の手をとってぺろりと舐めた。赤い線が三本あったそこは、みるみるうちに元の肌色になっていく。それを見た彼は満足そうに頷いた。
「猫はどうでも良いけど、お前。猫に構いすぎて鍛錬怠るなよ」
「はーい、分かってるよ」
じゃあ俺はそろそろ帰ると彼は立ち上がる。私はそれを扉まで見送った。ぱたん、と隣りの部屋の扉が閉まる音を聞いてから、私はベッドに横になる。するりと、一度私の膝の上から床に降りたサフィラが私の横に腰を下ろして横になった。
「これからよろしくね、サフィラ」
「なぁーん」
一鳴きした彼女と、私は少しの間昼寝をすることにした。


 ライジャム島のログは二日で溜まった。どうやら今回もそんなに記録に時間がかかるような島ではなかったようだ。ライジャム島で拾った新しい家族――サフィラを連れてモビーディック号は航海に出発した。
彼女を拾ってから一日経った今では、私が猫を飼い始めたことを知っている者がたくさんいる。猫嫌いな者は極力サフィラが傍にいる時は私に近寄らないようにしているが、彼女がふらりとどこかへ散歩に行くとわらわらと寄ってくる。そんなことの繰り返しだった。
「サフィラか。お前にしちゃあ、センスのある名前だよい」
「どういうこと?」
食堂の中で昼食を食べている最中、前に座っているマルコが微笑しながらそう言った。私の足元では、魚の刺身を食べているサフィラがいる。
きっと彼はあの頃のことを言っているのだろう。私がまだ幼かった時、私は与えられたぬいぐるみに名前を付けていた。そのぬいぐるみの名前がブイブイちゃんだったりゴロッパちゃん――ごろっと倒してもぱっと起き上がったことが由来する――だったり、他にも変な名前を付けたぬいぐるみは沢山いた。
その時のことを思いだしているのか、彼は本当にまともな名前だねいと呟く。隣にいたサッチも確かになと笑っているから彼もあの時のことは覚えているのだろう。
私は少しの気恥ずかしさを感じながらも、足元でお皿に並べられている魚を食べている彼女を見下ろした。この子にだけじゃなくてあのぬいぐるみたちにだってまともな名前は付けられた。ただ、そうしなかったのはそれじゃあつまらないと思ったからなのに。サフィラにはそんな面白さなんて求めていないからこうやってきちんとした名前を考えたのだ。
そんな風に彼らに説明したかったけれど、きっと彼らはムキになった私を見て笑うのだろう。そうなるんだったら、別に言わなくても良いか。そう思って私は昼食を食べた。


 私はサフィラと一緒にいるのが好きだった。彼女の見た目が可愛くて癒されるというのもあるが、何より、私より弱いものを守っているという気持ちを持つことができるから。私は今まで末っ子で、いつも誰かに守られてきた。怪我をすればすぐに助けの手が伸ばされたし、泣いていたら誰かが私のことを笑わせてくれた。私はいつも誰かに守られなくてはいけない弱い少女だったのだ。
だけど、サフィラが来てくれたおかげで私にも守るべきものが出来た。守られてばっかりの子供じゃない。今は、ちゃんと私にだって守りたい命がある。そんな気持ちが私を強くしてくれたのだ。
だからどんなに特訓でマルコに攻撃をくらおうと何度だって立ち上がることが出来た。この子を守るためには、強くならなくてはいけないから。
大切な人たちが手のひらから落ちていくのは嫌だ。私はこの船の皆を守りたい。今はまだまだマルコたちには敵わないけれど、いつか、この船の皆を守れるようなそんな強い存在になりたかった。だからまずは、この可愛い猫を守れるように強くなる。
「サフィラ」
「にゃーん」
彼女を呼ぶと、彼女はいつだって返事をして私の所に来てくれる。たとえ、クルーたちから何かおやつを貰っていても、彼女はいつも私を優先させてくれた。可愛い、私の猫。
ととと、とやって来た彼女の喉をくすぐってやる。彼女は目を細くしてごろごろと満足気に喉を鳴らした。
「サフィラを拾って良かった」
「なうん」
彼女の頭を撫でると、彼女はそうでしょう?というように鳴いた。
――本当に、そうなんだよ。あなたは私が守ってみせるからね。


2013/04/30


inserted by FC2 system