15 弱いものを守るという傲慢

「ちょっ、エース!」
「ひゃっほー!!」
ダダダと駆けてモビーから飛び降りる彼。彼だけが飛び降りるのならそれで良い。私はきっと笑いながら、またあんなことしていると見ていただろう。しかし、彼が私の腕を掴んでそのまま陸に向かって飛び降りたから私はぎょっとした。
何て言ったって私は今でこそあんな風に特訓をして強くなってきているけれど、元は普通の女の子だったのだ。それを、急に引っ張って何メートルも離れた地面に飛び降りるだなんて。
落下特有の下腹部を持って行かれそうな感覚を覚える。あっという間に地面に近づく私の身体に悲鳴を上げたくなるけれど、そうなる前に私はしっかりと両足で地面に着地した。日頃の特訓の賜物だろう。
「何すんの!!エースのバカ!」
「バカとは何だよお前!」
吃驚したでしょ!!と大声で彼に叫べば、別に減るもんじゃないから良いだろなんて彼がむすっとして返してきた。減る、減らないの問題じゃなくて私がこの飛び降り自殺の犠牲者になるところだったことを言っているのに、何で彼は分からないのだろう。
「おい、。上陸直後からエースと喧嘩してんだったら、俺と一緒にくるかい?」
――げっ。
モビーから落ちてきたマルコの声に、彼は嫌そうな声を上げた。私はエースと目が合った時に一緒に島を回ろうぜと誘われたのだ。そのことをちゃんとマルコとサッチには言ったから、彼はこうやって喧嘩まがいなことをしている私たちを見て不安に思ったのだろう。今では私もお尋ね者の一人になってしまったから、出来るだけ不安の芽は摘みたいに違いない。
しかし、この兄貴はマルコのその言葉で心を変えたのか、悪かったなと素直に謝ってくれた。最初からそうしてくれれば良かったのに、とは思うがそう言うとまた彼が機嫌を損ねると思った私は、良いよと返した。
「じゃあ行こうぜ」
「うん」
彼はそれで機嫌が元に戻ったのか、寒さに負けないような笑顔になる。当たり前のように彼の温かい手でぐいっと引かれた私は、それに頷いて街に向かって歩き出した。
喧嘩も仲直りも私たちは一瞬で終わるのだ。

「何だかんだ言ってあいつら仲良いよな」
「たたっ切ってやりたいよい」
「……男の嫉妬は醜いぞ…」
船の上でそれを見ていた保護者二人がぼそりと呟いた言葉を、傍を通ったジョズが耳に挟んで溜息交じりで呟いた。


「うわー、綺麗」
「おー!クリスマスでもないのに豪華だなァ!」
モビーから出てきてから数十分。私たちはライジャム島一番のショッピング街にやってきていた。とりあえず観光でもするかということでここに来たのだが、雪で覆われた町がきらきらと電飾で飾られている綺麗な光景に私たちは早速目を奪われている。
エースの左手に包まれている私の手はぽかぽかと彼の体温を享受して手袋いらずだ。しかし、反対側の手は冷気で冷えてしまっているからコートのポケットに入れておく。
「あー、腹減った!メシ食いに行こうぜ」
「もう?さっき朝ご飯食べたばっかりなのに」
隣でぐぎゅるるるると情けない腹の虫を鳴かせた彼が、眉を下げながら私を見下ろす。へらりと笑いながらお願いだよと彼は懇願した。私はそれに呆れた視線を寄こしながら「仕方がないなぁ」と頷く。
途端に「よっしゃァァ!」と元気になる彼。全く、こんなに食い気に溢れてこの人は大丈夫なんだろうか。食べすぎとかで身体を壊したりしないのだろうか。そんな事を考えながら、彼がどのお店に入ろうかなァと悩んでいるのについて行く。
「おっ、ここにしようぜ」
彼が選んだ店に手を引かれて入っていく。店の中に入ると、暖炉の暖かな空気が身体を包み込んで寒さで固くなっていた身体が解れた。部屋の中の温度にほっと一息つくと、丁度席が空いていたのかウェイトレスの女性がこちらにどうぞと案内してくれる。
店内は中々小奇麗に整頓されていて、席には小さめの花が数本活けられている。お願いだから、こんな所で食い逃げだけはしないでほしい。エースにそういった意味を込めた目で見ると、彼は分かってるさというような視線を私に返した。本当に私の視線の意味を分かっているのだろうか、この兄貴は。
「俺、牛肉たっぷりミートソーススパゲティととろとろシチューと牛ヒレのステーキな。あと……」
「私はこのサンドウィッチで」
エースが全ての料理名を言い終わってから私の注文を済ました。注文をとりにきた男性は、彼が頼む料理の多さに目を丸くしながら忙しなくメモをとっていく。かわいそうに。
「ねぇ、そんなに頼んでお金大丈夫なの?」
「ああ、今日は大丈夫だ。オヤジから貰ってきたからな」
店員さんたちに聞こえないようにぼそぼそと彼に問いかければ、彼はおうっと笑った。パパから貰ってきたというのは少しどうなのと思うが、彼がこう言っているから良いのだろう。それに、私にとって一番大切なのは食い逃げをしないことだ。こんな小洒落たお店で食い逃げなんてしたくない。恥ずかしすぎる。
一先ず食い逃げの心配をする必要がなくなって、私は気を楽にして料理を待つことが出来た。比較的私の注文の方が手間がかからない為すぐに出てきてテーブルの上に置かれる。
いただきますと手を合わせてぱくりと一口。んー、色々な野菜とベーコンが入っていて美味しい。
「…………なァ、、」
「何?エース」
じー……と見られていた私は多少の居心地の悪さを感じて彼に目を向けた。未だ彼の前にはお皿が置かれていない。その言葉の意味を瞬時に理解して、あげないからねと言えば彼はケチと返した。
「もう少しで来るってば」
「あー、腹減って死にそうだ」
大げさな。今朝あんなに大盛りのおかわりをしていたというのに、彼の胃袋はいったいどうなっているんだ。ブラックホール並みの胃袋を持つ彼の発言に少し苦笑する。テーブルに頭を横たえて今にも餓死寸前といった顔をする彼に、仕方がないなぁと私はサンドイッチを一つ差し出した。
「良いのか?」
「死んじゃうんでしょ?ほら」
差し出したサンドウィッチを見るや否や彼はそれをむんずと掴んで一口で平らげてしまった。何というスピードだ。まぁ、これでお腹も落ち着いただろうと――彼の場合は食欲を促進させただけかもしれないが――私は無理やり判断を下して、物欲しそうに私のサンドウィッチを見つめている彼を視界からログアウトさせた。
その数分後、彼の前に数々の料理が運び込まれてきた。テーブルに皿が置かれた瞬間ににゅっと飛び出るフォークに私は苦笑をして眺める。がつがつと食べ続ける彼の勢いに、店員の皆さんは驚いてどんどん料理を持ってきた。彼が半分を食した頃に私はもうサンドウィッチを食べ終えてその光景を見ているだけとなった。
「もっと落ち着いて食べたら?料理は逃げないんだし」
「ふぁいふんがひははふぉうふんふぁほ(海軍が来たらどうすんだよ)?―――ふごぉ…」
――言ってることが理解できない。って寝たし。
がしゃんと料理の上に倒れ込んだ彼に、その近くを歩いていたウェイトレスのお姉さんが吃驚して悲鳴を上げた。それに冷静に「寝ているだけなんで。濡れタオルおねがいします」と返して私は彼の後頭部を見つめる。彼がこんな風になるのはしょっちゅうだから耐性が付いてしまったのだ。お姉さんから受け取った濡れタオルをテーブルの上に置くと同時に彼は目を覚ました。
「ふごっ!?…あー、寝てた」
「おはよう。ほら、タオル」
顔中エビピラフの米粒が付いている彼にタオルを渡す。お、わりいな。彼はそう言ってごしごしと顔の汚れを拭き落とした。まったく、エースを見ていると全然飽きない。もう少し落ち着いてほしいと思う時はあるけれど、何だかんだでそれを許してしまう自分がいた。
「さーて、食ったし出るか」
「ごちそうさま、エース」
お腹いっぱいになって満足した彼と私はまた刺すような寒さの外に飛び出した。


「あ……」
「どうした?」
昼食を取り終って街をぶらぶら歩いていた私たち。武器屋を覗いたり、肉屋を覗きに行ったりしていたが、ふと路地裏に置かれたそれを見つけて私は足を止めた。
――なぁーん。
段ボールの中でふるふると小刻みに震えている猫。金色の毛に青と緑というオッドアイを持った猫が、項垂れた様子でそこにいた。
「捨てられたのか?」
「かわいそう……」
今この街は雪が止んでいるけれど、夜になればまた降ってくるかもしれない。それなのに、この猫は一人ぼっちで外に置いていかれて寒さをしのぐことが出来ないのだ。自分を置いて行った主人を待っているとでも言うのだろうか、猫は段ボールの中から出ないでじっとしている。
私はその猫に近づいてそっと頭を撫でた。長時間外にいたせいか、その猫の体は冷たかった。よしよしと何度も手を往復させると、ごろごろと喉を鳴らす猫。
――こんな所に置いていくのは、嫌だなぁ。
きっと、路地裏に目を向けなければこんなことを気にもしなかっただろう。でも、気付いてしまったからには見て見ぬふりなんて出来ない。この子を、サッチに拾われた時の私と重ねてしまって、見殺しになんかできなかったのだ。
「ねぇ、エース」
「マルコたちにダメって言われるぞ」
彼は私の言葉を最後まで聞かずとも私の言いたいことが分かったようだった。振り返った先に目に入った彼は笑っていなかった。弱肉強食、自然淘汰の循環を理解している彼は、こういうところで嫌に大人なのだ。彼にとってはこの猫はこのまま死ぬのが運命なのだろう。だけど、私はこの猫を見捨てたくない。サッチが私を拾ったのだから、私だってこの子を拾っても何も問題はない筈だ。
「説得するから」
「……ったく、仕方ねェなァ」
既に猫を腕にしっかりと抱いた私を見て、彼はハァ…と溜息を吐いた。こういう頑固な所誰に似たかねェという彼の呟きは白くなって空に消えていく。しかし一瞬後には彼は気持ちを入れ換えたのか、ふっと笑った。
「しょうがねぇ妹だなァ。兄ちゃんも一緒に怒られてやるよ」
「ありがとうエース!!」
ほら、と手招きされて彼の所に戻る。猫が私の腕の中でなぁんと鳴く。
――大丈夫、大丈夫だよ。私があなたを守ってあげるから。
腕の中にいるこの子をぎゅっと抱きしめた。

あんな意志の強い目で言われたら、反対なんて出来ないもんなァ。エースが隣でそう心中呟いているのを知らない私は、どうやってサッチとマルコを説得しようか、そればっかり考えていた。

2013/04/30
それでも、私は守りたいのだ

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