14 The Prophet

 あと一日で冬島に着く。そこはこの前の秋島と違ってある程度開拓されて町があるというから、私は楽しみだった。しかし、そんな風に楽しみにできるのはきっと、冬島についてからだ。なぜなら、今私は甲板でマルコと組手をしているから。
「一点。…よっと、また一点取り返したよい」
「もっ、全然貯まんないじゃん!!」
思い切り当たったマルコの脚に、私は後方へ飛んだ。しかし、床に倒れる前に片手をついて身体を支える。先程私が先取した点数はあっという間にマルコに戻ってしまって、またゼロからやり直しだ。
――今、私たちがやっているのは点数稼ぎを課した組手だった。彼が、ただ組手をするだけじゃどれくらい成長したのかお前自身が分からねェだろい?と提案したものなのだ。
ルールは簡単。マルコが私の技を喰らったら一点私が貰える。しかし、私がマルコに攻撃をくらったら彼が一点奪うのだ。攻撃をくらうという定義は、お互いの攻撃が受け止めきれなかった場合のことを指す。だから私は先程彼に点を奪われたのだ。
先に十点先取した方が勝ちだというのだが、全然彼から点数を取ることができない。彼は私が彼から点数を奪う度に私から点数を奪っていく。
どうすれば、マルコから点数を奪えるんだろう。そんなことを考えながら彼の背後を取ろうとするが、動きが単純だったのか先を読まれて肘鉄を肩にくらった。
どんっと与えられた衝撃に私は身体のバランスを失ってそのまま飛んできた彼の回し蹴りに後方へ吹っ飛ばされた。
壁に激突する前に体勢を元に戻して事なきをえたが、この時点で彼の中では組手は終わっていたのだろう。今日は終わりだという言葉が放たれた。
「バレバレの動きはすんなよい」
「うん、分かった」
深呼吸した私に彼がそう言う。組手が終った私としては、一刻でも早く日陰に入りたくて、私は小走りで傍にあった小さな日陰に身をすべり込ませた。ああ、日の光がきつかった。
その後も、あの時のパンチは威力が良かったが、もっと重心を前にかけていればより強くなった。だとか、お前は回し蹴りをする時に左腕を振り上げる癖があるからそれを意識してちゃんと直せ。だとかいう彼のアドバイスを受けて、私は頷いた。

 冬島に着いた。久しぶりの陸地に気分が高まる。
陸地にいる時は海が恋しくなるのに、陸地に近づいてくると途端に大地が恋しくなるのだ。不思議だなぁ。
私は誰と島に降り立とうかと、辺りを見渡した。そして目が合った彼に手を振ると、彼も手を振りかえしてくれた。


――モビーディック号がとある冬島に到着する十日前。女は、薄暗い路地裏を歩いていた。目深にまで覆っている黒いフード付きマントでその女は口元しか見えない。ふっくらした輪郭と、細い身体つきだけがその人物を女と証明するものだった。
女はピンヒールのブーツを履いているのに高い跫音を響かせることなくその道を歩む。
女はあるものを探していた。予言者として有名な媼がこの島にいると聞いて、幾つもの島を経由してここまで辿り着いた。しかし、辿り着いたは良いがその予言者は毎日住む場所を変えるのだとその島の人々から聞いた。
この島は比較的近代化が進んでおり、入り組んだ道路が多い。建物などもかなりの高確率で隣の建物とくっつくような近さなのだ。ぎゅうぎゅうに建物が押し込まれたような印象を受けるこの島で、毎日寝床を変える一人の媼を見つけるのはたやすいことではないだろう。
しかし、先程訊きだした男の情報によると、その媼は中心街の路地裏で見かけたという。その中心街に女は今訪れて媼を探しているのだ。きょろきょろと、人より遥かに優れている目でその人物を探す女。
媼の特徴は小さな体躯に縮れた白髪。付け加えれば、首に不思議なモチーフの首飾りを付けているという。それらの特徴の人物を見つけようと始終視線をあちらこちらに向けているが、中々見つからなかった。
その予言者は身の安全を何よりも大切にする老人らしく、危険な匂いがするとすぐに行方をくらますのだ。なにか、危険な匂いが出てくる前に彼女を捕まえて予言をしてもらわなければ。女は先程より少し足を速める。


――見つけた。縮れた白髪に小さな身体。猫背気味で扉の中に消えていこうとする媼を見つけて、女はさっと瞬時に駆けてその予言者の肩を掴んだ。
「…誰じゃ……?」
「…予言者のシャーダイとは、あなたか?」
私は、客だ。そう続けた女の声は女にしては低く、男にしては高い中性的な声であった。客という言葉に振り返ったシャーダイの顔を見た女は、微かに目を丸くした。
――この老婆、目が見えないのか。
白く濁った老婆の瞳が小刻みに揺れ、自分ではない部分を見つめているのを見て、女は瞬時に判断した。
「客じゃったか…、中に入ると良い」
「ありがたい」
しわがれた老婆の声が路地裏に寂しく吸い込まれた。杖をこうこつと鳴らしながら室内に入っていった媼に続いて、その中に足を踏み入れる。そこは、思っていた以上に広く数人が寛げる空間になっていた。手元のランプだけが、この部屋を照らす唯一の光であるが、女はその微弱な光だけでも十分媼のしわくちゃでシミのある顔をはっきりと見ることが出来る。
老婆に勧められるままにソファへと腰を下ろした女。シャーダイは手探りで女の前にあるソファを見つけ、そこに腰を下ろした。しわくちゃな顔が、目も見えないくせに何故か自分のことを見透かしているような気がして居心地が悪い、そう女は心中で呟く。
この予言者――シャーダイは仲間たちが世界の五本指に入るとまで言う有力な予言者だ。しかし、名が大きいわりには彼女を見かけることが少ない。それの理由は今日知ったわけだが、仲間たちがこの老婆を世界屈指の預言者だと言っているとしても、女は自分の目で確認しなければその話が本当だと信じる気は無かった。
「で……、お前さんが知りたいこととは、なんじゃ?」
「私は、世迷言に踊らされる趣味は無い。私が知りたいことを当ててもらいたい」
つまり、私はあなたの力をこの目で本物か確かめたいのだ。ほのかに灯っている光だけの静寂な部屋に、女の声が響く。シャーダイは女の言葉を聞いて、ほお…と口元に小さな笑みを浮かべた。
「小娘が…生意気を言いおる」
「…なるほど、声か」
この目の前の老婆が、声から彼女を年若い女だと判断したのだと女は理解した。自身の声は男か女か見分けが付きにくいような声をしているのに。そう、観察眼ならぬ観察耳の鋭い老婆に感心する。
だが女の質問にまだシャーダイは答えていない。それを指摘すれば、老婆は閉じていた瞳を開いて、女を見つめた。
目が見えない者とは思えない視線の強さに、女は微かに目付きを鋭くした。
「お前さんが知りたいことは二つじゃな。一つは、LILYという者の容姿。そしてもう一つは、その者がどこに訪れるか」
「……すばらしい」
流石、世界屈指の予言者と言われるだけの力はある。満足そうに弧を描いた女の口元。見事、女の知りたいことを言い当てたシャーダイは先程と表情を変えないままで、満足したかね?と目を細める。たぶん、あれは笑っているのだ。
「あなたの力を信じよう。情報を貰いたい」
報酬は500万ベリー。提示した金額に、老婆は良いだろうと頷いて立ち上がった。覚束ない足取りで、目的地まで進んだ老婆が、大きめの旅行鞄の中に手を入れていくつかの道具を取り出し始めた。それは、人間の頭がい骨であったり、何かの毛であったり乾燥した流木だったり、十数点に及んだ。
それら全てを決められた位置があるのか床に置いて、女には理解する事の出来ない言葉でぶつぶつ呟きながらその道具を使っていく。
「………………」
流木に灯した火が、シャーダイの呟きの大きさに比例して勢いを増したり減退したりする。シャーダイがその炎に紫色の粉をふりかけると、炎はパァンと小さな破裂音を響かせて次いで消滅した。
――焦げ臭い匂いが部屋に充満している。
老婆は炎が消失してからぴくりとも動いていない。女はシャーダイに声をかけるべきか一瞬考えたが、ゆらりと立ち上がった彼女に杞憂だったかと考えを改めた。
老婆はよたよたと女の前にあるソファに腰掛けて、長い溜息を吐いた。
「一つ目の答えは、もうすぐ世間に現れるじゃろう…。紙面をマメにチェックしておけば良い」
シャーダイの年季の入ってしわがれた声がこの空間に響く。
もう一つの答えは―――。


 流木の焦げ臭い匂いで充満していた部屋から出て、女は再び歩き出す。
シャーダイの預言に満足した女は提示した金額通りに報奨金を彼女に渡してきた。今頃あの老婆は新しい酒でも買おうと考えているかもしれない。部屋のあちこちに置かれた酒瓶を確認していた女はそんなことを考えた。
目指すはライジャム島。女は黒い旅マントを風に靡かせながら、薄暗い路地裏を歩いた。


2013/04/28
向かうは、吸血鬼の女王のもと

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