11 お願いだから、きみを裏切らせないで

 荘厳な空気が流れる中、背中に正義の二文字を背負った男たちはその“紙”を見て驚いた。
「あらら、センゴクさん……いくらなんでもこれはやりすぎなんじゃないの?」
「こんな女の子が〜、“LILY”だなんて〜、誰も思わないだろうね〜」
センゴク、と呼ばれた男は大将を務めている彼らに言葉を投げかけられても依然としてその厳しい表情を変えずにいた。LILYが覚醒してからすでに二か月半。解析には時間がかかったが新世界のとある島で発見された中将の死体と、その時彼がコートに入れておいた小型電伝虫の通話がオンになっていたことで録音されていた声、さらに監視用電伝虫が確かに捉えたその人物たちの映像を彼らは手に入れたのだ。その大尉の部下の話によると、その島で何やら人を食う化け物が出たと女性から助けを求められ彼は討伐に向かったのだと言う。
その情報に、彼は間違いなくそれは吸血鬼の仕業だと判断した。それは酷く直感的なものであったが、監視用電伝虫に残っていた映像と音声を照らし合わせてみても、その考えを覆す内容は入っていなかった。むしろ、それを肯定するかのように、男の“我が君”と言う声が聞こえたことに、それを聞いた瞬間は歓喜のあまり鳥肌が立ったくらいだった。
――世界政府が求めていたLILYが、確かに生まれていた。
そしてすぐさま作ったものが“これ”。それを見た大将二人は少しばかり驚いた顔をしていたが、実際彼女にはこれ以上の価値がある。
「LILYを海の屑どもよりも先に手に入れる為だ」
彼らに背を向けたまま、海を眺めて彼は言う。彼が考えている正義の為ならば、このように幼い少女だとしてもそれがLILYなら情を交えたりしない。それが世界の平和につながるからだ。
しかし、この少女は白ひげ海賊団に属していることが分かった。あの島の者たちが彼女と共に歩いている白ひげ海賊団一番隊隊長マルコを目撃したのだ。既に白ひげの下にいる彼女を捕えるのには相当手こずるだろう。白ひげは仲間を何より大切にする。そんな男の下からあの娘を奪ったら戦争が起きるかもしれない。
しかし、先程も言ったようにこれは全世界の平和の為だ。それで戦争が免れぬというのならそれは受けて立つしかない。彼は心中でまたそう呟く。
ぴらり、と窓から吹き込んだ風に煽られた一枚の紙には、宙を見つめている赤い目と白髪を持った少女がいた。

◆◆◆


 男――ドンキホーテ・ドフラミンゴの朝はまず、ニュースクーが運んできた新聞に目を通すことから始まる。初老の執事が出したコーヒーを片手に新聞を捲り、気になる記事はないか探すのだ。王下七武海という地位に就きながらも、ドレスローザ王国国王や闇のブローカー“ジョーカー”と数々の面を持っているこの男にとって、情報収集は必要不可欠だった。
「若様、コーヒーのおかわりはいかがいたしますか?」
「ああ、少なめにな」
フッフッフ、と常に三日月型につり上がっている彼の口が特に何もおもしろいこともないのに笑い声を上げる。しかし執事の男はそんなことは彼の常なので大して気にもせず空になったコップに温かいコーヒーを淹れようとその部屋から退室した。ぱたん、と静かな音を立てて出て行った執事を尻目に、彼はぺらぺらとページを捲る。
――『ユグロス王国がリーシャ国に侵略し、その王権を奪い取った。』ふん、どうでも良い。『ガラ王国の王が妻を娶った。長年女嫌いだった彼がなぜ!?』…ん?ガラ王国の王といえばあの男か。あの男は俺との取引先でもかなりの浪費家だ。他人に対する自己顕示欲はずば抜けていて、俺もあの男の性格のおかげで色々と儲けさせてもらっている。妻を娶ったというのなら、また何か目の前にでもチラつかせてやろうか。
そんなことを思いながらまたページを捲る。――アラバスタに反乱軍の魔の手、か。フッフッフ、これはあの鰐野郎の仕業だな。あいつ、こんな所でまた何か起こそうとしているのか。
「ん?」
ぱさり、と新聞の間から落ちた数枚の紙。それは手配書だ。WANTEDの文字の下に犯罪者たちの顔写真が載っている。新聞を放ってそれを眺めていく。ほとんどの者が俺にとっては全く興味のない奴だった。顔を覚えるような者ではない。しかし、ある一枚の紙を見た時、サングラスの奥にある瞳が微かに見開かれた。
「フッフッフ……フッフッフッフッフ!!」
――“LILY”。
雪のような髪に見る者を惑わせるルビーのような瞳。カメラには気付いていないのだろう、こちらを向いてはいないが微かに口元が赤くなっていることが窺える。きっと血を飲んだのだ。
「こんな子ウサギちゃんだったとはなァ…」
てっきりもう少し年のいった人間かと思っていたが、予想外に彼女は若かった。吸血鬼という特徴もあるだろうが、彼女はどうやったって成人しているようには見えなかったから。どうやらこの少女は白ひげ海賊団に属しているらしい。どこにも属していないんだったら彼女がどこにいるのかすぐにでも情報を集めて攫ってしまおうと思ったが、この男の下にいるとなると手が出しにくい。
暫くは様子見か。そう決めて手配書をじっくりと見る。
――そして、その懸賞金の額ともう一つの文字。
「形振りかまってられねェみたいだなァ、海軍さんよォ……」
フッフッフとまた彼は口元を歪め、高らかに笑った。


◆◆◆


「キャプテーン!キャプテーン!!」
「うるせぇぞ、ベポ」
食堂で遅めの朝食を取っていた俺は、俺の名を呼びながらどたばたと騒々しく現れた白熊にじろりと非難の目を向けた。こいつも知っているように、俺は朝が得意じゃねェ。ペンギンたちには夜遅くまで医学書なんて読み耽っているからだとしょっちゅう小言を言われるが、俺は医者だ。それくらいして何が悪い。
「ねぇ!今朝の新聞見た!?」
「見てねェ…お願いだからもっと落ち着いて話してくれ」
――頭が痛い。続けた言葉に、彼は慌てたようにごめんねと謝った。いつもならここでおかしいくらいに落ち込むはずなのに、今日に限ってはそのテンションが持続しているようだ。先程よりも多少静かになった彼は俺の前にぴらりと一枚の紙を置いた。コーヒーを飲むために動かした手がぴたりと止まる。
そこには一人の少女が空を見つめていた。顔写真の下に書かれている名は“LILY”。そして、――
白髪に赤い目を持ったこの少女。そしてこの名前。
「ねぇっ、これってだよねっ?あの時会った子だよ!」
「………ああ、そうだな……」
まさか、あの時出逢っていた少女がLILYだったなんて。俺はこの少女と出逢った時のことを思いだしていた。どこか人懐こくて俺に飴玉を渡してきた少女。、と去り際に彼女の名を呼べば嬉しそうな気配をさせていた、あの少女が、――LILY?
初めてなのにこの懸賞金の額ってすごいね!いったい何やったんだろう?不思議そうに尋ねてくるベポの言葉に、俺はああとしか答えることが出来なかった。
――あの時、既に俺はLILYに出逢っていたのか。
「くっくっく……」
「どうしたの、キャプテン?」
突然笑い出した俺に彼は首を傾げる。この白熊はLILYという意味を分かっていない。懸賞金の額ばかり気にしていて――それは確かに彼女にとっては身の危険を現す額だが――、この手配書の本当の意味を理解していないのだ。
「こういうのを“運命”って言うのか…?」
「???」
俺の視界に映る白い少女。あのひ弱そうだった彼女が吸血鬼の頂点に立つ者。
――楽しみだ。これからの彼女の成長と、もしまた彼女に会った時に自分はどうするのかということが。
俺はコーヒーを飲むことも忘れて、視線など合いはしない彼女を暫く眺めていた。


◆◆◆


――カク、ルッチ、パウリー!!
わしらを呼ぶカリファの声が聞こえて、今まで作業に集中していた手を休め視線を上げる。いつもより緊迫した彼女の声に何事だと訝しんだ。彼女がこんな声を出すなんて。きっとそれは演技ではないのだろう。焦った様子でこちらに駆けてきた彼女の手には一枚の紙が握られていた。
「どうしたんじゃ?カリファ」
「お前がそんなに慌てるなんて珍しいッポー!」
「おい、その手に持って――ってお前!!なんちゅう恰好してんだ!!?」
余程急いで走ってきたのだろう、はぁはぁと息を乱している彼女はパウリーの言葉には答えずに、手に持っていた紙をわしらに見せた。
ひらり、と風に持って行かれそうになったその紙には、いつもどこか、記憶の中に残っているあの少女がいた。
「――……?」
「…そうよ、でもこれを見て」
これは紛れもなく手配書だ。WANTEDの文字に、顔写真。あの頃よりも少し大人びた表情に長くなった髪の毛。成長してもあの頃の彼女の面影がしっかりと残っているのだ、見間違えるわけがない。
――大切な、わしの友人。
それが、何故。異名として書かれたそれに、ぐっと目元を歪めた。幸いパウリーは気付いていなかったようだが、確かにこの二人には見られていただろう。
――”LILY”。
彼女の名の横に書かれたそれは、正しくわしらが与えられたもう一つの任務の対象。吸血鬼の王という証が、彼女の名の横にある。何度瞬きをしても、それは消えてくれなかった。
何故――何故、がLILYなんだ。あの時感じた波動が、どうして彼女と関係している。
わしはあの時誓ったのに。彼女がこの街を旅立つとき、確かにわしらは友達だと約束したのに、どうして彼女が。
加えて、彼女にかけられた賞金額。
――ALIVE ONLYで7000万ベリー。
通常ALIVE ONLYという文字は手配書の上では滅多に見ない。犯罪者など生きていようが死んでいようが、この世から姿を消せばどうだって良いのだ。それなのに、彼女には生存を求められている。わしには痛い程それの意味が分かった。彼女は賢者の石の研究材料として政府と海軍に求められているのだ。
CP9として働いていない今でも、わしらは海軍や海賊の情報を定期的に集めている。その中に彼女が何かをやったなんていう情報は無かった。つまり、彼女はLILYというだけで、この賞金額を付けられたのだ。
「ほぉ…いきなり7000万だなんてコイツ何やったんだ?」
「こいつも海賊の娘だ。こんな額を付けられても珍しくないッポー」
ルッチはパウリーに話を合わせているだけのようだが、わしは懐かしむようにしげしげと彼女の手配書を眺めている彼らのようには出来なかった。カリファはそんなわしのことを気遣わし気に視線を送ってくる。
――わかっとる。今はこれとはまた違う任務にあたっとるんじゃ。公私の分別くらい付けられる。
だけど、だけど…彼女のことだけはそれが出来そうになかった。任務に関係がないと判断して、本来の自分を曝け出したのがいけなかったのかもしれない。否、出していない部分はまだ沢山あった。けれど、彼女になら見せても良いかと思えていた。それほどいつの間にか自分の中で存在が大きくなっていた彼女。
たった一か月、されど一か月。あの短い期間の間に、わしらは友情を芽生えさせていた。本当に、あの頃は楽しかったのだ。彼女が傍にいてくれることが、何よりも嬉しかった。それを、裏切るような形になるなんて。あの時の彼女の笑顔が、瞼の裏でちらつく。あの笑顔を裏切れと言うのか。彼女がこの街を去る時に、小指を絡ませて誓ったあの言葉を、「そんなことなど無かったのだ」と破れと?
きっと、わしたちが彼女を裏切ったら、彼女は泣くのだろう。脳裏で、容易に彼女が泣く様子を想像できた。
――泣かせたくない。あの笑顔を、泣き顔なんかにするのは嫌だ。彼女だけは、裏切りたくない。今まで任務で裏切り行為なんて何度も経験してきた。それでも、彼女だけはそんなことで失いたくなかった。初めての、本当の友達。他の何とも違う、あのかけがえのない白い少女。
何故かなんて訊かれても答えられない。だからとしか言いようがなかった。彼女だから、裏切りたくない。ずっと、笑顔のままでいてほしかった。
「お願いだから…来ないでくれ…」
彼らからそっと離れた先で、丸太の上に腰を下ろす。
――お願いだから、わしらがこの街にいる間には、絶対来ないでくれ。いつまでも、あの時のようにお前とは友達でいたいんじゃ。わしは、お前を裏切りとうない。
このまま、綺麗な思い出で終わらしとくれ。

ルッチがいつもより鋭い視線をこちらに向けていることに気付きながらも、わしはそう願うことしか出来なかった。


2013/04/23
まぶたのうらで、きみが泣く。(泣かないで、君を裏切ったりしないから)

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