10 ただひとつの光がきみだった

――熱い、身体が焼けるように熱い。かっかと内側に籠った熱が苦しくて私は呻き声を上げた。
怖い、怖いよ。熱に体中を焼き尽くされそうな気がして、酷く恐ろしい。
誰か、助けて。縋るように伸ばした手に、自分よりも低い熱に触れる。それは、私の手を一度ぎゅっと握って名残惜しい熱を残して消えた。
「大丈夫だよい。今氷で冷やしてるからな」
何か、私に話しかけている声が聞こえる。誰だろう、熱で朦朧とした頭にはそれが誰なのか判断できなかった。しかし、タオルで包まれた氷が首や腋の下など局部を冷やしていく感覚に、先程よりも気分が穏やかになる。
良かった、熱いのは怖いよ。それは吸血鬼の本能なのだろう、熱に魘されていた私はその冷たい心地に安心して朦朧とした意識を手放した。


 あの後、食堂に行くと何やら眉をぎゅっと寄せているサッチと出会った。
「おい、エース!お前あいつが吸血鬼だって分かってんだからもっと気を付けろよ!」
「わ、わりぃサッチ。だけどよ、も楽しそうにしててさ…時間を忘れちまってたんだ…」
いつの間にかサッチに回っていたの熱中症の情報の速さに驚いた。今回の件は確かに俺が悪い。彼女が倒れ込んで来たのが彼女の体の不調を訴えている警告だったのに、それに気付かなかったのは俺だ。だから今回のことでは潔く謝ろうという気持ちになっている。けど、も楽しんで時間を忘れていたから少し言い訳もしたかった。
「はぁ……まぁ、何もお前だけのせいってわけじゃないしな。次は気を付けろよ」
「おう、分かってる。ホント、悪かったな。はもう大丈夫なのか?」
すぐに処置に移ったマルコを見ていたが、彼女をあんな風にしてしまったのは大体俺の責任だということで、俺は彼女のことが心配だった。それはサッチも同じようでああと頷くが渋い表情は変わらない。
「…今はマルコが付きっきりで看病してるから大丈夫だろ…」
「そうか」
だったらどうしてそんな顔をするんだよ、とは聞けなかった。何となく俺たちは彼女が彼と喧嘩した時のことを未だに覚えているから、急に彼女たちの距離が近くなると戸惑うのだ。きっと、それをコイツも気にしているのだろう。
「ま、心配ばっかしてても仕方ねぇし、俺はあいつが起きた時用にリゾットでも作っとくか」
「おう、じゃあ俺もそれ手伝う」
俺はうっしと気合を入れたサッチの料理作りを手伝うことにしてキッチンに向かった。


 熱でぼんやりした頭が徐々に覚醒していく。喉が乾いたのだ。水を飲みたくて、だけど自分ではまともに身体を動かせない今の状況に私は辟易した。
ぼんやりと目を開いた先には、移動した覚えもないのに天井が見えた。ちら、とゆっくりと視線を横にずらすとそこには椅子に腰かけ腕を組んで目を閉じているマルコがいた。ああ、そうか。何だか落ち着く匂いがしたと思ったら、ここは彼の部屋だったのか。
きっとこの状況から考えるに、彼が私のことを介抱してくれたのだろう。今では氷がぬるい液体に変わっているけれど、それだけの長い間彼が私のことを見守っていてくれたということだ。
たぶん、看病に疲れて眠ってしまったのだろう。こくり、こくりと船をこいでいる彼を起こすのは忍びなかったが、私は小さな声でマルコと彼の名を呼んだ。
「ん?…ああ、わるい。寝てたよい」
「ううん、看病してくれてありがとう」
熱で熱く感じる瞳をぱちぱちと瞬きで紛らわしながら首を横に振る。喉渇いたかい?と心配そうに私を覗き込んでくる彼にうんと頷くと、彼は今持ってくるからねいと言って部屋を出て行った。ぱたん、と静かに閉められた扉の音を聞いて視線を天井へ戻す。今は外から何も音がしないし、一瞬暗闇が見えたからきっと夜中なのだろう。皆が寝静まっているこんな時分までマルコを看病で起こしてしまっていたことに申し訳なさを感じた。
外で時間を忘れて遊び過ぎるのは禁物だ。今回の一件で私はそう学んだ。
雪が降っていて油断していたけれど、私は人よりも太陽の光に弱い身体をしているのだから、太陽が厚い雲に覆われていてもきちんと時間を考えてなければいけなかったのに。そうすれば、こんな風に彼に迷惑をかけることもなかった。
「持ってきたよい」
「ありがとう」
コップに一杯の水を汲んできた彼が静かに部屋に戻ってきた。ゆっくりと上体を起こされてコップを受け取る。長時間寝ていたためだろう、喉は水分を欲していて一気に水を飲んでしまった。
「サッチとエースがお前のためにリゾットを作ってたみたいだけど、今食べるかい?」
「そうなの?あ――エース…」
はっと彼の言葉であの時一緒に遊んでいた彼のことを思いだす。きっと急に私が倒れて吃驚してしまっただろう。彼にも申し訳ないことをしてしまった。そう思ったのが顔に出ていたのか、別にあいつのことは気にしなくて良いよいとマルコが苦笑する。
「あいつ、お前が昼寝してると思ってたみたいだからよい」
「エースならありえる…」
事の真相を聞かされた私は呆れたというか安心したというか。だからマルコがここまで運んでくれたのだなと理解することが出来た。サッチたちがリゾットを作ってくれたのは嬉しいけど、今はまだ食欲が無くて食べる気になれない。明日食べるねと言えば、そうだねいと彼は頷いた。
――それにしても、こんな風にマルコに看病をされるのは酷く久しぶりな気がした。私は前の世界の時とは違って健康優良児だったからめったに風邪や熱になることはなかったのだ。風邪にかかるとしても五年に一度といったペースで、普段私のことを看病していないぶん、彼らは私が熱を出すとそれはもう慌てていたような気がする。それに熱が出た時は誰しも心細くなってしまうことがよくあるだろう。私もそれで、やはり彼らに付きっきりで看病させて困らせてしまったことを今でも覚えていた。
「お前が熱を出すなんて、いったい何年ぶりかねい……」
彼も同じことを考えていたのか、私の前髪を整えながら小さく呟く。昔はあんなに慌てていたのに、今では懐かしがる余裕が出来てしまって。私はそんな風に思いながらそうだねと返す。彼は尚も私の頭を撫でる手を止めずに、当時のことを懐古しているようだった。
――いつもより、距離が近い。それは身体的な面でも、精神的な面でも近かった。きっと、私は熱を出していつもより誰かに甘えたい気分だったし、彼もこんな夜中まで目を覚ましていて疲れていていつもの距離の取り方を忘れてしまったのかもしれない。だけど、その距離は今まで私たちが当たり前のように感じていた距離だった。いつもこの距離で接していて、ある時を境にそれが壊れてしまっただけで、これが私たちにとっては常だったのだ。
私たちは今、あの頃の私たちに戻っている。言葉はなかったけれど、お互いそのことを感じていた。だから彼が「俺も寝て良いかい?」と私の横に入ってきてそっと抱きしめたのも当然のことだっただろうし、私がそれを拒絶せず彼の背中に手を回したのもごく自然なことだった。あの時以来、私はマルコと一緒に寝ることが無くなってしまっていたから、この感覚は酷く久しい。昔はこんな風に一緒に寝るのが当たり前だったのにね。いつから私たちの心はすれ違っていたのだろう。そっと抱きしめていた彼が、徐々にその力を強くしていき私は腕の中に閉じ込められる。
「マルコ、熱移っちゃうよ」
「大丈夫だよい。お前は熱中症で倒れただけなんだからよい。それに俺は丈夫だ」
本当に今更なことを聞いてしまったけれど、私はそんなことを言いながら彼の背中に回した腕を離そうとはしなかったし、彼もよりいっそう私のことを強く抱きしめた。少し苦しいと思いながらも、ここ最近で一番心が満たされている。きっと明日になったらまたよそよそしい部分も出てくるかもしれない。しかし今、この瞬間は確かに私たちの心は通じ合っていて穏やかな時を過ごしている。
「おやすみ、
「おやすみなさい、マルコ」
私たちはお互いの温もりを感じながら、そっと目を閉じた。


翌朝、彼らの様子を見に来たサッチはそっと開けた扉の先に、幸せそうな顔をして寄り添って寝ている彼らを目に入れ、苦笑した。
「何だ、俺が心配するまでもなかったか」


 私の熱は二日で下がった。昼間はそこまで高くはないけれど、夜になるとまた上がってくるのだ。熱にだいぶ苦しめられた私は、もう二度とあんなミスを犯さないと心に誓った。しかし、今回のことは私にとって良い勉強になっただろう。吸血鬼が太陽の下で倒れずにいられる平均の時間が二時間だということを、身をもって知ることが出来たのだ。
、お前の体調に気付かなくて悪かった」
「謝らなくて良いよ。私の不注意だったし」
未だ安静を言い付けられている私のもとにエースが来た。申し訳なさそうに眉を下げる彼にそんな顔しないで、と笑った。私がちゃんと時間を考えていればこんなことにはならなかったのだ、彼のせいではない。それに勉強になった部分もあるのだから、別にマイナス面だけではなかった。
「もう熱は大丈夫なのか?」
「うん、もう平熱に戻ったよ」
イリオスが大袈裟に安静にしていろと言って私をベッドに押し込んでいるだけで、実際はもういつも通り動いても良い状態なのだ。それを彼に伝えると、そっかと笑顔になる。――やっぱりエースは笑っている方が良い。
少しの間はトレーニングを無しにしてくれたマルコには感謝しなければ。こんな風にゆっくり過ぎていく時間を感じたのは最近はなかったから。エースが持ってきてくれた温かい紅茶を口に含みながら、そう思う。久しぶりに本でも読もうかな、と手をサイドテーブルの上にある本に伸ばすと、それを見越していたのか彼の手がそれをさっと取り上げた。
「あ、」
「病み上がりだから小さい字なんて読むなよ」
さも正論ですといった様子で私にそう言った彼。でも私は知ってる。というか、気付いてしまった。彼の口角がにやっと上がらないように懸命にぴくぴくしているのを。
この兄貴はサッチの話ではあの後反省して遊ぶこともしないでずっと隊長としての仕事をしていたらしい。きっとそれで遊びたくて仕方がないのだろう。うずうずしているのが目に見えて分かる彼に、それを指摘するのは忍びなくて私はじゃあ一緒にお喋りしようと持ちかけた。
そうすれば、彼は仕方がねえなぁと渋々了承するけれど、やはりその顔がどこか嬉しそうにしているのを私は見逃さなかった。エース程おもしろい人ってきっとあまりいないのだろう。そう思いながら、私は彼のことを見て密かに笑った。


2013/04/22
あの、いとしい青よ

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