07 秋の贈り物を、あなたに

 視界に入る紅葉が美しい。今思えば、こうやってと一緒に出かけるのは酷く久しいものだった。隣で、俺よりも遥かにはしゃいで紅葉をきょろきょろと眺めている彼女を見下ろしながらそんなことを思った。
彼女は日よけの為に日傘を差して更にフードを被っている。そのせいでよく彼女の表情を見ることは出来ないけれど、彼女の上げる声が弾んでいることから、俺は彼女が楽しんでいるのだと分かった。
「ここは無人島なのかな?」
「さぁな。奥まで行ってみりゃ分かんだろ。そこまで広いようじゃないしな」
今の所俺たちが歩いていた所は民家など一つも見当たらなかった。ただ一面に広葉樹と池や小さな湖があっただけだ。
――まぁ、そんなに探索する時間があるかどうか分からないけどな。彼女にはその言葉は伝えなかったが、俺は心中でそう呟いた。白ひげから聞かされていたのだが、この島のログは数時間で溜まるそうだ。俺たちが人が住んでいるかを調べている間にそんな時間はあっという間に過ぎていってしまいそうだった。だから、今この場所で久しぶりにトレーニングと無関係のことで寛いでいる彼女の休暇を邪魔したくなくて俺は黙ったのだ。
ひらひらとぼたん雪のように頭上から落ちてくる紅葉に彼女が何度も手を伸ばす。わしゃわしゃと宙をかき混ぜるように伸ばされるそれは、紅葉を捕まえようとしているのか、あるいはただ遊んでいるのか判断しがたい。
「綺麗だなぁ…。マルコにも見せたい」
「だったら、拾って帰れば良い」
今回は留守番になっている一番隊の彼のことを脳裏に浮かべたのだろう、彼女の纏う空気がより柔らかなものになったのを感じた。周りの男たちもそれを敏感に感じ取ったのか、世間では白ひげ海賊団と恐れられている彼らが自然と頬を緩めている。彼らは彼女のことを自分の子供のように大事に思っているから、彼女がこうやって誰かに真心を向けると微笑ましくなるのだ。まったく、こいつらはコイツに甘い。そう思いながらも、実際自分も微かに口元が上がっているのを感じているから彼らと同レベルなのだろう。
――ああ、サッチが彼女の発言の中にいなかったけれど、それは仕方がない。今日彼は俺たちと同じようにこの島に上陸してエースたちと一緒に食料調達に出ているのだから。でも、彼女がマルコの為だけに紅葉を集めたのだと知ったら拗ねて面倒くさそうなことになりそうだと俺は直感的に悟った。
ひらひら、と紅葉と同じように手を動かしている彼女を見下ろしながら助言をする。彼女のこういった彼に対する優しさを、愛情を知っている俺としては名案を出したつもりだったが、案外そうでもなかったらしい。
「落ちたやつはやだ。地面に落ちる前の綺麗なやつが良いの」
「ったく、我が侭なお姫様だ」
だけど、その我が侭も全てはマルコに綺麗な紅葉を渡したいがため。そう分かっているから、誰もこいつの我が侭を咎めたりしない。俺と反対側にいた男が進んで彼女の日傘を持って、彼女が自由に紅葉をキャッチ出来るようにしてやった。彼女は安全な日陰から飛び出して、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら紅葉を捕まえていく。マルコの為ならば彼女の身を焦がす太陽の前にさえ進んで身を晒す彼女。跳ねたせいで被っていたフードが落ちるのも気にせず上ばかり見つめている。白い髪が紅葉に重なる度に、その光景が美しく見えた。
――本当に、あの男は愛されている。
人間のように先を理解できるような動きではないそれに、彼女は苦戦しながらも何十枚も集めていた。それら全ては黄色から赤までの綺麗なグラデーションだったり、真っ赤であったり美しいものばかりだ。
これだけ集めて満足したのだろう、彼女が男の持っている日傘の中に入ってきて大事そうにその紅葉をポケットの中に入れた。
「髪に付いてんぞ」
「え?」
落ちてくる紅葉を捕まえることに夢中だった彼女は気付いていなかったのだろう、彼女の頭に赤いそれがくっ付いてるのを指摘して取ってやる。その紅葉は彼女の雪のような髪の毛には映えて綺麗だった。
ほら、と取ったそれを彼女に渡してやると、彼女はありがとうと笑ってそれも大事そうにポケットの中にしまう。
「イゾウが取ってくれたのは私のにしようっと」
「あんだけ集めたのに分かるのかよ?」
分かるよ。間髪入れずに返してきたその柔らかさを孕んだ言葉に、一瞬心臓を掴まれた気がした。甘い痺れが胸を中心に広がって、全身を蝕んでいく。
「だって、違うポケットに入れたもん」
――なんだ、そういうことか。ほらね、というように見せてきた俺が取った紅葉をまたポケットに戻した彼女がにっこりと笑う。まったく、俺は何を期待してんだか。この妹がそういったことに疎いのは前々から分かっていたことではないか。それに俺がこいつを愛おしく思って大事にするのは、俺が彼女のことを末の妹として思っているからだ。俺にだってそんな恋愛じみた想いなどない。
「イゾウ隊長残念っしたね」
「何がだ」
長年俺の隊に所属しているある男が俺の心情を敏感に察知して、彼女に聞こえないように小さな声で呟いた。俺はそれに何のことだかと恍けたふりをして返し、少し離れてしまった彼女の元に戻る。
まったく、俺の周りにはこんな奴らしかいないのか、ろくに油断できねェ。


 かさかさと足元に落ちている紅い葉を踏んで歩きながら、空を眺めたそんな時。それは突然起こった。
「ガルルルゥァア!!!!」
「ぐあッッ!!?!」
突然前方を歩いていた男が巨大な毛むくじゃらな前足に強打されて右側に吹っ飛んだ。今までの穏やかな時間を壊すような突然の襲来と唸り声に、俺たちは武器を取り出し武器を所持していないを背後に隠した。
「ガルルル……」
どしん、どしんと大きな足音を響かせて俺たちの前に現れたのは、俺たちの三倍はあるだろう巨大なライオンだった。俺はそのライオンのことを知っていた。
「あれはダンデライオンだ」
「…たんぽぽ?」
隣にいたが俺の言葉に首を傾げる。そう、あのライオンは鬣が胴体の毛色と違い黄金色をしていることをたんぽぽに見立ててそう呼ばれているのだ。しかし、通常雄のライオンは進んで狩りをすることは無いのに何故だ。雄がゆったりとした時間を過ごしている間、雌たちが獲物をしとめて帰ってくるというのに、この雄ライオンは自ら狩りをしている。
そこまで考えて、はっと気づいた。まさか、今の時期はダンデライオンの繁殖期か?その仮説だと今の状態が頷ける。ダンデライオンの雄は、繁殖期にだけ雌の機嫌を取るために進んで狩りを行う。そして一番大きな獲物を取ってきた雄が雌たちを娶るのだ。
そうだとしたら、不味い。この時期のダンデライオンは非常に好戦的だ。この巨大な身体で迫ってこられたらたいていの人間はひとたまりもない。
「フォーザ!!」
男たちが口々に先程このダンデライオンによって吹き飛ばされた男の名を叫ぶ。彼は何とか立ち上がろうとしていた。しかし、どこか怪我をしたのか中々立ち上がれない。そんな彼にダンデライオンはまず狙いを定めたのか、止めを刺そうと跳躍しようとした。
「やめて!!!!!」
「!!?」
仕方ない、俺が助けに行くかと走り出そうとしたその時、隣に身を出したが大きな声で叫んだ。彼女の身体からどんっと気が溢れて空気が揺れる。――それは覇気ではない、別の次元の物。俺はそれを感じた時ぞくりと背筋が粟立つのを感じた。これは、まぎれもなく恐怖だ。
それを一身に受けたダンデライオンはびくりと身体を揺らして、彼女を見つめる。その目にはただただ恐怖が浮かんで震えていた。食う者と食われる者という立場を一気に理解したそいつはずり、と後退りをする。
そして大きな音をたてて横たわり腹を見せた。服従の印だ。あのダンデライオンは自分の前に君臨している絶対的な強者の前に首を垂れたのだ。
「…あれ?どうしたんだろう」
しかし、彼女はそのことをよく理解していないようだった。自分が行ったことを自覚していないらしい。しかし、この状況を見ていた俺たちは全員彼女がしたことを理解していた。
――なんてことだ。これが、彼女の力。
彼女は腹を見せたダンデライオンを警戒しながらも倒れたフォーザの元に走ってその身体を起こした。
「ありがとよ、お嬢」
「私何もしてないよ」
不思議そうに笑う彼女はきっと、彼を起こしたことについて礼を述べているのだと思っているのだろう。漸く我に返った俺たちはあばらの骨を数本折ったフォーザを抱えて、そのダンデライオンの元から去った。俺たち、正しく言えばがその場からいなくなるまで、そいつはずっと腹を見せて横たわっていた。


 無事に全員で船に戻った後、俺は彼女とは別れてオヤジのもとに向かった。とんとんと扉をノックすると入れと返ってくる。嫌に浮かない顔をしていたからだろう、彼がどうした?と視線を投げかけてきた。
「さっきあの島に降りた時、ダンデライオンの雄に襲われたんだ。その時、が得体の知れない気を発してさ…一応オヤジに報告しとこうかと思ってよ」
「そうか」
お前が言いたいことはそれだけじゃないんだろう?俺の心情を尽く理解している白ひげはやはり、この船の船長だ。その場にいなかったのに俺の感情の機微に気付くとは。
「正直、あいつのことを底知れないって思った。俺たちからだんだん離れていく気がしてよ…」
徐々に彼女は俺たちには追いかけることの出来ない場所に足を踏み出している。俺は、彼女に置いて行かれるような気がして怖かった。徐々に吸血鬼の王としての片鱗を覗かせてくる彼女に、臆してしまったのだ。
「それで?お前ェはあの娘から離れるのか?」
「いや、そういうわけじゃねェけど…」
自分でもまだよく呑み込めていない感情に、上手く言葉にすることが出来ない。そんな俺にオヤジはしっかりとした眼差しを寄こす。
「あの娘はいつだって愛に貪欲だ。何よりも愛されることを望んでいる。そこにあいつの正体なんて関係ねェ…」
俺たちが愛を与えないとあのハナッタレは敵に殺されるよりも前に孤独死しちまうからなァ。グラララ、と笑った彼に俺はそれもそうだと頷いた。
彼女は確かに強い。いずれ俺たちでさえも敵わない程の力を身に着けるのだろう。だけど、それが何だ。それが彼女との壁になるわけが無い。俺はあいつの兄貴で、あいつは家族に愛されないとすぐに泣いて家出をしてしまうようなそんな少女なのだ。そんな少女をどうして恐れる?あいつは、まぎれもなく俺たちの家族だ。
「オヤジ、ありがとう…」
「なァに…気にするこたぁねェ」
俺はオヤジに笑って部屋から出た。先程よりも軽くなった心を感じながら、俺は彼女がいるだろう食堂へと向かった。


2013/04/21
彼の少女の前に跪くは、

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