06 秋風の中で

――マルコは、私が無意識に本来の力を抑えていたのだと言った。それは確かにそうだと思った。今まで私はどうにかしてイゾウやハルタに勝ちたいと思いながらも、矛盾するようだけど彼らが私のせいで傷付くのは嫌だと思っていた。そのせいで私の本気は出せなかったのだ。
けれど、実際に命が危ぶまれるといった状況に追い込まれてみたら、それはあっけなく崩れてしまった。マルコを殴り飛ばしたというのは今でも信じられないけれど、あの場にいた全員がそれを目撃していたし、実際彼もそうなのだと言ったから私の間違いではないのだろう。
「まさかお前がマルコを殴り飛ばすなんてなァ」
「うん、吃驚したよ…」
サッチの腕の中で丸くなりながらそう呟く。本当に吃驚した。あの瞬間、勝手に身体が動いて彼を殴っていたのだ。そのスピードは彼の脚が私の胸に向かってくる速さよりも速くて、私の思考は全くついて行かなかった。
暗闇の中でもしっかりと見えるサッチの顔が、何だか嬉しいのが半分、怒りが半分といった表情をしているのが気になる。どうやら彼は、私の本気を出させる為とはいえ、かなり乱暴な方法でそれを導いたマルコに対して怒っているらしかった。あいつ、俺にも言わずにこんなことしやがって。ぶつぶつ呟いている彼は、私のことをより強く抱きしめて私が生きていることを確認しているようだと、私は思った。
「本当、無事で良かった」
「私も死ぬかと思った。けど、マルコのおかげで本当の力を出せるようになったよ」
あの時は本気で死ぬことを覚悟したけれど、数時間経った今ではあの時の彼の行動は正しかったと思える。彼も同じように私を殺してしまわないかと怖かっただろうしお互い様だ。きっと、彼があそこまでしてくれなかったら私は一生吸血鬼の本来の力を出し切ることが出来なかった。そういう所を、マルコはきちんと理解していて私をより良い方向へと導いてくれる。
「もう寝よう、サッチ」
「ああ、そうだな」
明日からは本格的にマルコとエースに鍛えられることになってしまった私は、少しでも睡眠を取って今日の疲れを取ろうと目を瞑った。


 どうやらあと一日でモビーディック号は秋島に到着するようだった。前回の島からの船旅が長かったと感じるのは、今までかなりハードな鍛錬を続けてきたせいだろうか。
私は今、昨日マルコに宣言された通りエースと組手をしていた。ちなみに今日は室内での組手なので、日の光に怯えることなく打ち込むことが出来る。
「お前ホント、あの話聞いた時は吃驚したぞ」
「そうだよね、私も吃驚して動けなかったもん」
お互いかなり速い攻撃をしかけているのに、会話をする余裕があるのが不思議だった。今までの私だったら絶対に息を切らせてまともな単語さえ吐けない状態だろうに、まるで今までもそうであったかのようにすんなりと私の身体に馴染んでしまっている。一度自分の力を引き出す感覚を知ってしまえば楽なのか、私の身体は今まで以上に思い通りに動くようになった。
それにはエースも驚いているようだ。たまにフェイントを喰らわせるとうわ!と声を上げて避ける。なにせ私は覇気を纏っているのだ、彼だってこのくらいの覇気で殴られたら痛いだろう。
「ちょっと休憩しようぜ」
「うん」
ごろんと床の上に寝転がった彼に倣って私もその横に寝転がる。開けた窓から秋風がそよそよと吹き込んできて、熱くなった身体を冷ましてくれた。熱くなるのも当たり前だろう、私たちは三十分以上組手をしていたのだから。以前だったら彼との組手でこんなに長く持ったことはない。精々五分程度で私は彼に伸されていたのに、今では互角に戦えるようになっている。まあ彼の場合まだ能力を使っていないから互角とは言えないかもしれないけれど。
「こんなにあっという間に強くなるとあんだけ頑張ってたのが笑えるな」
「そうだけど…それは言わないで」
エースのそれとなく発した言葉が思っていたよりも胸に突き刺さる。あのトレーニングの時間は私にとってもハルタやイゾウにとっても無駄だったと言っているようだから。けれど、あのトレーニングは私の中の糧になっていると思っている。だって、自分には敵わない相手に立ち向かっていく勇気や戦うことの難しさを二人から教わったのだ。決して無駄だったわけがない。
私の組手のメインの相手はエースとマルコになってしまったけれど、彼らにはこれからも私のトレーニングを任されるようだった。それもそうだ、こんな力に目覚めたばかりの私が彼らに勝てるわけがないのだから。
「秋島に着いたら何しようかなー?」
「俺食料調達……」
げっそりとした様子で呟いた彼に、またー?と笑いながら返す。でも、まあそれは仕方がない。この船の中で一番食料を消費するのは彼なのだから。そんな彼に付き合わされて二番隊の男達はよく食料調達に向かっていく。たいした自由時間もないその仕事にエースは不満そうだったけれど、彼は隊長だ。それくらい仕方のないことだと分かっている。
「よォ、。今は休憩中なのか?」
「ティーチ。そうなの、秋島に着いたら何しようかなってエースと話してた」
がちゃりとトレーニングルームの扉を開けて入ってきたのは、大柄の男のティーチだ。海賊の男らしくあまり手入れされていないもじゃもじゃの髪や無精ひげはおっかない印象を人に与えるけれど、野心の無い気の良い男だ。何て言ったって私と同じくらい古株の彼は、新参者のエースが隊長に推薦された時だって嬉しそうにしていた。
「俺はいつもエース隊長の食料調達に付き合わされるからなァ。は自由で羨ましいぜ」
「私だって全隊に入ってるんだから仕事くらいあるよ」
ゼハハハハ、と独特な笑い方をして彼は寝転がったままの私たちを見下ろした。彼の言葉が冗談だと分かっている私はそれに笑いながら返す。次の島に着いたらきっと誰かしらが私を隊の仕事に連れて行くのだ。
「エース隊長、と二人で寝てるなんてバレたらマルコ隊長にどやされるぜ?」
「そりゃ、ティーチ。お前がマルコにチクらなければ良い話だろ?」
ニシシと笑ったエースに、それもそうだなァと彼は笑ってこの部屋を後にした。どうやら今から大事に取っておいたチェリーパイを食べに行くらしい。
「ねえ、エース」
「…………」
天井の木目を眺めていたらだんだん眠くなってきた。そう言おうとして彼に声をかけるけれど、彼から返事が返ってこない。ちら、と視線を横に向けたら彼はいつの間にか寝ていたようだ。何だ、エースも同じなんだ。
ふふっと笑って私も目を閉じた。近くて寝転がっている為、重なった腕から彼のぽかぽかした熱が伝わってくる。
そんな風に昼寝をして、それを見つけたマルコが風邪を引くだろうと私たちを叱るまで、あと一時間とちょっと。

――秋島に到着した。爽やかな涼しい風が頬を撫でる。
昨日二人してお腹を出して昼寝をしていたことに対してマルコからこっぴどく叱られた私は反省した。物の見事に、その後にお腹を壊したのだ。あれは痛かった。
そしてそれ見ろと言わんばかりに私を見やった彼の視線が少しイラっとしたので「マルコの焼きもち焼きー!」と三流のような捨て台詞を残してサッチの部屋に駆け込んだ。
まさかそれが図星だったとは知らなかった私は、彼がその後少し消沈した様子で自分の部屋に入っていったことなどつゆとも知らなかった。
「おい、。今暇だろ?」
私の背に声をかけたのはイゾウ。声の質と、私の事情を一切考慮しないで暇だと断定してくるのは彼しかいない。
まあ、どっちにしろ暇なんだけど。十六番隊の仕事が来たな。そう思った私は振り返ってうんと言った。
「なら良い。俺たちと一緒に島を探検しに行こうぜ」
「えっ、探検!?俺も行く行く!!」
食料調達の準備の為に傍にいたエースが、会話に聞き耳を立てていたのか、ばっとこちらに振り返って会話に乱入してきた。しかし軽くイゾウに、「お前は食料調達っつー大事な仕事があんだろうが」と一蹴されてしまい、不満気な様子で二番隊の仲間の元に帰っていく。まったく、エースは…。
思わず彼のそんな様子に笑いそうになってしまった。
「で、どうすんだ?」
「うん、良いよ」
お嬢一緒に行こうぜ!とわらわらと集まってきた十六番隊の男たち皆に聞こえるように、大きく頷く。そうすれば彼らは一様に喜んで、私たちは十何人の男たちと共に秋島の地に降り立った。


2013/04/20
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