04 いつまでも、子どものままで

 相変わらず特訓の日は続いている。この間、新しい島に着いた時もろくに上陸しないでトレーニングばかりしていた。私が望んでいることでもあるけれど、少しくらい島の様子を見せてくれても良かったのに。
そんなトレーニングの中でも今日は一際嫌な特訓の日だった。
今日は三日に一度のエースとの組手の日だ。しかも、甲板の上で対戦させられる。
日の光の下で戦う理由は至極理解できるものだった。マルコは私がいつか昼間に屋外で戦うことを考慮に入れて、今の内から太陽の下で戦うことに慣れさせようとしているのだ。
でも、この組手は非常に疲れる。何故なら上から注ぐ太陽の熱と、エースから繰り出される攻撃。最早組手ではなく、ただ単に私を叩きのめす為に拳が出されているようにしか見えないそれに、私は今すぐにでも逃げてしまいたい衝動が起きる。
「エース、お願いだから手加減してね」
「おう、任せろ」
あ、駄目だな。
私のお願いに闘志満々の顔で頷いた彼を見て、咄嗟にそう思った。きっと彼の中での手加減するということは炎を出さないということであって、それ以外だったら全く問題ないのだろう。
数分後の自分に合掌をして、私は腕を前に構えた。パパたちが見守っているのだ、格好いいとまではいかなくともせめて彼の攻撃に耐えた姿を残したい。
「よし、かかってこい!」
「……」
ぱしんと拳をぶつけた彼をひたと見据える。このまま私が彼に突っ込んでいったとしても返り討ちにあうのが必至だ。それならば、太陽の下だから私には多少厳しいけれど、彼を焦らして彼から攻撃させる。そしてその攻撃を躱して彼の身体のどこかしらに攻撃を入れるという作戦が良いだろう。
「まだか?」
思った通り、彼は私がじりじり横にずれるだけの体勢に早くも焦れてきたらしい。私が何もせずじっと彼を見つめているだけの状態に段々不満になってきたようだ。
来ないんだったら俺からいくぞ。その言葉と共に一気に距離を縮めてくる彼。
これでも私は動体視力がとても優れている方だ。吸血鬼の力に目覚めてからはそれは益々発達して、大抵の動きなら見切れる。だが、その動体視力についていくだけの身体が出来ていないのも事実。
私はそのことを理解した上でこの行動に出た。
エースが私に向かって腕を振り上げたのを見計らい、私は最小限の動きで彼から離れないように身体をずらし、その勢いのまま足を振り上げた。その程度の攻撃だったら彼は難なく避けることが出来ただろう。それくらいの実力を彼は持っている。だから私は少し小細工をした。卑怯かとも思ったが、これが命をかけた勝負だったらそんなことも言ってられない。
彼は私の蹴りを余裕で躱せると見た。そしてその顔には余裕の微笑が湛えてある。だが、それこそが誤算だった。
覇気を纏った私の足が彼の頬を直撃する。
彼も周囲にいた者たちも、彼の頬に私の蹴りが決まったことに一瞬ぽかんとした。私の靴はその勢いのままぽーんと放物線を描き、甲板に落ちる。そう、つまり――
「きったねェ!!、お前、わざと靴ひも緩めてリーチ伸ばしたな!!?」
「えへへ」
靴が簡単に脱げるようにしておいた私は、見事いつものリーチとは違う長さに瞬時に反応できなかった彼の顔に蹴りを入れられたのであった。
褒めてねェよ!彼がそう言いながら、堪えきれなかったのがハハハと笑いだす。まさか、私がそんなズルをするとは思っていなかったのだろう、吃驚したと呟きながら。
「でもその手はもうくらわねェぞ」
「そうだよね」
周りで見ていた男達も、漸く私がしたことを理解して笑い出した。だって、私としてはこんなことをしてでも一回ぐらいエースに攻撃を決めたかったのだ。どうせこの後はあっという間に彼に伸されてしまうのだから少しくらい良い気になったって罰は当たるまい。
片方だけ靴を履いているというのも気持ちが悪いので、裸足になる。彼は私が靴を脱ぐのを待っていてくれて、脱いだ直後にまた攻撃を仕掛けてきた。
――右、左。左と見せかけて右。彼の拳が唸るような速度で私の身体目掛けて突き出される。私はそれに間一髪の所で避けていた。攻撃を仕掛ける余裕なんて少しもない。遠心力を付けて繰り出された回し蹴りが横腹に決まる。咄嗟に右腕で庇ったが、それでも彼の力に耐えられずそのままばしゃあんと海に蹴り落とされた。


 先程の一見汚いように見える戦法はきっとイゾウが教えたのだろう。彼は彼女が戦いにおいて生き残る為だったら卑怯な手でさえも使えというような男だから。彼女はそういった彼の心境を分かっているのだろう。俺は冷静に彼女とエースの組手を分析していた。彼女にとっては理不尽極まりないだろう彼の攻撃も、俺から見てみればかなり手を抜いているのが分かる。何とか彼女がぎりぎりで避けられる速度で、顔は狙わず主に肩や胴体に攻撃が向けられていた。
それをぎりぎりで躱している彼女を見て、俺はふと疑問に思った。今の彼女にLILYが覚醒した時のような圧迫感は覚えないし、またあの時のように超人的な力を持っているわけでも無い。日の光の下だからか。そう考えてみたが、イゾウたちからの報告でもそういった状態なのだ。あの時の力は形を潜めていると考えた方が良いだろう。
「あー、横腹入った…」
隣で彼女のことをはらはらとした様子で見ていたサッチは彼女がエースに蹴られた勢いのまま海に投げ出されるのを見て、顔を歪めてすぐに後を追って飛び込んだ。俺も悪魔の実なんて食べていなければ彼と同じように、彼女を助けるために海に飛び込んでいただろう。海に嫌われた身が、今は憎い。
「げほげほっ、あー……水飲んだ」
「わりぃ、。力んじまった」
サッチに抱えられて船に戻ってきた彼女は海水を飲んで噎せていたが、思っていたより苦痛に歪んだ顔をしていなかった。それにほっとして近づく。
「咄嗟にガードしたおかげで内臓に負荷はかかってないようだねい」
「うん、危なかった」
海水でびしょぬれになっている彼女の髪をがしがしとタオルで拭いてやる。ちら、と彼女の腹部に目をやってみたが、彼女はとくに腹部を庇うという行動をしていないから、痛いのはそこを庇った腕だけだろう。しかし後できちんと腹部にも異常はないか確かめないと。
ぺったりと額に張り付いた彼女の前髪を掻き上げながらそんなことを考える。
「とりあえず着替えてこいよい」
「分かった」
大人しくされるがままになっていた彼女は、俺の言葉に頷いてたたたと自分の部屋に駆けて行った。そんな彼女の後ろ姿を見てエースがぽつりと呟く。
「あいつ、なんか分かんないけど、全然成長しないんだよなァ」
先程の戦いについての独り言なのだろうが、それは俺たちの耳にも入った。
「それは俺も思ってたよい。今は覚醒した時の強さが窺えない」
「あいつ身体の基礎がまだまだだからなァ。そういうことなんじゃねェのか?」
――まァ、俺としちゃァいつまでも俺たちが守ってやれるように弱いまんまでいてほしいんだけどなァ。
誰に向けるというわけでも無く、付け足したサッチの言葉に俺は何も返すことが出来なかった。
そんなの、俺だって一緒だ。が真の力を手に入れたらきっと俺たちの力など簡単に越してしまうだろう。そうなったら、俺たちは彼女を守る存在から何者でもない存在に変わってしまう。彼女が俺たちより強くなってしまったら、俺たちは彼女に何もしてやれない。だって、一体何が出来る?俺たちより彼女の方が強いのに、俺たちに頼ってくれる訳が無い。
それを俺たちは恐れていた。何も言葉にしなくとも、長年一緒にを育ててきた俺たちにはお互いが秘めているそんな気持ちなど筒抜けで。いつか訪れる、彼女から必要とされない日が来るのを、俺たちは来てほしくないと願いながらそれに抗うことが出来ないのだ。
「バカだなァ、サッチ」
「ああ?」
しかし、末の弟は彼の言葉にはははと笑って言った。
が強くなったら一緒に戦うことが出来るんだぜ?いつ敵にやられるかなんて気にする必要もなくなる」
”良いことばかりじゃねェか!”こんなことも分からないのか?と言外に言われているような気がして彼を見る。サッチもまさかそんな考えには至らなかったようで、少し目を丸くしていた。
――確かに良いことかもしれない。戦闘の度に、俺は昔から彼女の身が心配でならなかった。戦闘に参加していない隊の奴らにを預けてもその気持ちは拭えなかったのだ。
もし不測の事態が起きて彼女が敵に人質として連れて行かれたら?もし傷つけられたら?敵に怖い思いをさせられたら?
どんな能力者がいるか分からないこの海で、彼女の身を案じることは少なくなかった。彼女が強くなればそれがなくなるとエースは言うのだ。そして隣に立って共に戦うことが出来る。
危険な状況になれば可能な限りすぐに助けに行くことが出来る距離に彼女が居る。彼女が実戦に参加する事には反対だけれど、少なくとも彼女が力を手に入れられるなら、自分の身を自分で守れるのだ。
なるほど、ポジティブな弟だ。
いつまでも俺たちに頼ってくれる子どものままでいてほしいと願うのは、俺たちの我が侭なのだろう。彼女はもうそろそろ子供なんていう存在から抜けだそうとしているのに。それでも、俺たちにとっては彼女はいつまでたっても子供なのだ。大切な、大切な少女。
「あ〜、早くが強くなって一緒に合体技してェ」
「いや、それはやめろって。が火傷しちまう」
呑気にこれからのことを緩く夢見ているエースにサッチが慌てて止めに入る。俺もそれには賛成だ。いくら彼女の治癒力が高いとはいえ、エースと合体技なんてしたら彼女の身が持たない。まあ、そんなことになる前に俺が全力で止めに入るが。
「こう、火柱でドーン!!って」
「だーかーら、それはナシだよい!!」
いつの間にか暗くなっていた気持ちは、目の前の末の弟の馬鹿な妄想によって吹き飛ばされてしまった。そして、たたたと小さな足音が聞こえる。きっと着替え終ってこちらにやってきたの足音だろう。
それに気づいたエースが、彼女に合体技をやろうと誘いに行くのを、俺たちは笑いながら止めた。


2013/04/05
頼って、縋って。君に、必要としてもらいたいんだ

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