非術師を見下す自分、それを否定する自分、どちらを本音にするのかは――君がこれから選択するんだよ。
特級術師が言ったあの言葉が脳裏に過ると共に、傷だらけの亡骸で帰ってきた灰原と憔悴しきった七海の姿がなぜか、目の前にいる幼い少女たちの怯え切った姿に重なる。
背後で話しているニンゲン二人の言葉はもう別の動物が話している言葉のように耳障りで。今まで何とかして封じ込めてきた非術師への憎悪がどろりと黒い塊となって溢れ、傑の心を満たす。
「皆さん、一旦外に出ましょうか」
微笑みを浮かべながら村人二人を外に連れ出したがその後、村人二人は恐怖に顔を歪め、苦悶の表情のキャンパスには汚らわしい血が飛び、その死を彩った。それを淡々と見ていた傑はそこで、漸くのことを思い出した。
――行かないで、傑くん。
溢れた涙で頬を濡らし縋りつく彼女の必死の形相。あの時、彼はその手を取らなかったが、帰ると約束した。
「ギャア」
「なんでえええ」
「いやああ」
阿鼻叫喚の地獄絵図と化した村を眺めながら、彼は血に濡れた道を歩んだ。が言ってたのはこういうことだったのか。足元に転がる肉塊に汚らわしささえ感じた。
「約束、守れそうにないな」
何の感慨もなくぽつりと吐露された言葉は、最後の一人の断末魔にかき消された。


青い春を壊して



傑が旧■■村へ向かってから既に5日経過した。その間、任務が入っていなかったはかつてない程に集中できず、四六時中上の空であった。傑くんなら戻ってきてくれる。でも私が見たどの未来でも集落の人を虐殺していた。一回くらい未来が変わるかも。でもどれだけメールを送っても返事がない。もしかしたら見落としていた道があるかもしれない。ああ、でも結局は…。そんなことばかりぐるぐる考えて、食事も喉を通らない始末だった。
――そんな状態の彼女を見かねてとうとう夜蛾に呼び出されてしまった彼女は、誰も通りかからないベンチに夜蛾と二人腰かけていた。
、お前…明らかにこの数日間おかしいな」
「…すみません」
真正面から問いただされるのではなく、横から優しくかけられる声には戸惑いと心配が入り混じったような気持ちが含まれているような気がした。足元でせっせと食料を運ぶ蟻の隊列から自分の手、そしてベンチ、また再び地面へと視線が彷徨う。
「傑と何かあったのか」
「………」
何故かピンポイントで挙げられた名に言葉を失う。
――この5日間、短いようで長い時間の中、彼女が自分が見た未来を誰にも言えないことで抱えきれない程の恐怖と罪悪感、そして傑への二律背反した気持ちを持て余し、気が狂いそうだった。
夜蛾先生に言わないと。でも、傑くんはもしかしたら大怪我して連絡できてないだけかも。開きかけた口を閉じては開けることを繰り返して、口の中がカラカラだった。どんな結末になっているかなんて、未来を見てしまった自分が一番よく分かっているのに、その事実から目を背けていたかった。

――傑は帰って来ない。
その事実をが受け止めるにはあまりにも彼の存在が大きすぎて。それでも、もうその事実を受け止めないといけない。そう心が認識した瞬間、の視界はぼやけ、涙がつうと頬を濡らした。
「先生、私が“見たこと”…話します」

夜蛾に傑の未来を見た結果を伝えた所、彼は驚愕から暫く言葉を紡げなかった。だが、の術式の精度を理解している彼はすぐさまこの数日間連絡が通じない傑の為に派遣していた調査団へ連絡をした。幸い、ちょうど調査が終わった直後だったようだった。そして、その電話で伝えられた事実はが話した内容と全く変わらない。
「…理解が追いつかん…」
頭を抱えて深いため息を吐いた彼は、徐に立ち上がって虚ろな目をしたの手首を取り引く。校舎へと足早に向かう中で、また誰かへと連絡をする彼に、は考えずともその相手が悟であることを察した。誰よりも“夏油傑”に近かった人間に話をするのは当然だろう。
変に冷静になった頭がそう考えている傍らで、夜蛾に呼び出された悟の困惑の表情と信じたくないという悲痛な心の叫びを孕んだ言葉に、は胸が張り裂けそうだった。
「んなわけねぇだろ!!」
「悟、俺も…何が何だか分からんのだ…だがもそれを“見ていた”んだ…」
悟の言葉に夜蛾は頭を抱える。
――術師の可能性がある子供たちへの迫害がトリガーとなり、傑は集落の人間を一人残らず虐殺した。その瞬間の血の迸る様子、呪霊に指示を出す彼、恐怖に顔を引きつらせ、逃げまどい、しかしどこに逃げれば良いのか分からず呪霊に殺されていく人々の断末魔の悲鳴。
何度も夢に見たその光景が脳裏に過り、再び涙で視界がぼやけて唇が震える。
!本当に、“そんな未来”見たのかよ!」
「…見たわ…全ての未来で、同じ結末を…」
「――っ!!」
乱暴な足音と共に肉薄し、の肩を揺さぶる彼の拳が、爪が痛い程に肩に食い込む。涙でぼやけた視界でも彼が苦しそうに表情を歪めるのが見えた。私たち、どうしたら良かったのかな。未来が見えても、最強でも、大好きな人一人救えないなら、そんなの何の意味もないのに。


傑の未来を知りながら黙秘していたに与えられた罰は「罰を与えないこと」であった。にとって罪を犯しながら、罰を与えられないことでどれだけ苦しむか。それを担任の夜蛾が知らない筈もない。そして、夜蛾がに罰を与えなかったもう一つの理由は上層部にこの件を話せば、も重罰を受けることが分かり切っていたからだ。今、高専の戦力を削ぎたくない夜蛾の独断によるものだったが、はその妥当な罰を甘んじて受け入れるしかなかった。
――ぼんやりと新宿の街を歩く人々を眺めながら、はテラス席でアイスコーヒーを飲んでいた。先ほどまでは隣に硝子がいたが、喫煙所を探しに出かけていってしまった為、今は一人。硝子に強制的に引きずり出されなければ、は自己嫌悪と無力感から任務が入るとき以外はただ無気力に時間を潰すことしかできなかっただろう。
「普段通りになんて、できるわけないのに…」
ぽつりと呟けば、寂寞感が胸に溢れて全身が冷たい涙の湖に沈んでいく。はあ、と思わず漏れそうになった溜息の先に、誰かが座った。硝子にしては早すぎる。緩慢に顔を上げれば、そこには微笑みを浮かべた傑が座っていた。
「っ!」
「約束、守れなくてごめんね」
ひゅっと息を飲んだに対して、傑は眉を下げる。目の前に、あんなにも、切に願っていた彼の姿が見える。一瞬時が止まったかと思うほどであった。だが、次いで額から吹き出したのは冷や汗。バクバク、と五月蠅い程に心臓が鳴り響く。ここで彼がに手を差し出したら、彼が大虐殺を行った本人だということを理解していても尚、その手を取らないと100%断言することが出来なかった。
「…あの子たちを助ける為に、仕方なくやったのよね?」
「それは一つのきっかけにすぎないよ。でももう彼らは私の家族だ」
愚かにも違うと分かっていながらも彼女はそう聞くことしか出来なかった。ほんの一握りの希望を捨てる事さえできない。しかし彼から返ってきた言葉は“否”。
術師だけの世界を作る。そう言う彼の言葉に世界が歪んだ。ぐわんぐわんと頭の中で反響する言葉。眩暈を感じた彼女はその過程で彼に殺されていく人々の、まだ見ぬ恐怖に満ちた顔に見つめられた気がして、ぞっと背筋が凍り付く。先ほどまで感じていた舌の上のアイスコーヒーの味さえしない程に、緊張感が漂う。口の中は既にカラカラだった。もたつく舌を必死に動かして、彼を見つめる。
「その世界で傑くんは何をしたいの?」
「…はそれを聞いてくれるんだね」
はこの期に及んでも“夏油傑”を理解したかった。彼が何を憂いて、何を憎み、術師だけの世界を作ろうと思ったのか。そして、その世界で何を成したいのか。それが分かれば、彼を連れ戻すことが出来るかもしれないと思ったのだ。だが、連れ戻した所で、彼を待つのは処刑という現実だ。
死んでほしくない。でも戻ってきてほしい。相反する願いに、頭は焼き切れそうだった。
傑は彼女の言葉に一瞬目を見開いて、その後に柔らかく笑った。その笑みは、きっと本物だとでも分かった。そして、その言葉から既に彼が高専の誰かしらと接触していたということも。十中八九、悟か硝子であろう。
その考えに至ったと同時に、彼の笑みから悟る。この後の言葉を聞きたくない。耳を塞がないと。

、私と一緒に来ないか」

街の喧騒が消え、静寂の中に二人の呼吸だけ。まるで、世界にたった二人しかいないような、そんな気分だった。の見開いた眼には目の前の傑しか映らなかった。キーン、と遠くで耳鳴りがする。
――私を選んでくれた。必要としてくれた。でも私は高専に背を向けることなんてできない。ああ、酷い人。私の告白に返事をしてくれないのに、勧誘するなんて。ずるい…狡い、嬉しい。でも行けない。無理よ。私はあの二人を、先生たちを、母を裏切るなんてできない。お願い、戻って来て。
頭の中を駆け巡る数多の感情と言葉たち。もう、耐えられなかった。冷えた頬につう、と熱い涙が伝う。
「ずるいわ……」
わなわなと震える唇で紡げたのはたったの一言。青白くなるまで拳をぎゅっと握りしめて、涙で歪む世界で傑を睨む。彼は困ったように笑っていた。彼女の言葉の意味を彼はきっと理解している。狡い、狡い人。を無理に連れ去るでもなく、殺すでもなく、彼女自身の意思を尊重する彼に憤りさえ感じた。
「一緒に行けるわけないじゃない…!」
あんな風に聞かれたら、は行くと言える筈がない。それを彼は分かっている。告白の返事さえくれないのに、と傑の間の境界線を自ら引かせようとする彼に、顔を歪める。なんて酷い男。それなのに、こんなにも胸の痛みは彼を好きなのだと伝えてくる。
嗚咽を堪える彼女を静かに見下ろして、彼は立ち上がった。
「それじゃ、ここで“さよなら”だ」
眉を下げて笑う彼。ああ、よく傑くんは私が落ち込んでいる時にその顔をして慰めてくれた。その笑みを、こんな最後に見せるなんて。彼のジャージ姿が目の前から消え、スニーカーの音が再び溢れ出した雑踏へととけていく。茫然と空を見つめることしか出来なかった彼女はガタリと椅子から立ち上がって、彼が消えていった方向へと振り返った。だが、そこに彼の姿はもう無かった。音も、匂いも、もうしない。
「本当にもう、さよならなの…?」
彼の背中さえ視界に入らない事実に、眦をくしゃりと歪めた。自分の耳にも入らないくらい小さな声は、街の喧騒にかき消されていった。


2021/04/16
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