生まれた時から白い髪。時折、太陽の光によってそれは銀色に輝いた。目を細めてそれを見るに彼は微笑む。サングラスの淵から覗く彼の碧眼が、この世の全ての宝石を集めたとしても負けてしまうほどに綺麗な輝きを放った。
なんて美しい人間なのだろう。芸術品のように愛でたい、とふとそんなことを思う。
今から何年も前の、ある晴れた夏の日のことだった。


不発弾みたいに取り残されてしまったものが初恋なのよ



年末年始は一部の者を除き、高専の者たちはそれぞれ実家に帰ったり旅行をしたりと自由な時間を過ごす。もその例には漏れず実家へと帰省していた。帰省と言っても、母以外の者の為に顔を出すのは最小限に留めてはいるのだが。
それは偏に、もう既に20代後半に入っているに対して「早く結婚したらどうだ」やら「女は結婚して子供を産んでこそ」などと時代錯誤も甚だしいことを義母や義兄姉たちに影で言われるからだ。阿保らしい、と彼女は思う。そうやって彼女たちはに嫌がらせをしたいだけなのだ。だが今日は1月1日。皆で新年会をやることになっている為顔を出さねばならない。
「嫌なことがあったらすぐに戻っておいで」
「はい、お母さん」
薄桃色の着物を着付けたに母が眉を下げて微笑む。母は側室の中でも一番地位が低いため、新年会に出ることが求められていない。逆に求められなくて良かったと二人とも思っていたのだが、が一人であの中に入るのが心配なのだろう。
いつになってもを心配してくれる母にありがたいと思うし、今よりも状況を良くしてやりたいとも思う。昔、悟たちが家に来た時に気兼ねなくこの家について話してくれたことを思い出した。あの時のように彼らが助けてくれるわけではないけれど、は義母や義兄姉から母を守るだけだった。
立ち上がる直前に、母が月下美人の簪を結い上げた髪に差してくれた。それは母がこの家に嫁ぐ時に祖母から贈られた簪。そっとそれに手を触れれば母はにこりと笑みを浮かべた。
部屋を出で酒宴に向かう彼女はスマートフォンがチカチカと瞬いたのを見逃していた。


「義徳様、そろそろさんもいい年なのですから、縁談を考えるべきではございませんか
?」
「私もそう思いますわ。私の時は22で嫁いでいるのですよ、お父様」
「ああでもアレを嫁がせるとしたら、相当懐の深い男ではないと駄目ですよ」
酒席であることを利用して父に酒を注ぎながら笑う正室と義兄姉。その笑みにはへの悪意が隠されているのを、少し離れた席にいる彼女には感じられた。だが、それには特に何も言わずにおせち料理に箸を付ける。豪勢な内容のおせちではあるが、父に提言する者たちの声を聞いていると、その味が落ちるように感じた。
父はそれには特に何も返さず酒を飲み、料理に箸を伸ばすだけだ。ちらりとそれを確認した彼女は同じように昆布巻きを口に入れて咀嚼する。今頃母も同じ物を自分の部屋で食べているだろう。母が好きなのは数の子だったな、と思いながらまたそれを口に入れる。こことは空気が違うだろうから、きっとおいしく食べられているだろう。
「だけど義徳様はお忙しいのだし、私の方で良い方を探しましょうか」
「ああ、それは良いですわ、お母さま」
オホホ、と甲高い笑い声を上げる彼女たちに、は思わずピタリと手を止めた。父に向けていた視線をこちらにやる義母の視線の鋭さに、彼女は真っ向から対峙する。離れた所で火花を散らす二人に、せせら笑う側室の親族。の味方は一人もいなかった。
――特級呪詛師、夏油傑には心を奪われている。
それをこの者たちは知っている。瞬時に彼女はそれを察した。この前クリスマスデートの時に悟が言っていた「皆知っている」という言葉。それは教師や同僚を指していただろう。だが、などの良家の子女には自由恋愛を許さない風潮があるから、誰かしら、何かしらが家に高専の時からの情報を流している可能性が高かった。
――面倒ね。
術式はプライベートでは使わないと決めている彼女だったが、術式を使わなくても義母を黙らせる手段を何パターンかを考えられる。最善なのは、この前得た義母の情報をほのめかすこと。だが、それをほのめかせば彼女のに対する嫌悪や怒りは今まで以上に増すだろう。
一度瞬いたその時、「…様!困ります!」という焦った侍女の声が遠くの廊下から聞こえた。それは他の者にも聞こえていたようで、顔を見合わせる。わざと大きな足音を立てるようにドスドスと歩くその者がどんどんこの部屋に近づいてくるのが分かる。足音の響きからして男だろう、ということは分かった。
不安げな顔で父を見つめる者たちだったが、父はその音の出どころに視線すら送らず酒を口に運んでいた。
一秒後、スパンと開かれた障子。
「あけましておめでとうございます、家の皆さん」
丸いサングラスに色紋付き羽織袴を着た男――五条悟が不遜な笑みを浮かべてそこには立っていた。
親族のみで行うのが恒例の家にズカズカと入ってきた五条家当主に唖然とした者たち。あ、いた!なんて嬉しそうに笑ってを見る悟はこの場には酷く場違いであった。
「五条様、新年早々ご足労いただくとは一体何事でしょうか」
「いや〜、うちも新年会やってたんだけどさ、すっごく退屈だから遊びにきちゃった」
剣呑な視線を向ける家当主に対し、あくまで姿勢を変えずにアホ面を晒す悟。それが偽りのものであると何人かは気づいていただろう。家と五条家は他の家にくらべれば仲が悪いなんてことはない。ただ、今までほとんど交流がなかっただけなのだが、それでもあっけらかんとした様子の悟に家当主は毒気を抜かれたようだった。
も退屈だろうなーと思って連絡してたんだけど見てないみたいだからさ」
来ちゃった〜!と華やかに笑う彼にはそういえば着付けをしている時からスマートフォンを放っておいたことを思い出した。だからといってこんな所までわざわざ来るのも考え物だが、ちょうどいいタイミングで来てくれたのも事実。
「ありがとう」
その言葉に色んな意味を込めながら彼を見やれば、当たり前のように部屋に入りに近寄る彼。それにまた唖然とする義母たちだったが、彼が何をしようとしているのか察した正室が「五条様!」と声を上げた。
さんは今、家族として大切な話をしているところなのです」
「へー」
五条家に逆らうことはできないが、何とかして引き留めたいのだろう。だが悟は引き攣った笑みを浮かべる彼女の言葉に少しも耳を傾けず、の腕を取って立ち上がらせる。
――ああ、まだおせちを食べてる最中だったのに。
無言で腕を引く彼に彼女は従うしかない。おせちを最後まで食べられなかったのは名残惜しいが、こういう時の悟は頑固だから無理だろう。
「五条様!さんは今縁談についてお話合いをしているのですよ!大切な将来の話なのです!」
「あー、はいはい。それじゃあ縁談相手は僕にしといて。はいこれでの縁談問題は解決。じゃ、これから僕たちデートしに行くから。お邪魔しましたー」
憤怒の顔を隠せなくなった義母の金切り声に辟易した顔をそのままに出した悟は、襖の前で義母を振り返る。ペラペラと適当な声音で告げられた言葉に「まあ!?」と悲鳴を上げる彼女が父に助けを求めているのを無視して廊下へと出る悟。
後ろから聞こえる金切り声とそれを諫める低い声には苦笑した。
「継母で虐げてるくせに“家族”とか言われると吐き気するよねー」
「そうね、ありがとう」
べえっと舌を出した悟はいつものように明るい調子に戻っていた。それを見て、は感謝した。あのままが一人で対処することも出来たが、五条家当主が乱入した方が義母も家もどうにもできないからだ。
「あ、言っとくけどさっきの縁談の話、その場限りの嘘じゃないから」
「え」
「だって将来的には僕のお嫁さんになるでしょ?いつ言っても変わらないから今のうちにって思って言っちゃった」
ハートマークが付く勢いでキャッキャと話す彼にの目は白黒するばかり。お嫁さんも何もまだ彼の告白には返事もしていないし、付き合うのかすら現状はまだ分からないのに、外堀からどんどん埋めていく彼に恐ろしくなる。
しかも何故か彼の足は母の部屋へと向かっている始末。何度か遊びに来たと言っても入り組んだ屋敷になっているから分からない筈だろうに、迷いなく母の部屋に着き、声をかけた彼が襖を開く。えっいやまって、なんでお母さんの所にまさか――
「お母さん、あけましておめでとうございます」
「あら、あなたは五条くん?」
「はい!ご無沙汰してます!これからさんとデートしてくるんでよろしくお願いします!」
「良いわね〜。二人が付き合ってるなんて知らなかったわ」
「あのね、お母さ」
「まださんから返事はもらってませんが、今後お付き合いする予定です!」
元気いっぱいハキハキした様子で母に挨拶する悟には口を挟めない。おっとりした様子でニコニコ話を聞く母の中では、既にと悟が付き合うことになっているだろう。「若いって良いわね〜うふふ」と笑う彼女に悟は「お母さんだってまだまだ若いですよ〜」とゴマを擦る。ちょっと悟くんいきなりキャラ変やめてほしいんだけど。
瞬く間に母を攻略しようとする悟には「あの」とか「ちょっと」と言うのだが、彼の元気いっぱいな声にかき消されてしまう。
――ええ、ちょっと…私まだ傑くんのこと忘れられてないのに…。
二人で勝手に盛り上がって母の部屋を後にした彼に、は「もー!」と怒りの声を上げた。


家から出て適当に近くの公園を散歩しながら、元旦でも空いているカフェへと二人で入った。振袖と袴の男女二人に店員は物珍し気な様子で視線を送ってきたけれど、たまたまこの店がソファ席でゆったり寛ぎながらお茶を頂く内装になっていた為、あまり店員からの視線は気にならなそうだった。
「あの場から連れ出してくれたのは本当に助かったけど、悟くんてほんと勝手なんだから…」
「ごめんごめん。でも何も言わずに出てったらのお母さん心配しちゃうでしょ」
悪びれもせずに両手を合わせる彼に、はむっとしながらため息をつく。母に伝えた内容はの気持ちを無視したようなものだったが、母に気遣って挨拶してくれたのだろう。実際に、襖を開いた時の母の笑みは最近では一番嬉しそうなものだった。
が一番に大事にしている母を気遣う彼に、これ以上文句は言えなかったし、ほんの少しだけ感謝の気持ちもあった。
頼んでいたミルクティーとコーヒーが静かに丸テーブルに置かれる。一緒に鎮座するシュガーポットから何度も砂糖を乗せたスプーンが行き来するのをそれとなくは眺めた。思えば、あの告白の後、彼と二人きりになるのはこれが初めてだったから、怒りや呆れが通りこしたら、何だかソワソワしてしまう。
「…悟くんは本当に私のことが好きなの?」
「うん、好き」
ミルクティーにぼんやりと視線を落としながらそれとはなしに問えば、すぐさま返って来る彼の言葉。好き、だなんて今まで生きてきた中で、彼からしか言われたことがない彼女は、どうしてもその言葉を聞くと心臓が跳ねる。
だが、この前は焦りと照れで彼の言葉を受け止めることは難しかったが、静かなジャズが流れるカフェの中、彼女はその言葉をすんなりと受け止めることができた。だが、彼の「好き」には疑問だらけだ。この前は聞けなかったことが頭の中にぽんぽんと浮かび上がる。
「どこが好きなの?」
ミルクティーから視線を上げて、隣に座る彼にちらりと視線をやれば、サングラス越しに彼の碧眼がを見つめる。
「顔、声、戦う時の姿、頭の回転の速さ、照れ屋な所、健気な所、一途な所…傑のことをずーっと好きな所、」
ぽつりぽつりと呟く彼に、最初はなんて恥ずかしい質問をしてしまったんだと顔を赤くした彼女だったが、傑の名が出たところでどっと寂寞感に襲われた。じんわりと眼球が熱くなって膜を張る涙。静かに続ける彼の声に耳を傾けながら、彼の想いに胸を締め付けられる。
彼はずっと見てくれていたのだ。が密かに、淡く、一途に傑のことを思い続けていたことを知っていてくれた。見守ってくれていた。
横槍を入れるような真似をせず、ただ、のやりたいようにさせてくれた彼。そして、と同じように傑のことを大好きだった彼。男女の恋愛ではないけれど、悟にとって傑はかけがえのない存在だった。代えなどきくわけがない。、たった一つの存在だった。にとってもまた、かけがえのない存在だった傑。まるで、お互いの傷を舐めあうようなものだろう。
そっと彼の肩に頭を寄せる。そうすれば彼は結い上げた髪が崩れないようにそっと頭を撫でてくれた。慰めを求めていると分かってくれたのだろう。
「初恋だったの」
「うん、俺も最初で最後の親友だよ」
ソファから窓の外のしん、と静まりかえった公園の緑園風景を緩慢に眺める。そっと呟いた言葉は、彼に届くか分からないくらいの声の大きさだったが、彼はしっかりと拾っていたようだった。同じように窓の外を見る悟の言葉が、雨粒が土に染み込み濾過されるように、の心の中に優しく落ちていく。
傑が呪詛師に堕ちた時、お互いに“夏油傑”という存在を失った。そして近い将来、またその存在を失う。二度と、手が届かないところへと彼を連れていく“死”。
そんな彼を思い続けることがどんなに辛く愚かなことか。優しく、優しく真綿のように愛情をくれる悟に落ちてしまえば、彼とともにこの短すぎた青い春を思い出として語りながら、生きることが出来るのではないだろうか。
――ああ、でもまだ…この思いを捨てたくないわ。
高専に入って暫くして好きになった傑の存在はにとっては大きすぎた。いつも近くにいてくれて、時には叱咤や励ましの言葉をかけてくれたり、時には静かに穏やかに見守り慈しんでくれた傑。
高専から彼がいなくなってしまった後もずっと好きだった。相反する理性と感情に振り回されることばかりだったけれど、その苦しみが彼の与えてくれた唯一のものだから、いつまでもその手を離したくないと思ってしまう。
「まだ、捨てられないわ…」
「分かってるよ」
瞳を伏せて、ティーカップに口を付ける。隣で身じろぎした彼の言葉は酷く穏やかで優しかったが、次いで旋毛に落とされた温もりにはっとして、彼の顔を見上げた瞬間雲の合間から光がこうこうと差し込む。

――生まれた時から白い髪。太陽の光によってそれは銀色に輝いた。目を細めてそれを見るに彼は微笑む。サングラスの淵から覗く彼の碧眼が、この世の全ての宝石を集めたとしても負けてしまうほどに綺麗な輝きを放った。
「ばか」
そう呟くだけでいっぱいいっぱいだった。


2021/01/27
「捨てるんじゃない。そっと胸の中にしまえるようになれば良いんだよ」



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