これは呪いだと思う。悟はが作った傑の簡易的な墓標を見下ろす。彼女が何を思ってこんな物を作ったのか、彼は知らない。傑はまだ生きているし、そう簡単に死ぬようなタマではないから。もしかしたら、傑がの前から消えた時に、彼はもう彼女の中で死んでしまったのかもしれないけれど。
たった一人の親友がに残したのは、彼の裏切りだ。それに彼女はいつまでも縛られている。
「お前は返事もせずにいなくなって、ずるい奴だな」
彼女の告白に対して特に何も言わずに敵対することになった傑。彼女はおおかた自分の片思いだったと気付いてはいるだろうが、それでもなぜ彼女の恋心に終止符を打たなかったのか、と責めたくなる。
――もしかしたら、忘れてほしくなかったのだろうか。の中にいつまでも夏油傑という存在を残しておきたくて、彼女に返事をしなかったのだろうか。否、彼の策士な一面を考えれば、彼女に未練を残させて後々利用しようと思っているのかもしれない。
それとも、本当は傑ものことを――。


ほんとうはきみが好きだ



25歳のクリスマスイブ。は毎年恒例の男漁り(ただし黒髪一重の男に限る)をする予定だったのだが、1週間前に悟から24日に会う約束をさせられて今年はその行事ができそうになかった。時々彼の買い物や食事に付き合わされたり、映画を見に行くこともあったけれど、12月24日を先に押さえられたのは初めてだった。
――いったい何なんだろう。
24日に傑に似た男性を探す本当の意味を彼は知らない筈なのに。彼が何を考えているのか分からなかった。

当日、彼女はクリスマスムードが漂う東京駅にやってきた。白いロングコートにワインレッドのマフラーと手袋。食事をする場所はレストランだと聞いていたから、きちんとした服を着てきた彼女だったが、相手が同期であれ、お洒落をするのは楽しい。
約束の時計台の下に向かう中で、彼女は一般人よりも頭二つほど飛びぬけた悟の顔を遠くから見つけた。
――意外。いつも微妙な遅刻の仕方をするのに。
よく見かける彼の遅刻癖。四人でいる時はもちろんだったが、上司に対してもそうなのだから、今日も同じように数分程遅れてやって来るものと思っていた。しかも、近づくにつれて彼の服装までいつも以上にセンスの良いコーディネイトをしているのも分かる。黒の細身のチェスターコートの下はワインレッドのタートルネックにセットのジャケットとパンツ。
まるでモデルの風貌に道行く人の視線が自然に彼へと注がれているが、彼はサングラス越しに携帯をいじるだけ。全く意にも留めていない様子だった。待ち合わせの時間より少し早いが、彼に声を掛けようと手を挙げかけた時だった。二人組の若い女性が頬を赤らめながら悟に話しかけたのを見て、手を下げて立ち止まる。
――逆ナンされてる。
昔から彼は街を歩くと女性に話しかけられる割合が高かった。最近は白い包帯で目元を隠しているから近寄る人はいないけれど、今日はサングラスだから話しかけやすい風貌なのだろう。話しかけている女性二人も爪の先までお洒落を考えているようだった。自分の爪と見比べてどことなく嫌な気持ちになる。
だって、刀を握る為に爪は長く伸ばせないし、一般人の女性に比べれば彼女の手は筋肉質なものだろう。
――普通にお洒落出来ていいなぁ。
彼らの話が終わるまで待っていようと、視線を彼らからずらして綺麗なイルミネーションをぼんやりと眺める。綺麗ね。本当はこの景色を一度で良いから彼と見たかった。
戻って来ることはないし、彼はいずれ何年か先の今日、死ぬ。敵となった傑に対して、この思いをいつまでも持ち続けていることは止めるべきだと理性では分かっていても、感情は勝手に幸せを求める。結局、私の片思いだったのに。
感傷に浸りかけた彼女の鼓膜を揺する若い男の声。
「すみません、あの、本当に急だと思うんですけど」
おどおどした様子でと悟の対極線上に現れたのは、仕事終わりのサラリーマンだった。道を聞かれるのだろうか、と顔をそちらに向ければ、男性は赤らんだ顔ではにかみ彼女と目を合わせる。
「本当に僕のタイプで…良かったら一緒に食事をしてくれませんか?」
「!」
ナンパをするのは初めてなのか言い切った直後に顔を真っ赤にした彼に、は本当にそう思っているのだろうな、と分かった。呪術界に身を置いていればある程度人を見る目が養われるというか、だれが嘘をついていて誰が正直に話しているか、などは大方読み取れるようになるものだ。
だからこそ、は視線を泳がせた。彼は黒髪で一重ではないし、今から悟と食事をする約束をしている。直球に好意を向けられることに慣れていない彼女は、どう断るか考えあぐねてしまった。だが、突如引き寄せられる腰とぶつかる肩。
「ごめんね、お兄さん。この子は僕とディナーの予定だから」
「あっ、悟くん」
の頭の上でニッコリと笑う彼が強引にの腰を引いてその男性から引きはがして歩き出した。後ろで聞こえる男性の落ち込んだ声に申し訳なく思う。こんな見せつけるように連れ去らわなくても。
先ほど声をかけてきた女性二人とはすぐに別れたのだろうか。でなければ、少し距離があるここまで来るのにもう少し時間が必要だった筈だ。
「ったく、あんなナンパなんてバッサリ切れば良いじゃん。僕と約束してんだから」
「傷つけずに断る言葉が見つからなくて…」
は甘いな〜」
相変わらず距離感がバグ状態の悟に腰を抱かれつつイルミネーションの間を歩く。彼は顔を顰めてぶつくさと先ほどのことを責めてくるけれど、そんなことを言うなら彼だってナンパされていたのだからお互い様だろう。というか、お互い様って何だろう。別にそんな関係でもないのに。
「ここら歩いて日本橋のレストランに行こー」
「え?東京駅じゃないの?ヒールなのに」
「ダイジョブダイジョブ!疲れたらお姫様抱っこしてあげるから」
綺麗だねー、なんて悟が言った後の発言に目を見開いた彼女。距離としてはそこまで気にするものではないけれど、彼女が今日履いているのは割と細めのヒールのブーツだった。駅からそんなに歩かないだろうと思っていたのだが、どうやら彼はこの丸の内のイルミネーションを見てから行きたかったらしい。
「ねっ?」とぶりっ子顔(膝を曲げて上目遣い)をする悟に彼女は折れた。大した距離でもないし、普段鍛えているのだからヒールで歩いても別に大丈夫だろう、と。

図らずもお揃いコーデになってしまったことや、イルミネーションの輝きが綺麗だ、などと道中、彼と他愛ない会話をしながら、目的のビルに着いた。首が痛くなる程高いビルはどうやら高級ホテルだった。この中のレストランで食べるんだよ、なんて言われては若干焦った。いくらなんでもかしこまりすぎていないだろうか、と。
「悟くん、どうしたの?こんな所予約して」
「ここのフレンチが美味しいらしくて食べたかったんだよね」
緊張気味のに対して、彼は余裕の笑みを浮かべてを見下ろす。エスコートなら任せて、といらぬ気遣いを見せた彼には目が回り始めた。家柄としては御三家には劣るものの、名家であるがゆえ食事の作法もきっちり叩き込まれていたが、それは普段食べる和食に限る。フレンチの作法はテレビで見た程度の知識。
緊張からソワソワとしてしまう彼女の手を引いて、彼がエレベーターに乗る。今更だけど、付き合ってもないのに何度も手を繋いでるのっておかしくないかしら?学生の頃からの彼の距離感の近さに強制的に慣れさせられていた彼女はふとそんなことを思う。ただ、地上25階に着いて、目の前に広がる高級サロンにそんな疑問は飛んでしまった。
天井には豪華でありながらも華奢な美しさもあるシャンデリアが吊り下げられ、オレンジ色の暖かな光が薄ら暗い店内を優しく照らしている。黒と茶色を基調としたアンティーク家具に白色のテーブルクロスがかけられており、窓からは夜景が覗いていた。
コートをスタッフに預けて、窓際の席へと案内されて椅子へと腰かける。どうやら他には客がいないらしく、はほっと一息ついたが目の前に座った悟と目が合って、ドキリと心臓が跳ねた。
このシックな雰囲気の中にいる彼が、まるでいつもの彼じゃないみたいで。男の人って感じ…。どことなく気恥ずかしさを感じた彼女はメニューを開いて、料理に合うワインを探すふりをした。

夜景を見ながらのディナーはとても心が躍るものだった。毎年この日だけは憂鬱な気分になって自分を傷つけたくなるのに、今日はそんな風に思わずに済んでいる。きっと、が話すスピードに合わせて悟が楽しく会話してくれるからだろう。
「そういえば、にクリスマスプレゼントがあるんだよね。一日早いけど」
「えっ、私何も用意してなかったわ」
デザートを食べ終わった所でジャケットのポケットに手を突っ込んだ彼。待ち合わせした段階で何でそんなにポケットが膨らんでいるのか気になっていたが、そこに入れていたとは。だが、彼がプレゼントを用意してくれていたにも関わらず、彼女は何も用意していない。
仲の良い同期と食事をするだけだと思っていたものだから、まったくそういう方向に頭を使っていなかったのだ。
彼がテーブルの上に置いたのは、爽やかな水色の箱。よくブランド名の後にブルー、がつくあの色だ。それに目を見開く。が何かを言うよりも先にその箱を開いて、中からネックレスを取り出した彼が立ち上がっての背面に立つ。
「髪、持ち上げて」
耳元で囁かれた言葉に、なぜか逆らえずに髪を持ち上げれば彼の手が前に回って首筋に冷たいチェーンの熱が走る。カチリ、と小さな音がして彼が背後から離れると、すかさずスタッフが鏡を持ってきての首元を映し出した。
――ゴールドのサークルにダイヤとローマ数字が入ったシンプルなネックレスがの胸元を飾っている。
静かに立ち去ったスタッフを見送って、は困惑の表情で椅子に座りなおした悟を見た。だって、これではまるで。
「あの、嬉しいんだけど混乱してて…どうしてこんな…」
「分からない?」
を見つめるその青い宝石のような瞳は酷く甘ったるい。それにおのずと顔が熱くなるのを感じた。ワインを飲んだからだと自分に言い訳をしたが、想像してしまった内容に、恥かしさから動悸がだんだんと激しくなっていく。
――いや、だってそんな…え?でも……。
赤い顔で混乱するを見て楽しそうに口元を歪ませる悟は待ちきれなくなったのか、自ら口を開いた。
「好きだからだよ」
のことが好きなんだ。告げられたその言葉。の瞳を見つめる彼は穏やかな笑みを浮かべている。それに、は恥かしさのあまりにとうとう俯いた。
――悟くんが私のことを好き?ドッキリとか冗談じゃなくて?
「因みに、ドッキリでも冗談でもないから」
の心を読んだかのように続けられた言葉には更に顔が熱くなるのを感じた。直球で好意を伝えられることなんて今までに無かったから――原因は悟にあるが彼女は知らない――どうしたら良いか分からなかった。
「その…私……」
「言わなくても分かってる。が傑のことをずっと好きなのはみーんな知ってるからね」
「え!?」
何と返事をすべきか分からなくても、傑のことは言わなくては、と口を開いた。それに対して悟が発した言葉はの予想の遥か上を行く。硝子には知られてるのは分かっていたけれど、皆!?皆って学長や先輩後輩たちもってこと?驚愕と羞恥心のあまり動揺してグラスから水を飲みほしたを彼が笑う。
一体いつから皆気が付いていたのだろう、とおののく彼女の手に悟の手が重なる。どきり、と心臓が跳ねたのは彼を異性として意識してしまったからだ。
「返事は今しなくて良い。今されたら僕、確実に振られちゃうし」
「それなら、どうして」
真面目なトーンで話す彼に、はそろそろと目線を合わせる。確かに今返事を求められたらは傑のことが忘れられない、と断るだろう。それを見越しているのになぜ告白されたのか分からない。自分の術式の為にあらゆるパターンを想定することは慣れているが、自分の恋愛事になるとそれが全く機能しないのが恨めしい。
「いいかげん、僕がを好きってことは知ってほしかったから。今はそれだけでいいよ」
頬杖をついて、を見つめる彼の視線の柔らかさに、彼女は気恥ずかしさから目を逸らして無言で頷くだけで精一杯だった。こんな視線を今まで彼から送られたことなんて無かったから。ただの仲の良い同期だと思っていたのに、こんな不意打ちを食らってしまい、としてはキャパオーバーを起こしそうだった。
――だけど、悟くんを好きになればもうあんな辛い思いを毎年しなくてすむのかしら。
ろくに回らない頭でも、傑のことは勝手に浮かんでくる。実らなかった初恋。返事さえもらえずに、敵対することになって、この思いが呪縛としての心を蝕んだ。終止符さえ打ってくれない彼を何度も心の中で責めた。でも、最終的には彼のことが好きだと思ってしまう。
の瞳が揺らぐ。何年も傑のことが好きだったのに、今更それを捨ててしまえるのだろうか。捨てて良いのだろうか。
――捨てたくない。無かったことにしたくない。
悟に重ねられていた手をぎゅっと握られて、ははっとして俯いていた顔を前に向けた。
「大丈夫、は僕のこと好きになるよ」
にっこり微笑む彼の宝石のような瞳が獰猛に光るのを見て、は息を詰めた。まるで、追い詰められた獲物のように。じりじりと、その肌に牙が刺さるのを待つ瞬間のように、目を見開いて、彼から目を離せない。

「傑から奪ってあげるよ」
悟の瞳の輝きは獰猛なのに、なぜかには彼が泣いているように見えた。


2020/12/24
あとがき

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