が傑のことを好きなのだ、と気づいたのはいつごろだったか。気づくよりも前に、悟はのことが好きになっていたから、今更どうしようもなくて、彼に向いている気持ちを自分に向けさせるしかない。
でも彼女は髪を伸ばし始めるし、高校生らしく薄く自然な化粧までして、もともと整っていた容姿がさらに磨きがかかっていく。それが全て傑に「かわいい」と思ってもらいたくてやっているのだと思うと、とてつもなく嫉妬してしまう自分がいた。


きみはきれいでぼくは焦げ付くばかり



金曜日の午後4時。授業も終わって寮へと戻る準備を始めた学友たちを見渡して悟はに声をかけた。
は週末何するの?」
「家に帰る予定」
「毎週家に顔出してるじゃん」
硝子と話していた彼女が鞄に教科書やノートを入れながら悟を振り返る。当たり前だというように紡がれた言葉に彼は首を傾げる。先週も先々週も彼女はそう言っていた筈だ。彼女をデートに誘いたくて毎週同じことを聞いている悟の身としては、そんなに頻繁に実家に帰る必要があるのか、という疑問が湧いても仕方がない。
「事情があるんだよー、ねー
「事情って何さ?」
鞄に荷物を詰め込んでを待つ硝子が話に割り込んできた。どうやらその口ぶりは毎週彼女が実家に帰る理由を知っているようで。仲間外れにされた気分になった悟は「うん」と頷いたの机に腰をかけて彼女を間近で見降ろす。素直に見上げたの丸くなった瞳にきゅんと心臓が跳ねた。
――可愛い。じゃなくて。
ぎゅん、と勢いよく傑へと首を回して彼をにらめば、言葉はなくとも聞きたいことが伝わったらしく首を振られる。どうやらこいつも知らねぇみたいだな。
「いつも母が一人だから会いに行くのよ」
「へー、お母さんにねー」
よどみなく伝えられた彼女の言葉に悟は家について思い起こしていた。他家にはそこまで興味もないけれど、確か家は御三家に及ばずとも名家であって、裕福だった筈。当主はほぼ隠居状態だし、寂しいことはなさそうだ、と。
悟が考えている間に椅子から立ち上がったが硝子と共に教室を出ていこうとする。勝手に会話を終らせるんじゃねー。天然なのかわざとなのかたまに彼女はこういうことをする。
帰りかける彼女の腕を掴んで、特別スマイルを彼女に送る。
「俺もの家に行っていい?てか、皆で行こうぜ」
振り返った彼女の目は先ほどよりも大きく見開いてぱちくりと瞬いた。

目の前の敷地と公道との間に立派な門が聳え立つ。
「大きな家だね」
「そりゃ家は御三家には負けるけど由緒正しい家だからねー」
「…まあ、どうぞ」
悟と傑が「おー」と声を上げる中、が門を開けて中に入る。因みに硝子も誘っていたのだが、もともと別の用事があったらしく来られなかった。めちゃくちゃ行きたがってたから写真でも送ってやるかー、と悟はの後に続いて敷地へと足を踏み入れた。デートに行けないのは残念だが、が生まれ育った家を見れるのならそれはまたそれで楽しいだろう、と。
が道行く先々で使用人たちに「おかえりなさいませ」とお辞儀されるのを背後から見ながら、悟は傑に冷たい声で囁いた。
「俺が便所に行ってる間に押し倒したりすんなよ」
「はいはい。そんな野蛮人じゃあるまいし」
彼は呆れたように笑うが悟は本気だった。貞操観念が人一倍強そうなでも好きな男に押し倒されたら流されるかもしれない、と。睨みを利かす悟に傑は「のことは本当に友達としてしか見てないって何度も言ってるだろ」と面倒くさそうに眉を下げる。彼は、彼女のことになると途端に悟が面倒になることをよく理解していた。内心はまたか、と思われているのは承知だが、悟は分かっていても何度も確認したくなるのだ。
長い道のりを歩いて漸く玄関へとついた。屋敷の扉を開けて靴を脱げば、使用人たちがすぐさま片付けていくのを見て、男二人は揃って「ありがとうございまーす」と声を上げた。
「私の部屋までは少し遠いの」
道案内する彼女は実家に帰って来たというのに、なぜか表情が少し硬い。傑もそれに気づいたらしい。ちらり、と悟と目を合わせてきた彼に肩を竦める。今はまだ理由が分からないが、そのうち彼女の口から直接聞けるだろう。

他愛ない会話をしながら歩いていた時だった。十字路から、おおよそ成人したころの若い男が出て、にぶつかりかけた。
「すみません、義人兄さん」
「何だ、また帰って来たのか」
一歩下がって頭を下げた彼女に、彼は鋭い目を向ける。そしてちらり、と後ろにいた悟と傑へと視線を移し、嘲りの表情へと変わる。謝りもせずにに高圧的な態度をとる男に、既に悟は嫌悪感を抱いた。
「しかも男二人も誑かして連れ込むとはな」
ふん、と鼻で笑う男に、悟は瞳孔が開いた。の「二人は学友です」という固い声音が少し遠くで聞こえる。サングラス越しに射殺すように彼女の兄を見やる。それは傑も同じだったようで、隣から僅かに漏れた傑の怒りが伝わってくる。
だが、彼女の身うちにもめ事を起こすのは良くないよな、と頭の片隅で理性が告げる。こんなクソ兄貴でも将来は義理の兄になるかもしれないのだから。そう小指の先ほどしか残っていない善良な悟が脳内で賛同する。しかし、
「やはり淫売の娘は淫売か」
男の言葉にあっけなく善良な部分は消え去った。
「アナタはうじ虫以下ですね」
「ハア!?」
悟と傑が一歩前に出たのは同時だった。ぐい、との腕を引いて、二人の間に彼女を隠す。傑の言葉に目を見開いた男が、怒りを露わに傑へと掴みかかろうと肉薄した。
「ゴミ以下だって言ってんだよ、オニーサマ」
だが、押さえていた怒気を放てば、声にならない悲鳴を上げて、男は後ずさった。脂汗が額から吹き出し、青ざめた顔で壁へとにじり寄り、そのまま震えた身体で踵を返す。くそっと罵った声が角を曲がる際に聞こえたが、二人は冷えた目でその背を見やるだけにしておいた。
「ごめんなさい、二人に不快な思いをさせてしまって」
「何でが謝るんだい?君は被害者だろ?」
「そーそー。ホントはボコってやりたいくらいだったけどさ」
訪れた静寂の中で、申し訳なさそうに謝る彼女。収めた筈の怒りがそれを見てまたあの男に向かう。いくら彼女の家族だろうが、好きな女を侮辱されてまで黙っていられる程彼は優しくはない。それはを友人と言う傑とて同じだろう。未だに額に浮き出た青筋が小刻みに震えている。だが、を安堵させるように口元に笑みを乗せる彼は、悟より大人だった。
「ありがとう」
「別に礼を言われるようなことはしてねーし」
「そうそう。友達として当然のことをしたまでさ」
遠慮がちではあったが、暗い表情から微笑みへと変わった彼女の顔を見て、内心胸を撫でおろす。女性に対する感情の機微がそこまで発達していない彼でも、流石にの顔に陰りがさすと慌ててしまう。の笑みを見れたことへの安堵から気持ちを切り替えて、彼もまたいつものように笑みを浮かべた。
「じゃあ、気を取り直してしゅっぱーつ」
「何でお前が取り仕切るんだよ」
先頭を歩き出した悟に、傑がすかさず突っ込みを入れる。それにがふふと小さく笑う。その声を聴くだけでよかったと思うんだから不思議だよな。


別室のの母親に軽く挨拶と学校での話をしてから、彼女の部屋へとやってきた。先ほど見た彼女の母親は姉妹と言ってもおかしくない程に若く、美しい女性であった。
――は母親似だろうな。
父親の姿はまだ見ていないが、容姿はきっと学生の頃の彼女ときっとそっくりだろう。そしてまた物腰や性格も母親譲りであろう、と感じられた。
だがそれを素直に言えるほど悟は人を褒めることに慣れていない。どちらかといえばおちょくりたいし、罵りたい。傑や意識していない女子とはそういう風にふざけ合えるが、となると話は別だった。
の母親は綺麗な人だな。それに優しい」
だが、当たり前のように傑はその言葉をに伝えることができる。その言葉に一瞬目を見開いた彼女は嬉しそうに笑った。柔らかな笑みは、目元がまるっきり母親と一緒だ。詳細にまで目を向けているにもかかわらずそういった言葉を吐けない自分に苛立つ。本当ならこの笑顔を俺が引き出したかったのに。
子供っぽい独占欲が湧きだして、むしゃくしゃした気持ちを静める為にお茶菓子として出された和菓子を手に掴んで食べる。
「ま、お前が母親みたいに綺麗になるにはあと10年はかかるだろーな」
「またそんな心にもないことを」
負け惜しみになってしまうが、彼女の脇腹を肘で突きながら彼女をからかえば、傑が呆れた視線を送って来る。俺だって別にこんなことばっか言いてーわけじゃねーよ。
「悟くんっていじわるだね」
「まったくだ。コイツは性格が悪いからな」
でもそんな悟の心情さえ理解しているかのように、ふてくされず笑ってくれる彼女。それに彼は笑い返した。本当は今でも可愛いって思ってるんだけどな。言いたいことを素直に言えないこの口が恨めしい。

お菓子を食べながら三人でテレビゲームに興じる中で、彼女がぽつりと声を上げた。
「さっきの、義人兄さんとは半分しか血がつながってないの」
何でもないことのように話す彼女の声に、止まりそうになる手を動かして、テレビに視線は向けながらも彼女の話を聞くことにした。彼女の母は側室の一人であり、彼女を含めて妻が5人いる。そして、彼女は一番新しい側室で他の者たちよりも一回り、二回り若く、他の妻たちから敵視されていた。
望んだ結婚ではなく、政略結婚であった為逆らうことも出来ず、逃げることも出来ず、当主からは子供を身ごもることだけ要求された。だが、その苦しみの中で、家の呪力や術式を色濃く受け継いだのがだった。彼女の上には兄が6人、姉が3人いるようだが、以上の才を持って生まれた者はいないらしい。
家の術式の精度を上げる為には碁や将棋の能力も必要不可欠だったが、その才能もまた彼女がトップ。それゆえ、嫉妬心から兄姉からの嫌がらせを受けることが多々あるらしい。彼女はを生んだことで嫌がらせは半減したので、今はより彼女が快適に過ごせるように、は毎週家に帰って話を聞いているのだ。硝子は同性ということもありこの手の話は既に知っているようだった。
「ああいうのはもう慣れちゃったけど、二人が怒ってくれて嬉しかった」
途中から彼女の話に集中してしまった悟と傑は、見事画面の中の彼女が操るキャラクターにボコボコにされて宙へと飛んで行った。すっきりとした顔で話し終えた彼女に、コントローラーを離して寝転がる。
「うちもそうだけど無駄に長い家はそういう問題抱えてる所多いよな」
「家の血を絶やしたくないのは分かるけど、やり方がえぐいよね」
テーブルへと向いた傑がせんべいを割りながら、悟の言葉に同意する。五条家だけではなく他の御三家もそういう面はあるが、家はその中でも側室が多すぎる。
そうね、と頷いた彼女を寝転がったまま見上げて彼は口を開いた。
「そういやの父親は何歳?」
「確か67くらいだった気がするけど…」
彼女の父親がほぼ隠居しているということが頭の片隅に残っていた悟は、いったいいくつだと考えを巡らせていたが、聞かされた年齢にぎょっと目を見開いた。
「ジジイじゃん!!」
「おい、と言いたいところだが…確かに…」
辛うじての手前「オエッッ!!」と叫ぶのは堪えたが、先ほど見たの母親との年齢差に戦き、嘔吐した後のような顔をしてしまったのは許してほしい。傑もいつもならこういう発言をしたときは諭してくるが、目頭を押さえて天を仰いでいる。
――とんだロリコン野郎め。
の父親を脳内で好きなだけ罵ってしまうが、それをおくびにも出さずに正常な顔に戻す。彼女はやっぱり驚くよね、と苦笑していたが驚くどころの話ではないだろう。
だが思ったことを全て吐き出してしまえば、流石の彼女も怒るだろうから、悟はその言葉を永遠に胸にしまっておくことにした。
「今回はん家見たことだし、皆の家回ってこーぜ」
代わりに、新しく思いついたことを提案して、二人の顔を笑顔に変えた。


2020/12/10

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