――私は本当にチョロい女だったと思う。
凍える程の寒さの中で白い息を吐き出し、目の前にある簡易的な墓標に焼酎を置いた。そこに刻まれた名は“夏油傑”。5年前に高専の同期であり、気づかぬうちに闇を抱えて呪詛師に堕ちてしまった男の名前だ。
しゃがみ込んで彼の墓標を撫でる。この下に彼の骨はない。なぜなら彼はまだ死んでいないから。は”あの時”、遥か先の未来を見てしまった。彼が何年も先の12月24日に死ぬことを。彼が死ぬ瞬間を見たわけではないし、そこに至るまでの経緯は術式によるキャパオーバーで見れていない。。ただ、そこで未来が途切れた。だから彼は死ぬのだと確信してしまった。呪術界において、彼が死ぬのは喜ばしいことだろう。彼女もそれは理解しているが、心がどうしようもない痛みを訴える。だから、は自分でこの簡易的な墓標を作らずにはいられなかった。
――だって、彼は、初めて自分のコンプレックスを含めて認めてくれた人。
は自分の性格に自信がないようだけど、私は今ののままで十分魅力的な人間だと思うよ』
あの時、穏やかな笑みを向けてくれた彼。たったそれだけで、彼女は恋に落ちた。彼のことが大好きになった。一途に、愚直に、彼に認めてもらいたくて頑張った。彼にとっての1番になりたかった。
「傑くん………」
ただひたすら彼の墓標をじっと見つめる。そこに彼の笑顔を見出すように。
愚かしい程に、傑のことが好きだった。今でもまだ、こうして毎年彼の”命日”の12月24日は彼にプレゼントを届けに来る。――彼はまだ死んでもないのに。だがそれをいつなのかと恐れる自分がいる。
彼が受け取ってくれないと分かりながらも、それをやめることが出来ない。やめるつもりもなかった。


何度目かの幻が横切った街角



硝子とが授業の合間に自販機からジュースを買いに行って戻って来る時、それは聞こえた。扉が開きっぱなしの教室の中から聞こえてくる悟と傑の話し声。
「俺のタイプ言ったんだからお前も言えよ」
「強いて言うなら髪は長い方が好きかな」
「はあ!?それだけで終わりにする気じゃねぇだろーな」
ピタリ、と止まってしまった自分の足。隣を歩いていた硝子が振り返ると同時に再び足を動かす。どくどくと喚いている心臓を抑えつけるように、両手で手元のミルクティーのペットボトルを握りしめた。
――傑くん、髪が長い子がタイプなんだ。
硝子の口元が緩く弧を描いているのを見過ごしたはそのまま、彼の好みを知れた嬉しさから明るい気持ちで教室へと入っていく。
先ほどの好みの女性のタイプの話から全く関係のない話に発展している二人を横目に自席へと着いた。ペットボトルの蓋を開けるよりも先に自身の毛先を指でくるんと巻き付ける。の髪の長さは硝子と同じ程度であったから、これからは髪は切らずに伸ばすことを決意した。
ふと、隣の硝子にちょいちょいと肩を指先で突かれる。
「ん?」
「今、髪の毛伸ばそうって決めたでしょ」
「!」
男子二人には聞こえない声のボリュームで耳に吹き込まれる言葉。ばっと彼女を見やれば、彼女はしてやったりとにんまり笑った。
――私、そんなに分かりやすい行動をしてた?
彼女の言葉を否定したいのに必然的に顔に熱が集まるから、彼女は硝子の言葉に是とも否とも言えずに腕枕の中に顔を隠した。
、どうしたんだい?具合でも悪いのか」
「んー、どうしたんだろうね?」
「どーせ硝子が変なこと言ったんだろ」
そんな彼女に一番に気付くのは傑だった。心配するように肩を優しく叩かれる。隣からは可笑しそうな声音の硝子と、当たらずとも遠からずの部分を突いてくる悟。
穴があったら入りたい。そう思っただったが、何故かこの空間は心地よく感じられた。


マフラーに鼻まですっぽりと埋めて、手はポケットにしまい、夜の六本木を闊歩する。片手はショルダーバックを支える為に出しているから痛い程冷たいが、もう少しで目当てのバーにたどり着く。
信号が青になるのを待って横断歩道を渡り、角のこ洒落た花屋を右へと曲がる。通り過ぎざまに見えた店内には、沢山の赤いバラやポインセチアが色とりどりに飾られていた。それを購入しようと選んでいる男性客。幸せの象徴がそこにあるような気がした彼女はふいと目線を元に戻す。先ほどまでも聞こえていたショートブーツのヒールの音が何故か物悲しく聞こえ始めた彼女は、急いで目当てのバーの扉を開いた。
店に入ると同時に複数の視線が送られてくる。それとなく視線を送ってきた方向を確認しつつカウンターへと向かい、椅子へ鞄を置く。薄暗い間接照明の中でも、男たちの顔は確認できた。
マフラーを解いてコートを脱げば、更に視線の量は増える。マスターに壁際のハンガーでコートを掛けられることを教えてもらった彼女は壁際へと向かった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
壁際付近で飲んでいた男がハンガーを取ってにこやかに渡してくれる。彼女は平生通り表情筋を変えずにそれを受け取り、丁寧にお気に入りのウールのコートをハンガーにかける。そうすれば、諦めずに男は彼女からコートを受け取りコートを壁にかけてくれた。
――この人じゃない。
だが、彼女はその顔を数秒見やってカウンターへと踵を返した。彼女の背で男の表情が暗くなる。そんなことには少しも気にも留めずに彼女は席に座りカクテルを頼んだ。
――12月24日に一人でバーに来た女。
それは周りの男から見れば恰好の餌である。一人寂しく、もしくは男友達と飲んでいた者たちにとって、は極上の花。それを理解している彼女はバーにいる男たちを品定めしていた。
――一重で背が高い黒髪の人。
条件はそれだけ。毎年その条件に当てはまる男とあと少しの所まで行けるのに失敗してきた彼女は今年こそ成功させたかった。
「ここ、良いかな?」
「一重の黒髪以外はお断りです」
わざと両隣を空けるように席を選んだ彼女の隣へと腰を下ろそうとしてきた男。にこやかに窺う男はバーの中ではわりと美男な方である。だが、彼女の条件に合わない男はバッサリと切り捨てられて去っていく。一口カクテルを飲みながら彼女は生ハムを咀嚼した。美味しい。
だが、目の前のカクテルから焦点はずれて過去へと引きずられる。『』あの人の声が聞こえる。会いたい。話したい。笑ってほしい。記憶の中の彼が彼女に話しかけ始めた所で、隣へと座った男へは緩慢に横目を向けた。
「一重が好みって聞こえたから」
「ええ…」
正確に言えば元々一重の男が好きだったわけではないが、その特徴を持った男を未だに忘れられないから似たようなものだろうと彼女は頷いた。隣にいることを許された男は黒髪で一重な所は彼と一緒だったが、纏う空気も表情も異なる。当たり前よね、と自分を言い聞かせるようにカクテルを煽れば、彼は店のオススメのカクテルをに頼んでくれた。

カクテルを何杯か飲んで少しばかり隣にいる男が傑に見え始めた彼女は彼へと微笑んだ。そうすれば顔を赤くする男。彼はの気を引く為に色んな話をしてくれたが、ほとんど彼女の耳を通り抜けていく。そしてそれらは勝手に脳内で傑の声と言葉に書き換えられていくのだ。
とろんとしたの瞳に、いい雰囲気になっていると勘違いした男はその華奢な腰へ手を伸ばそうとした。
「マスター、ジンジャーエール」
「!?」
「………はあ…」
だが、その手はの腰に触れることは無かった。もう一つの空き席に音もなく座った長身の男がバシリとその手を払いのけたからだった。
「君、邪魔だからどっか行ってくれる?」
「は?俺が先にこの子と飲んでたんだけど」
軽薄な笑みを浮かべるのは、銀髪にサングラスに、その年では着られそうにない高品質な素材の服を身に纏う男。身を包む服だけではなく、ちらりと除いた腕時計に男は眉を顰めた。全て自分よりも格上だからだ。だが、彼女が言っていた好みのタイプにこの男が当てはまらないことから彼はかみついた。
は溜息を吐いて何杯目かのカクテルを口に含んだ。漸くこの隣の男が傑に見え始めていたのに、また邪魔が入ってしまった。
「一度で理解してくんないかな?僕はと話がしたいんだ」
「なっ、何でお前」
「消えろ」
サングラスから垣間見えた、世にも恐ろしい程に美しい目に睨まれた男は声こそ上げなかったが、すぐさま彼女の分の代金まで払って店を出ていった。ちらりとそれを確認した彼女は無断で横へ座っている男へと目を向けた。
「毎年毎年…どうやって私を見つけるのよ」
「簡単だよ。何年の付き合いだと思ってんのさ?」
ふふ、と笑う悟には眉を下げた。何故か分からない。尾行されていないことも確認済みだし、毎年違う駅のバーへと足を向けるのに、彼は必ずを見つけ出した。条件の男とホテルへ行く前に、必ず現れてを邪魔する。
眉を寄せ、熱くなる目頭を押さえて顔をカウンターテーブルへと俯ける。毎年この日は寂寥感が溢れ出しての身を苛む。それを抑え込む為に彼に似た男を探すのに、悟はそれを許さない。
「――代わりに悟くんが抱いてくれるの?」
こてん、と彼の肩から下の腕に頭を預けて、心にもないことを言う。
「んー、が心からそう思ってるなら抱くけど、そうじゃないでしょ?精々腰を抱くくらいかな」
視線はテーブルに向いていたから、腰に手を回した時の彼の表情は見えない。だけど、声はどことなく暗い。目を閉じた彼女の脳裏に過るのは悟と傑がふざけ合っていた時の様子。はああしてふざけ合っている二人を見ているのが本当に好きだったのだ。
虚ろな目でカクテルのグラスに目をやるに悟の声が落ちてくる。
「あいつの代わりに他の男に抱かれたってが傷つくだけだよ。性欲をぶつけられるだけだって分かってるだろ?」
「良いの。好きでもない、付き合ってもない男に抱かれるなんて死んだ方がマシだけど…傷つけないと、やってられないから」
悟の言葉は尤もだ。昔は正論が大嫌いだなんて抜かしていたのに、丸くなったものだ。だけどは首を振る。どうしてもこの日だけは自分を傷つけたくなる。衝動が湧き出て、彼の記憶に浸りたくて、でもこの寂しさをどうにかしてほしくて彼に似た男に抱かれようとするのだ。
傑に似た男に慰めてほしいわけじゃない。ただひたすら自分を追い詰めたくなるのだ。傷つけて、修復不能な傷跡を残したい。そうしたら、きっと、生きていると感じられる。だがそれら全てを見透かした上で、彼はこうしてを迎えに来る。硝子は見逃してくれても、彼は見逃してくれない。否、硝子はこうして悟が迎えに行くことすら見越しているから、関与しないのかもしれない。
はそっと目を閉じて服越しの彼の体温を探った。腰に回っていた彼の手にぐっと力が入る。
が隠れて自分を傷つけようとしても、必ず見つけて邪魔するよ」
「いじわる」
とてつもなく冷たい響きを孕む彼の言葉に頬を膨らます。彼がどうしてここまでのことで怒るのか分からないけれど、それはきっと傑に関係していることだからかもしれない。彼もまた、傑のことをとても大切にしていたから。
アルコールが回って眠くなってきた彼女は悟が話しかけてくるのを聞きながらもウトウトし始めた。
「髪、綺麗に伸びたよなー」
本当、健気な奴。何に対して言ったか分からないがそう呟いた彼が、の髪の毛をくるくると指に巻き付けて遊ぶ。優しく髪に触れるその手が気持ちよくて、彼女の眠気はさらに増した。
「悟くん…眠いから連れて帰ってね」
「えー…ここからの家までどれだけかかると思ってんだよ」
彼の肩に本格的に体重をかけ始めた彼女に、彼は焦ったような声を出す。 ――私知ってるよ、その焦った声はフリだってこと。鼻の先で僅かに香る悟の香水を胸に吸い込んで肺を満たす。良い匂い。他の女が嗅いだらドキドキするような香りだが、何故だか彼女はそれに安堵してしまう。この香りが悟に匂いだと認識しているからだろうか。
「おんぶして電車に乗ったら目立っちゃうだろうね」
なんて含み笑いをする彼の声を聴きながらは意識を手放した。毎年、の男漁りを邪魔しに来るこの男とこうして時間を共にするのも悪くはないか、と思いながら。


2020/12/09

隣で無防備に寝てしまったを見下ろし、悟は残っていたジンジャーエールを飲み干した。出会った時は顎までしかなかった彼女の髪の毛は今はもう腰より少し上にまで伸びた。綺麗に艶々と輝くそれが、傑の言葉を信じて伸ばし続けた結果だと彼は知っていた。
「いい加減僕を見てほしいよね」
誰にも聞こえない程に小さく囁いた彼は、の旋毛に唇を寄せた。
――僕に恋をしていたら、そんな思いをしなくても済んだのに。



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