湖の底の宝箱

 コンコン、殿〜。とノック音と共にの名を呼ぶ麗々の声で目を覚ます。ぐしぐしと開かない目を擦って「はあい」と返事をすれば、彼女が部屋に入ってきた。
「着替えましょうか」
「ありまとー」
ぐらぐらと頭を揺らしながら立って、いつもの着物を持って来ようと棚に向かう。しかし、今日はこちらを着るんですよ、といつもより美麗な着物を手にする彼女。
いったいどういうことだろう?と首を傾げれば、彼女は「今日は特別なんです」と私にその着物を着せていく。いつもなら彼女から着物の着替え方を教えてもらっていたのだが、今日はそれさえもしないらしい。
されるがままにされて着替えさせられたは更に頭に藤下がりのついた簪をぷすりと刺された。どうやらこれで完成らしい。
そしてそこに元気よく紅覇がやって来た。
「おはよう、。今日は兄上たちにお前を紹介するよ〜」
朝から溌剌としている彼を見て、のお腹はぐうと空腹を訴えた。

 炎兄たちも暇なわけじゃないから、と彼に口いっぱいに桃を突っ込まれたは桃が口から出ないようにしながら咀嚼して彼の後を付いて行く。
ここの桃ってめっちゃ美味しいなぁ!!と少しばかりずれたことに感動しながら、純々が差し出してくれたハンカチで口元を拭った。
因みに、紅覇に連れられて行く前に何度も挨拶の練習をさせられた。どうにも長ったらしい文章で、覚えるのには苦労したのだが、本番でも上手くいきますようにと彼女は密かに願う。
暫く歩き続けて漸く目的の場所に着いたらしい。こんなに広い敷地内を歩いたことが無いはそれだけで少し息を乱している。
――純々さんたち全然辛そうじゃない。
ひええ、と彼女たちの涼し気な顔を見て、自分の体力の無さを余計見せつけられてしまうが、そんなことは気にしていない紅覇がノックをしてその扉の中に入っていく。
そこには紅覇よりも濃い赤色の髪を持った男性たちが椅子に腰かけていた。もしかして、この人たちが紅覇のお兄様なんだろうか。ちらり、と紅覇を見やると彼は独特な礼の仕草を取っていた。純々たちも同じようにしている。
あわわわ、出遅れたみたいだぞ。慌てて見よう見まねで彼らのようにしてみるけれど、様になっているだろうか。冷や汗たらたらである。
「炎兄、明兄紹介するね〜。僕の遊び相手の!異世界人なんだよ〜」
何やら紅覇が彼らに話した内容によって彼らの鋭い目線がへと向かった。失礼にも程があるが、彼女はそれにぴやっと驚いてと紅覇の背中に隠れる。
「こっちが紅炎兄上でこっちが紅明兄上だよ」
しかしそんなを摘まみ出す紅覇。紅覇、容赦ない。心中彼に文句を言うも、「ほら、挨拶してごらん!」と彼がにっこり微笑むから彼女は先程の練習を思い出しながら口を開いた。
「こにちは、ともうしむしゅ」
ぺこりと頭を下げると紅覇から「惜しい!」と声が上がった。うわあ少し間違えた気がする、と焦ればやはりそうだったのか、紅覇が微妙な顔をしていた。しかし頭を撫でてくれたので良しとする。
恐る恐る彼のお兄様方に目をやれば、ポニーテールの男性は先程とは違いにこにこと笑っている。
「異世界人には癒しの作用があるんですかね?合格です」
「明兄変な基準作らないでよ〜」
「紅覇、それ俺にくれないか」
「だぁめ〜!炎兄にあげたらが干乾びちゃう〜」
椅子から立ち上がり、こちらに寄ってきた2人の大きな男性には『わっわ…!?』と驚きの声を上げる。
上から観察するように見られたり、ぐいぐいと顔を持ち上げられたりして彼女はパニックに陥った。
『わああ何ですか首痛いです、わっ、わ!?紅覇―!!』
「何と言っているんだ」
「兄上の顔が怖いんじゃないですか?」
興味津々の様子でを撫で繰り回す彼らに、助けを求めれば漸く紅覇が助け舟を出してくれた。気分は初めて犬を飼うことを許された子供たちの前に差し出された小型犬である。兄2人からを取り返しぎゅうと抱きしめる彼に、彼らは漸く自身の弟より数センチ小さな少女を構い殺す寸前だったということに気付いたらしい。
異世界人というもの珍しい存在に、紅炎は平生通りの無表情だがわくわくしているようだし、紅明は見たからにの言動に癒されて、関心を抱いている。
「もぉ〜、は僕のなんだからね〜!」
『紅覇、ぐるじ…』
その細い腕のどこにそんな力があるのか分からないが、紅覇に抱き着かれているは自分の骨がミシミシ言うのが聞こえた。
――とりあえず、このご兄弟は私をペットか何かと思っているらしい。
は気が遠くなるのであった。

 紅覇の兄たちに紹介されてから数日たったある日のこと。紅覇に呼ばれて自分の部屋からそう離れていない彼のもとへと向かう最中に、の身に事件が起きた。
目の前から彼の兄君たちがやって来たのである。しかも、万年無表情の長男の方である。
――や、やばい!!今から紅覇の所に行かなくちゃいけないのに…!
ばれないうちに回れ右をしようとしただったが、それは出来なかった。何故なら、回れ右をしようとした彼女の肩を紅炎ががっしりと掴んでいたからだ。
一体どうしてあんなに離れていた彼がこんな近くにいるのか分からないし、威圧的な視線で自分を見てくるしというダブルパンチで、ひえええと変な声が出た。
「こ、こにちは、こうえん」
「様を付けろ!!小娘!!」
出来る限り丁寧に、とぺこりとお辞儀したのだが、何が悪かったのか蛇のような髪の毛の巨大な青年に目を吊り上げて怒鳴られる。おまけに頭の蛇も彼の怒りに同調するかのようにに向かって牙を向くではないか。それにぶわあっと涙が出た。何この人怖い…!!
「青秀、を泣かすな。まだ言葉を覚えていないのだから勘弁してやれ」
「…すみません」
しかしよく分からないが、どうやら紅炎が蛇の青年を戒めてくれたようだった。ポンポンと紅覇とは違い大きくてゴツゴツした手がの頭を撫でる。
慰めてくれているのだろうか。変化のない無表情を恐る恐る見上げる。彼の印象はいきなり詰め寄ってくる怖いお兄さん、という感じだったが、少し改善された。もしかしたら優しい人なのかもしれない。
初対面の時とは違って落ち着いた様子で接してくる彼に、涙が徐々に収まっていく。
しかし、直後にがしりと腕を掴まれて『ん?』と声を上げた。がしがしと大股で歩く彼に半ば引きずられるようにして歩く。
「わ、わたし、こうは いく!」
「後で良い」
ずるずると引きずられる中で、漸く紅炎に捕まってしまったのだとは理解した。

 しかし茶菓子を出されてしまえば、すぐさま機嫌が直る程彼女の思考回路は単純だった。異世界人だろうが女は菓子類が好きだろうと紅炎に出された皿に盛られた美しい菓子を見た瞬間、彼女の頭の中から紅覇のことはぽんと消えてしまった。
「好きなだけ食べると良い」
「いい?いい??」
何度も良いのかと首を傾げれば彼は無表情に頷いた。何この人、天子様か。目の前にきらきらと光る菓子の一つに手を伸ばしながら、彼女の中で紅炎という男は初対面の恐怖を忘れさせる程の好印象へと変わる。
ぱくり、と葛饅頭のようなものを口に入れるとふわあ〜と繊細な甘みが広がる。
――これすごい美味しい!!
「…!!…!!!」
「美味いか」
どうにかしてこの感動を彼に伝えたいと身振り手振りで表せば、彼は何やら手に紙と羽ペンを持ちながら満足そうに頷いた。“うまい”とは確か美味しいという意味だった筈だと大きく頷けば、彼はガリガリと紙に何かを書いていく。
「葛饅頭5個、大福3個、かりんとう3個、きなこ餅1個です」
「凄まじいな。異世界の女はこんなに食べるのか」
後ろに立っている青秀が何やらのことを微妙な顔付きで眺めながら紅炎に報告していく。それについて彼は頷きながらも何かを紙に書きこんでいっているようだった。
もしかしたら仕事なのかもしれない。それなのにこんなにお菓子を出してくれるなんてすごく良い人だ、とは馬鹿な勘違いを起こしながら菓子をまた一つ口に入れた。

いつまで経ってもやって来ないに腹を立てた紅覇が此処にやって来て彼女を叱るまであと10分。


2015/05/27

inserted by FC2 system