プラネタリウムに閉じ込められて

 反乱軍を鎮圧するための遠征の帰りこのことであった。紅覇は馬車に揺られながら暇な時間を過ごしていた。今回の反乱軍は余程規模が大きいからそれなりに骨のある奴らがいるかと思いきや全くそうではなく、対して時間をかけることなく鎮圧してしまって、彼にしてみればつまらない旅だったのである。
しかし、尊敬する自身の従兄でもあり皇帝でもある白雄から遠征を頼まれたのだから、と彼は退屈さを感じながらも自身の役割を完璧にこなした。だが、やはりというか、期待以下のものだったために、身体の中にはまだ暴れ足りないと欲望が燻っている。
「はぁ〜、何かないかなぁ」
退屈のあまりにぽつりと呟くと、傍に控えている純々がこれなんていかがでしょう?と花札を取り出したのに、うんと頷く。そういう気分じゃなかったけれど、何もしないよりはましだろうと思いながら。
しかし、突如響く怒号。
「貴様何者だ!!」
「我らが煌帝国軍だと分かっての上か!?」
それにひょこりと馬車から顔を覗かせる。何だか面白いことになりそうだ、と紅覇を止めようとする従者たちを放って、彼は馬車から飛び降り、その声の中心へと向かった。
「どうしたの〜」
「紅覇様!この者が急に隊列に落ちてきたのです!」
今にもその人物の喉を掻き切ろうとしていた兵士たちが彼を振り返る。身体の大きな男達に隠れて見えないその人物を見ようと彼が兵士たちを押しのけると、そこには地面にへたり込み恐怖からかガクガクと震え涙を瞳に浮かべている少女がいた。
見た目は普通だが、どうにも服装がおかしい。今までに見たこともない服装をしている。また、荷物は肩に背負った袋だけのようだ。武器らしいものは今のところ目に着かない。
「お前、名前は〜?」
「??」
すっと一歩彼女に近付くと、周りの兵士から非難の声が飛んだ。この娘が何者か分からない以上、皇族である彼の身の危険を回避すべきだと思ったのだろう。しかし彼は金属器を持っている上に武術を磨いてきたからこそ、それなりの自信があった。いざとなればこの背に抱えている如意練刀でどうにかすることが出来る。
少女は数秒待とうとも名前を言うことはなかった。首を傾げてまるでこちらの言葉が理解できないと言った風に見上げてくる。それを見て、トラン語にしてもう一度訊ねてみるが、それでも彼女はきょとんとした様子で。
『あの、日本語を話せる方はいないんですか…?』
「お前、何て言ったの〜?」
震える声で紡がれた言葉は今までに聞いたことのない言語だった。おかしい、この世界には世界共通語とトラン語しか存在していない筈なのに。彼女の発した言葉はそのうちのどれにも当てはまらない。
ふうん、と呟いた彼の口が弧を描く。中々稀なものを見つけた。お伽噺でしか聞いたことが無かったが、初めて見るその“存在”に退屈だった旅が少し上昇していく気がする。
「決めた!こいつを拾うよ〜」
「紅覇様!?」
ぐいっと地面に座り込んでいる彼女の手を引っ張って立たせる。小さく見えていたようだけれど、立ち上がるとそんなに彼と変わらない身長であることが分かった。
兵士たちはにこにこと笑みを浮かべている彼に対して不用心すぎると口々に言うけれど、彼はその笑顔を真顔にして周りを見渡した。
「お前たちに手を差し伸べたのに、こいつに差し伸べて駄目な理由があるかい?」
煌帝国に仇なした一族の末裔、強力な魔道士を作るために身体を実験された者たち、その全ての者を紅覇は自分の部下にしてきた。それに彼らは救われたとあんなに喜んでいたのに。それと同じことをこの少女にもするだけだ。ただ、彼女の場合は“異世界人”という世にも稀なレッテルがあるけれど。
彼らはその言葉を聞いて納得したようだった。まだ完全にこの少女への警戒心は解いていないようだが、それでも紅覇の言葉に頷く。
「じゃあ行こうか」
『何?どこに行くの?』
不安な様子の彼女の頭をぽんぽんと撫でてやる。そうすれば彼女はぽかんと彼のことを見つめるから、その手を引いて馬車に乗ることを促した。

この世界には“異世界人”についての御伽話が昔からあった。作者によって、異世界人の性質は違ったが、それでも一つだけ同じ性質がある。それは、“異世界人”は不思議な能力があるということ。それは、マギとは比べられないような弱い力である。しかし、あらゆる国は異世界人を求める。マギがいない国であれば尚更のこと。マギが国を守り導く一本の巨大な柱だとすれば、“異世界人”というのは国のお守り的な存在であった。
異世界人がいる国は不思議と良い方向へ進んで行き、悪影響が少なくなると言う。だからこそ、異世界人には価値があった。それこそ、見つけた人物によっては、拉致・監禁など大変酷い扱いを受けるかもしれない。
マギのような神がかった力はないが、いればその国を繁栄させることが出来る異世界人。紅覇はそれを理解していた。だから彼女を拾ったとも言える。愛する国を少しでも守る力を増やす為だ、王の器を持った彼であればその選択には数秒も必要としない。
これからどうなっていくのか楽しみだと紅覇は一人微笑んだ。

 まさか年の離れた弟と大学の帰りに公園で追いかけっこをしている最中に足を捻って階段から転げ落ちるとは思わなかった。しかも目を開いた先には兵士たちがずらりと並んでいて。それに慄かない訳が無い。いったい、私はどこに来てしまったのか、と恐ろしくなるも、彼らの言葉はの知らない言語で言葉を返すことすらできない。
そこに現れた可愛らしい少年がを救ってくれなければ、今頃彼女はあの兵士たちに殺されていただろう。
大方彼女よりも年下であろう少年――紅覇に命を救われてから数日。馬車に揺られながら、彼の話に耳を傾ける。ほとんど意味が分からないけれど。
、そういえばお前が持っていた荷物には何が入ってるの〜?」
「こうは、なに?なに?」
この数日間で少しばかり言葉を教えてもらったはどうにか自分の知っている言葉を駆使して、彼に考えていることを伝えようと必死である。それ、と彼が指差した先には彼女が背負っていたリュックがある。もしかしてこれの中身が見たいのかな?はどうぞと彼にそのリュックを渡した。頷いた彼からどうやら間違っていなかったようだと安堵する。
「ふ〜ん、これは…書物?に、筆記具、かな?」
がさがさとリュックから出していく物を一々興味津々の様子で眺めている彼を見つめる。あっと声を上げた彼に、何か気になる物でもあったのだろうか、と首を傾げた。
「これ、煌帝国の文字と一緒じゃない〜?」
彼の指差す物は一般教養の授業で使っている歴史の教科書だ。こんな分厚い物を入れたリュックを背負ってよく走っていたな、と今では思う。
だが彼がなぜこれを指差しているのか分からない。なに?と彼に訊けば、彼は純々に紙と羽ペンを持って来させた。
――文字 一緒
すらすらと綺麗な丸文字を書いた彼にあっと目を見開く。
『すごい!言葉は違っても文字は一緒なんだ!』
「これでに言葉を教えることができるよ〜」
わあい、と喜ぶに対して、紅覇はそれをにこにこと見つめる。お前とはもっと話したいからね〜と言って頭を撫でてくる彼に、もしかしたら彼より年下に見られているのかもしれないとは思った。

 数日経って禁城――紅覇の家だということを教えてもらった――に漸く着く頃には、は純々や麗々、仁々の女性たちや関鳴鳳とも打ち解け、言葉を教えてもらえるようにまでなっていた。因みに、紅覇への認識は「何だか偉い少年」というものだ。あやふなな認識なのは、特に紅覇が自身の皇族としての地位を教えようとしなかった為である。
「僕はこれから閣下に報告しにいくからの身の回りの物用意してやって〜」
「はい、紅覇様」
「こ〜は〜、どこいく?」
手を振りたちとは違う方向へ足を向けた彼に同じく付いて行こうとするけれど、それを鳴鳳に止められる。純々たちは付いて行っているのにどうして私だけ駄目なんだろう、と首を傾げれば「殿はこっちですよ」と手招きされる。どうやら私には別の用があるらしい、とにこにこ笑みを浮かべる彼に付いて行くことにした。
「めいほう〜、なにする?」
「着替えとお部屋の用意ですよ」
きょろきょろと周囲に忙しなく視線を寄こす彼女に、彼はまるで幼子のようだと微笑ましくなる。その上はぐれないようにぴったりと彼の後ろにくっ付く様は自分を親鳥と刷り込まれた雛のようだと思った。
きがえ…。鳴鳳の言葉に首を傾げながらも教えてもらった言葉を思い返そうとする。たしか着替える、という意味だった気がする。
ということはこの服を変えるのか。確かにこの一週間程ずっと同じ服を着ていたから気持ち悪いと思っていたのだ。紅覇はそんなことまでしてくれるのかぁと年下のくせにやけに面倒見の良い彼のことを脳裏に描く。
彼の姿を思い浮かべて心がぽかぽかしてくるのはこの数日間不安に苛まれて良く泣いていたをずっと見守ってくれていたからだ。勿論、鳴鳳たちも彼女を気にかけてくれて、数日のうちに警戒心を解いてくれた。そんな彼らに懐かないわけがない。特に年上は大好きだった彼女にとって、彼等は兄姉代わりだったのである。
殿の部屋はここですよ」
「ここ?わたし?」
示された部屋はこれから暮らしていく上で十分な程に家具があるし広さもある。こんなに良い部屋を私が貰って良いのだろうかとあたふたすれば、彼はそれを見ての心情を理解したようだった。ふふ、と穏やかに笑った彼は中々足を踏み出さないの手のほんの先を取って部屋の中に導く。
「隣付近の部屋には純々殿たちがいるから安心してください」
「じゅんじゅん?」
そうですよと頷く彼に頷き返す。よく分からないが、純々たちがいるから安心ということなのだろう、と彼女は理解した。急ごしらえだからあまり良いものは用意出来なかったのだと申し訳なさそうに着物を手渡す鳴鳳にぶんぶんと首を振る。どことなく彼が悲しんでいると感じたはえっとえっとと頭を回転させた。
「ありまと!ありまと、ふく、うれ?うれし!」
「そうですか」
良かった、と微笑んだ彼にほっとする。訳が分からないなりに頑張って感謝の言葉を覚えた甲斐があったとは自分の頭脳に誇らしさを感じるが、少しばかり間違っているのには気付かなかった。
では外で待ちますね、と出ていってしまった鳴鳳に、とりあえず着替えようかと汚れた服を脱いでいく。そしていざ、着物を着ようと広げると、途端に頭にハテナマークがいくつも浮かんだ。
これは、いったいどうやって着れば良いのだろうか。とりあえず一番下に着るのだろうと思われる物に腕を通してみる。しかしそこから先が分からなかった。ええい、仕方あるまい!とバァンと扉を開く。
「めいほー!わたし、わからない!」
殿!?そんな姿で外に出てはいけませんよ!!」
下着や肌が見えないように着物を押さえて彼に助けを求めたのだが、どうやらそれでも十分駄目だったようだ。顔を赤くして私を部屋に押し込んだ彼は「今女官を呼んできますから大人しくしていてくださいよ!」と叫んで走って行った。別に急いでナインだからゆっくり行けば良いのに、と思った彼女は彼に言われた通り扉を閉めて寝台へと向かう。
『文化が違うって難しいなー』
よいしょ、と寝台に腰掛けたは足をぶらぶらさせて彼が帰ってくるまで大人しく待っていた。


2015/05/27

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