味わいノスタルジー

 白ひげ海賊団にお世話になりだしてから1カ月。月日が回るのはとても早い。
最初は雑用の内容を覚えるのだけでも精一杯だった私も、最近ではいくつかあるうちの一つを忘れる程度にまで成長した。遅いとか言わないでください。これでも英語の指示を聞いてやっているんだから。
目まぐるしく回っていた日常も、ここまで落ち着けるようになると、段々自分と向き合える時間が増えてきた。時々日本にいる家族のことを思うと酷く寂しくなる。オヤジ様は私のことを家族だと言ってくれたのに、こんなことを考えていたら失礼なのかもしれない。
けれど、彼らが話す言葉は私が生まれた時から触れていた日本語などではなくて、英語という外国語だ。近くにいるけれど距離は当然感じてしまうし、彼らが私に構ってくれるのはとても嬉しいけれど話している内容が分からなくて苛々してしまうというお門違いなことまでやってしまう。
これはきっとホームシックだ。留学とかしたことが無いから分からないけれど、留学生や地方から出てきた友達の話を聞くと故郷がとてつもなく恋しくなると聞いたことがあった。私もホームシックにかかってしまったのだ。だって、当たり前でしょう?いきなり予期せずこんな海賊が沢山いるだなんて世界に落とされて、家に帰りたいと思わない人なんていない。いたとしたらその人は神経がとことん図太いんだ。
『お母さん、お父さん……』
見張り台の上でぽつりと呟く。今私は見張りを任されていた。だからこんなめそめそしていたら駄目だって分かっているのだけれど、涙は勝手にこぼれてくる。自分一人でいる時間が極端に短いからこんな風になっても仕方がないのかもしれない。でも、早く止めなければ。誰かが見張り台に上ってくる前に止めなければ、いらぬ心配をかけてしまう。
そう思って涙を止めようとしても、意志とは反対にぽろぽろと溢れるそれ。
お母さんとお父さんは今頃何をしているのかな。とか、私が急に消えちゃって身体を壊すくらいに心配しているかもしれない。だとか、そんなことが勝手に頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えるから嗚咽が込み上げてくる。
それでも与えられた仕事はきちんとしなければいけないと分かっているから、水平線の彼方を涙で歪んだ視界で見つめ続けた。

「……はい」
不意に、後ろからかけられた声にびくりと肩が震える。ごしごしとシャツの襟で涙を拭って振り返った。
そこには何とも言えないような顔をしたマルコがいる。きっと私が泣いていたことなんて気付いているんだろうけど、私は誤魔化したくてへらりと笑った。
「…そんな下手くそな笑顔浮かべるくらいならしっかり泣いとけよい」
「ま、まるこ!!?」
はあと彼が大きく溜息を吐いたかと思えば、胡坐をかいて座り込んだ彼の腕の中にぐいっと引き寄せられて顔を胸に押し付けられる。な、何!?どうしてこんなことになってるの??
慌てふためいて彼の腕の中から逃げようとジタバタするけれど、彼が耳元で一言「泣け」と言うものだから、私は漸く彼が気を遣ってくれたのだと気が付いた。
「見張りは俺がやっといてやるよい」
私の仕事を請け負ってくれたことが何となく理解できて、私は遠慮がちに彼の服にしがみ付いた。
母親に抱きしめてもらうような柔らかさなんて無い。鍛え上げられた筋肉が、私のことを包み込んでいるのだけれど、それでも何故か安心できた。誰かに抱きしめられたなんていったいいつぶりだろうか。きっと、転んで泣いた幼少期以来じゃないだろうか。
抱きしめてくれているのが男の人だから少なからずどきどきしたけれど、それ以上に安心して私は無理やり止めた涙がまた溢れてくるのを感じた。私の流した涙で彼の剥き出しの胸が濡れてしまう。それでも、彼は黙って私の頭を撫で続けてくれた。
私は何度もお父さんとお母さんを呼んだ。寂しい。彼らが待っている家に帰りたい。けれど、それは出来ないのだ。だからせめて私がこの世界で生きていることが彼らに伝われば良いと思って、何度も呟いた。


 何度見張り台にいるの名前を呼んでも反応しないから、俺は腕にだけ炎を纏って見張り台に飛びあがった。普段ならすぐに返事をして急いでもいないのに、駆け寄ってくる少女が返事をしないというだけでこんなに心配になってしまうのは、俺が彼女の上司だからだろうか。
足音を立てずに見張り台に降り立つ。彼女の背後に降りた俺は、彼女が地平線を見つめながら泣いていることに気が付いた。『お母さん、お父さん』聞きなれない言葉が彼女の口からこぼれる。嗚咽は小さくて、下にいたら波の音に掻き消されて気付くことはないだろう。
ああ、俺はいったい今まで何をやってきたんだ。いきなり見知らぬ所に来て慣れないことをやらされて、この少女が不安に思わない筈がないのに。望んで来た奴らならいつかは慣れるだろうと放置しておくのが常だ。しかし、彼女は望んでこの船にやって来たわけではない。見る限り、何も不自由していないような所で育てられたような子供なのだ。
俺は彼女の上司なのに、そんな不安を一度も聞いてやろうなんて思っていなかった。彼女がいつもにこにこと楽しそうに笑うものだから、それで彼女は満足しているのだと思い込んでいた。けれど、彼女は言葉をろくに話せなくて自分の意志を思うように伝えられないじゃないか。言葉にできなかった思いが澱となって心の中に溜まっていくのは当たり前だ。

声をかけると、彼女はびくっと肩を揺らした。泣いていたことを隠すように乱暴に目元を拭った彼女は振り返って俺にへらりと笑った。目元が赤くなっていて痛々しい。そんな風に上手く笑えないんだったら笑わなければ良いのに。泣いていたことを誤魔化したいのは分かる。俺だってそういう時はあった。けれど、自分の心を騙して抑え込んだら最終的に壊れてしまうことを俺は知っている。だから、俺は咄嗟にを抱きしめた。
こいつはまだ子供だ。大人になりきれていない中途半端な年で、変に理性が働くから「迷惑はかけまい」だとか「人前で泣くなんて恥ずかしい」とか思ってしまうのだろう。だから、大人の俺がそれは違うのだと教えてやらなくては。
あんな下手くそな笑顔を向けられても何も嬉しくないのだということを。彼女が泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣いて、その後に思い切り笑ってくれた方が、俺たちみんなが嬉しいのだということを。
初めは抵抗していた彼女も、徐々に大人しくなって涙を流し始めた。何度も『お父さん、お母さん』という言葉が繰り返される。ぼろぼろと零れた涙は俺の胸を容赦なく濡らしたけれど、別にかまわなかった。彼女が思い切り泣いてまたこれからを元気に過ごすことが出来るのだったら安いものだ。
俺はの隊長だ。隊員の不安を取り除くのは隊長の仕事のうちだ。だから早く、いっぱい泣いて元気になってくれ。


 暫くして彼女は泣き止んだ。目は痛々しく充血しているけれど、それでも少しすっきりしたような表情になった彼女に安堵する。たどたどしくごめんなさいとありがとうを言う彼女に気にするなと手を振って、俺は見張り台を後にした。とりあえず、この濡れた身体をどうにかしなければ。
一度自室に戻ってタオルで濡れた部分を拭く。自分にはあれくらいのことしか出来ないけれど、それで少しでもに綺麗な笑顔が戻るなら、ああした甲斐がある。
ばたんと自室を出ると、丁度そこを通りかかったイゾウがいた。
「おう、あのおちびちゃんは?」
「見張りをやってるよい。大分抱え込んでたみたいだから泣かせてきた」
――女の子を泣かせるたァ、酷い男だねェ。
俺の言った意味を理解していながらそう言う彼は大概意地が悪い男だ。俺はそれにふっと微笑を返して、ふと彼女が言っていた言葉を思い出した。
「『お父さん』と『お母さん』ってなんだか知ってるかい?」
「ああ……。それはワノ国の言葉だ。父親と母親を指す」
まさかイゾウが彼女の言葉を知っているとは思わなかった俺は、懐かしいと目元を緩めた彼の顔を見て軽く目を見開いた。イゾウがワノ国出身だということは前々から知っていたが、その言葉を使う彼女はそれでは彼と同じワノ国出身者ということだろうか。でも、彼女は帰る場所はないと言っていた。そう考えるのは安易かもしれない。
「で、それがどうしたんだよ?」
が言ってたんでな、少し気になっただけだよい」
くつりと含み笑いをした彼にしらっと返す。そうか、彼女は両親が恋しいのか。まだ一人立ちしていないような年頃の娘なのだ、それは当然だろう。きっと、無条件で加護してくれる安全地帯から引き離されて不安だったのだ。
とりあえず俺の返答に満足したのか、そのまま去っていく彼。同じ言葉を話す者同士、少しでも故郷の言葉に触れさせてくれれば彼女も気が楽になるのではないだろうか。そう思ったが、俺にイゾウの行動を強制する事なんて出来ない。彼が自然に彼女に話しかけてくれるのを、願った。


2013/03/25

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