太陽と、青い鳥と

 あの少女の第一印象は平凡。しかし、この船の誰よりも小柄でひ弱そうな彼女は守ってやらねばならない雛鳥のようだった。己の胸の下程度しか身長がないからそう思うのは必然だったのかもしれない。
見張りの男に空から何かがこの船目掛けて落ちてくるという情報を貰った時、一体何だと思えばそれは人間の女の子だった。空から落ちてくるなんて空島の住人かとおもったけれど、彼女の背には羽など無かったし着ている物も全く違う。とりあえず、このままモビーに落下されては船もこの少女も傷を負うのは明らかなので不死鳥の姿になって彼女を救った。
俺の背に乗った彼女はぎゅっと瞑っていた目を開いた。途端、俺の視界に映る黒曜石。綺麗な黒だと思った。
彼女の発している言葉は俺には全く分からない言葉で、しかし大分焦っていることは雰囲気で分かったのでそういった類の意味なのだろうと勝手に解釈する。
そのままオヤジの前にぽいっと放り出せば、受け身もろくに取れずに尻餅をついた彼女。彼女の口から出てきた言葉は用意に推測できた。きっと痛いとかだろう。
オヤジの傍で彼女の様子を眺めていると、くるくると彼女の表情が変わる。それは怯えだとか悲しみ、不安といった負の表情だけれどめまぐるしく変わるそれがおもしろかった。
ただ、涙をこぼすまいと必死に耐える姿には流石に憐憫の情を抱いた。こんな成人もしていないような少女がいきなり海賊の船に乗せられ強面な男達に囲まれれば泣きたくもなるだろう。しかも帰る場所までないときた。
本人は全くこの状況を理解できていない上に言葉までろくに話せないようだったから恐怖は尚更強かったに違いない。
その後はオヤジの計らいによってが新しい家族に加わることになった。その後は恒例のどんちゃん騒ぎで賑やかに楽しんだ。

、起きて。朝よ」
「んんー…」
ゆさゆさと身体を揺さぶられて意識が覚醒する。ぼんやりとした視界に金髪の美女が映って、あれなんでここにこんな美女が…。そう思考すると漸く昨日からこの白ひげ海賊団の新しい家族になったことを思いだした。
「おはよう、かとりーな」
「おはよう、。さあ、着替えて。朝食に間に合わないわよ」
昨日のうちに丁度一人部屋で暮らしているナースのカトリーナと同室になることを決められた私は、それはもう喜んだ。感情をあまり表にしない日本人らしく――外国人に比べたらという意味だ――そこまで喜色は見せなかったが、この船には男達ばかりではないのだと思って酷く安心した。流石に女一人でこの男達の中にいるのは精神的に辛い。
カトリーナは詳しくは教えてくれなかったけれど二十うん歳で、私のことを年の離れた妹のように扱ってくれる。今も寝起きで着替えるのが遅い私の上着の釦を手際よく止めてくれていた。
低血圧気味な私は朝にめっきり弱く、カトリーナに手を引いてもらいながら食堂について行く。ふわ、と朝食の香りを吸い込んだ頃、漸く意識はしっかりとして彼女に渡されたトレーを受け取った。
「おう、おはよう
「おはよう、さっち」
厨房の中からリーゼントを覗かせ、私の皿に料理をよそってくれた彼に笑顔を返す。彼は昨日、自分のことを四番隊の隊長だと紹介していた――しかしその言葉は私にはちょっと理解できなかった。ただ重要な役職なのだろう――が、この船のコックもしているようだ。
スクランブルエッグとかりかりに焼けたベーコンの香ばしい匂いが食欲をそそる。私は彼にまたねと手を振って――その際存外に重かったトレーが手から落ちそうになったことはひやっとした――カトリーナの隣に座った。
「さっち、やさしい」
「あんた、そんなこと言ってるとサッチ隊長に食べられちゃうわよ?」
クロワッサンを口にしながら、彼女が呆れた視線を私に向けた。私を気遣ってゆっくり話してくれる彼女の言葉はしかし意味が分からない。サッチは人を食べるの?ぽろりとブロッコリーの欠片が口から落ちる。
「たべる?さっち、わたしたべる?」
それはとんだカニバリズムだ。あんなに優しそうに笑うのに、人を食べるだなんて。
新しく知ってしまった彼の一面に顔を青くさせていると、彼女はなぜか肩を震わせていた。
「あんまからかってやるなよい」
「だって、この子可愛いんですよ」
がたり、と前の席に腰を下ろしたのはマルコだった。こちらも何故か苦笑している彼におはようと声をかければ同じように挨拶が返ってきて、それに安心する。なんだか、言葉が分からないって不便。
彼からサッチが人を食べるというのは嘘だとゆっくり教えられてほっとした。それと同時に、カトリーナは私をからかったのだと気が付いて恨めし気な眼差しを彼女に向ける。
「ごめんね、あんたが子供みたいで可愛くって」
「わたし、こどもじゃない」
知ってる知ってる。むっとしている私に返ってきた言葉は英語が殆ど分からない私でも誠意が込められていないのがよく分かった。
「ガキみたいに上手く話せないから余計にな」
「???」
ふっと微笑んだ彼はやるよと苺を私のお皿に置いた。苺は私の好物だ。先程までのことを忘れて、ぱっと笑顔になった私はありがとうと彼に言う。それが益々彼らを笑わせる材料にもなるなんて知らずに。


 お前に仕事を与えるよい。そう言って私を連れて来たマルコは私の手にデッキブラシを渡した。何となくしか理解していなかった私は、急にブラシを渡されて正直戸惑った。
「今日からは俺の一番隊の隊員だ。まずは雑用に慣れろよい」
「たいい……?わたし、しごとする?」
そうだ、と頷く彼に、語彙力が足りない私はとにかくこれから仕事をするということを理解した。どうやらこれで甲板を綺麗にするらしい。分かったと頷いて水の入ったバケツとそれを持って甲板に向かう。
私の世界の物よりもこちらの物は一回りも二回りも大きいものばかりで、私は転んで大惨事を起こさないように気を付けた。
まだ船の仕事には不慣れな私を監督する為にマルコも後ろからついて来る。
『わぁ!』
「――っと、大丈夫か?」
長いデッキブラシの柄に足が縺れそうになったところを彼に助けられた。ぐっとお腹に回された腕は私が今まで見てきた男性の中でもかなり逞しい部類に入る。そんな腕で贅肉しかない私のぷよぷよしたお腹を触られているのが恥ずかしくて、私はありがとうと何度も述べて急いで彼の腕の中から逃れた。
お、お腹を触られてしまった。しかも昨日知り合ったばかりの男性に。そう内心しょぼんとしながら甲板に着いた。
ごしごしと甲板をブラシで擦っていく。私の弱い力なんかでこの床が今より綺麗になるのだろうか。
そんなことを考えながら私は掃除を続けた。この作業は思ったより疲れるらしい。上から照りつける日の光と二の腕の疲れ。この体勢、意外に腰に来る。背中を真っ直ぐにしたら骨が鳴りそう。
しかしそんなことで根を上げては駄目だ。他には出来ることがないんだから雑用くらいはきちんとやりたい。
「よ!!」
「あ、えーす」
眩しい笑顔を浮かべながら現れたのは、昨日宴の時に知り合ったエースという青年だ。私よりも一歳年上の彼は、この船の中で一番私と年齢が近い。
にこにこしながらこちらにやってくる彼に私は嬉しくなった。この船の人達は何かと私に構ってくれる優しい人たちなのだと思って。
しかし、足元を気にせずずんずん歩みを進める彼に、はっと目を見開いた。彼の脚元には汚れた水が入ったバケツが。次の瞬間に起こることを瞬時に理解した私は笑顔を凍り付かせた。
――ばしゃあん。
「あ…」
「てめぇ、エース。何やってくれてんだよい」
思った通りバケツは無情にも転がり、中の汚い水を綺麗にした甲板の上にぶちまけた。ああ……、と今まで水分を拭き取っていたモップの柄を握り締めながら私は項垂れた。私の努力が……。
「わ、わりい
「お前も手伝え」
へらっとしながら謝罪を述べた彼に別にいいよという意味を込めて頷く。マルコはせっかく綺麗になった甲板を彼に汚されて眉を寄せていた。
しかし、気にするなというように私の頭をぽんぽんと撫でてくれる彼。その時の表情は先程とは違って優しいそれだ。
は休憩してて良いよい」
「え、それズリ――」
「水をこぼしたのはてめェだろい?エース」
「はい……」
私から取り上げたモップを彼に渡すマルコ。私は何となく彼が文句を立てているのが分かってちらちらとマルコとエースを見比べるけれど、二人とも気にするなとばかりに笑顔を向けてくるから、私は大人しくエースが甲板を拭いている様子を眺めていた。


2013/03/25

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