空からこんにちは

――気付いた時には青空の中にいた。
『何これどういうことー!!??』
びゅうううと高速で一面に広がる海を下にどんどんと身体が落ちていく。このままいけば海面に衝突して死んでしまう。もう、どうしてこんなことになっているのだ。先程まで私は大学でレポートを書いていたのに、それがどうして。階段から足を滑らせて「あ、これは恥ずかしいな」と落ちた後のことを思って目を瞑ったのだけれど、それがどうしてこんな海の上の空にいることに繋がるのか。
『誰でも良いから助けて!!!』
この危機から自分を救い出してもらうことを切実に願っていると、突如何か温かいものが身体の下に入り込んできて落下中独特のあの浮遊感が無くなった。え、と恐る恐る下を見てみるととても大きくて青い鳥が私のことを運んでいた。
『と、鳥さん……?』
炎のように羽がちろちろと動いている様はとても不思議だった。だが不思議がっている間もなく、私は恐怖の余り視界に入っていなかった巨大な船に落とされた。今時木で出来ている船なんて初めて見た。
『あいた!』
「いったいこいつは何なんだい?」
ただ尻餅を打っただけだが、普段転んだりしない分通常以上に痛く感じた。ふと、頭上から振ってくる声に視線を上げれば、青い鳥から人間へと変貌していくその男。
ぼぼぼ、と南の海のように澄んだ青の炎が腕、肩と徐々に姿を消していった。
ぽかん、とあまりにも非現実的なことが目の前で起こってしまったことにアホ面を晒す。
しかも、私はとても大きな身体をしたおじいさんの前に落とされていて、その周りをいかつい顔をした男たちに囲まれていた。加えて、海賊旗が頭上に掲げられている。もしかして、この人たち海賊なの?何これ、怖い。全く状況を理解出来なくて、しかも今までこんな風に大勢の男性に囲まれたことのない私は恐怖の余りじわりと目に涙の薄い膜が張られるのを感じた。
お母さん、助けて……!
「お前、名前はなんて言うんだ?」
「………
「そうか、俺はエドワード・ニューゲートだ。この船の船長だ」
グラララと独特な笑い方をしたおじいさんが私に言葉を放つ。それは所謂英語というやつで、私は何とか聞き取った単語から名前を問われているのだと気付き、小さな声で返した。どうやらこの人はエドワードうんちゃらという人らしい。外人の名前って長くて全然覚えられない。ごめんなさい。
ちらりと目を向けた周りにいる男達も英語を話しているということは、ここが日本でないことを示唆している。どうして、こんないきなり日本じゃない所に来てるの私。というか、外国ですらないんじゃないの?今時海賊なんているような時代ではないではないか。私の住んでいたところと別世界だったらどうしよう。うう、また涙が出てきそう。
「どうして空から落ちてきたんだ?」
「????」
どうして?何が?エドワードさんが何て言っているのか全然分からない。ああ、もうこんなことになるんだったらもっと英語勉強しておくんだった。英語だけはどうしてか中高も平均よりも下の成績しか取れなかったから、英語の授業が無い大学に行こうとか思っていた私が悪かった。
首を傾げて言っていることが分かりませんという顔をして彼を見上げていたら、彼は何か思案する顔になる。
ど、どうしよう。怒っちゃったのかな。答えたくないとかそういうのじゃなくて話している言葉が分からないだけなんです。どうやって伝えれば良いんだ。ああ、もう私の馬鹿。
「お前、俺の言っていることが分かるか?」
「…すこし。わたし、英語はなせない」
先程よりも少しゆっくりめに言葉を発してくれた彼に頷く。拙い発音かもしれないけれど、自分のことを何とかして伝えると、彼はある程度の年齢なのに言葉を話せねェ奴がいるとはなァと笑った。けれど私は何を言っているのかさっぱりだったからやはり首を傾げることしか出来なくて、それが恥ずかしい。けれど彼の笑い方が人を馬鹿にするようなものではなく、どこか見たことのある笑い方――そう、そうだ。親が物事を知らない子供に向けるようなしようがないといった笑い方をしてくれたのが、私にとっての救いだった。
、お前。帰る 場所は あるのか?」
「………ない…」
言葉を区切りながら私に訊いてくるその言葉をゆっくりと理解するとじわりと涙が浮かんだ。この世界に私が変える所なんて無いのだ。そう目前に叩きつけられたような気がして、瞬きをすればぽろりと涙がこぼれてしまいそうになる。けれど、こんな大勢の前で泣きたくない。
きゅっと唇を結んでエドワードさんをしかと見据える。気丈であれ。毅然として物事に向かえと先人も言っていたではないか。
「なら、お前は今日から俺の家族だ」
「かぞく…?」
家族という単語は知っている。けれど、なぜそれが今出てくるの?
――、俺の娘になれ。
静寂の中に響いたその声は、何とも慈悲深いものであって、私は漸くその意味を理解して慌てて口を開いた。
「えどわーどさん、」
、俺のことはオヤジと呼べ」
――もうお前は俺の娘なんだからな。他人行儀なことはなしだ。
勇気を振り絞って出した言葉も遮られてしまって、しかし親しみを持って父と呼ばせてくれるこの人の懐の広さに私は心底感謝した。こんな見ず知らずの小娘を自分の娘だと、家族だと言ってくれるこの人はいったいどれだけ人に慕われているのだろう。
「ありがとう、ございます…っ」
「野郎ども、今日は宴だ!」
ぐしっとついに溢れてしまった涙を乱暴に手の甲で拭う。この場を見守っていた男達も、オヤジ様の言葉を聞くと一斉にわあっと歓声を上げて色んな所に散らばっていく。その場に残った男達はわらわらと私の所にやってきて、肩を叩いたりにこにこと笑って話しかけてくれた。
言葉は分からないけれど、友好的なその雰囲気から私のことを歓迎してくれているのだなと思い、自然と笑顔になる。
「よっ、俺はサッチってんだ。よろしくな」
「おい、一気に近寄り過ぎだ。…俺はマルコだよい、よろしくな」
私よりも遥かにガタイの良い男達にもみくちゃにされそうになっている私の所に来たのは、リーゼントでコックのような服を着た男と、私を落下から救ってくれた青い鳥の人だった。彼らが割って入った途端、周りの男達は私から少し離れて、やっとまともに呼吸が出来ると安心する。
「…よろしく、さっちさん、まるこさん」
「ああっ、“さん”なんていらねェよ、ええと」
サッチとマルコって呼べ。な?目元に切り傷がある彼は一見強面だが、にこにこと笑って私にそう言った。言葉が分からない私の為になるべく簡単に話そうとしてくれる彼は存外に優しそうに見える。けれど私は仮にも縦社会且つ年功序列の中で育ってきたから年上の人にはさんを付けないと良心が痛む。
「さっち、まるこ?」
「ああ、そうだよい」
けれど、私が彼らの名前を呼び捨てで呼ぶと二人が思いの外嬉しそうに笑うから、私はそんなことどうでも良いかと思って彼らに接することにした。


 色んな所に散らばって消えたと思っていた男達が再び現れて、私は彼らの腕の中にある物を見て驚いてしまった。数々の料理と酒が甲板に並べられていく。呆気にとられてそれを見ていると、マルコが私の腕をそっと引いてオヤジ様の横に座らせた。
「今日の主役はお前だからよい」
「しゅ…?」
機嫌が良さそうにしている男達は、皆私のことを見ている。どうやら私の歓迎会的なものを開いてくれているようなので、ありがとうございますと伝えた。それでもこんなに注目を浴びたことが無い私はあがっていて大きい声で言うことは出来なかった。
しかし傍にいたオヤジ様とマルコの耳にはきちんと届いていたようで、二人とも笑って頷く。
「ほら、食え食え!!」
「え、とっ」
「これもうまいぞ!!」
「ま、って」
宴が始まると、辺りは騒々しくなった。次々に私に美味しそうな料理を渡してくれる彼らにわたわたと手を伸ばす。親切なのだろうけれど、平均的な胃袋しか持ち合わせていない私はすぐにでもお腹いっぱいになってしまいそうな量だった。
そんな私の前に当たり前のようにことん、と置かれたのはグレープジュース。紫色の液体がたぷたぷとグラスの中で揺らめいていて、美味しそうだった。まあ私の年の子たちなら普通にお酒を飲んでいるけれど、私は別にお酒に対する憧れとかなかったからそのまま口を付ける。
だが、周りの男達ががぶがぶと飲んでいるお酒も気になるのは事実。じいっと見つめていたのが気付いたのか、マルコが私に視線を寄こした。
「お前にはまだ早いよい。そういえば、は何歳なんだ?」
「?…19さい」
――ハァ!!??
問いかけられた言葉を飲み込んで年を明かすと一様に驚く男達。その声の大きさに思わずびくっと肩を揺らすと、同じように驚いていたマルコが悪かったよいと言って私のことを宥める。
「19ってもっと大人っぽくなかったか?」
「どう見たって17ぐらいにしか見えねェよな」
「ナースたちみたいにボンキュッボンじゃねェしなァ」
ざわざわと大きな声で話し合っている彼らの言っていることは全く理解が出来ない。分かる単語があっても、何だか話す速度が速くて聞き取れないのだ。
だが、そんなことは気にしていても仕方がないので、私はこの歓迎会を楽しむことにした。
グララララとオヤジ様が私の横で豪快にお酒を飲んでいるのを見て、自然と笑顔になる。

 何とか、この世界で生きていけそうだ。暫くは皆に迷惑をかけるかもしれないけれど、足手まといにならないようにがんばる。私はそう決意した。


2013/03/24

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