おはようと言える朝を探してる

 存在していない。その言葉はよく分からなかった。けれど、彼女のあの表情。言葉が分からなくても、それの意味が私にとってネガティブなものであると判断するには簡単だった。
「ニホンという国もないわ。共通点があるのはワノ国だけれど、がその国で生まれたという出生報告書は確認できなかった」
淡々と述べられるその言葉の羅列はやはり私には理解出来なくて、もういい加減泣きたくなってきた。どうして、私がこんなわけのわからない所に飛ばされなくちゃいけないの?
何も悪いことなんてしていないのに。ふつふつと悲しみとはまた違った感情――怒りが沸き上がってくる。
「そうか、じゃあこいつはどっかに捨ててこい。もう用はない」
「――ルッチ、それはいくらなんでも可哀想じゃないの?」
私を置いて進められるその会話。それはきっと私の問題に違いないのに、どうして私を放って進められるの?
私の希望を何一つ聞こうとしない彼ら。唯一ルッチと呼ばれたシルクハットの男を除けば、この二人は多少なりとも表情から同情の色が窺えるけれど、彼は全くそんなものが見えない。
私のことなどいてもいなくても関係ないといった表情で、冷たい眼差しを向けてくるだけ。
自分では抑えつけられないような癇癪が暴れそうになる。それに耐えるようにぎゅっと目を瞑ったけれど、次の彼の言葉でそれは爆発した。
「こいつは捨てられたんだ。こいつの世界にな」
嫌味たらしく一言一言区切って話す彼。聞き取りが上手く出来ない私でも聞き取れるように発音されたそれは、私の怒りがぎりぎりまで溜まった風船を針で思い切り割った。
『こんな所もうやだ!!』
叫ぶと同時に何故か目線がしゅるしゅると低くなった。な、何。
「この子、能力者だったの!?」
「ウサウサの実か!」
彼らが何を慌てているのか分からない。私も自分のことなのに訳が分からなかった。小さくなった私を捕えようと手を伸ばしてくる彼らからぴょんと逃げる。
わああ、何これ!?手足が毛むくじゃらになってる!!
自分の力をセーブ出来ずにテーブルやソファの脚に激突した。がん、がん!と大きな音を立てながら死に物狂いで扉に突進しようとする。しかし、扉に届くよりも先にぐいっと首根っこを掴まれて宙に浮かんだ。
「ウサウサの実を食ったウサギ人間か」
、早く能力を解くんじゃ」
ルッチに貫くような視線を寄こされて、私はぶるぶると身体が震えた。何か、彼からは凶暴な肉食獣のような気配を感じる。本能で弱肉強食の野性を感じ取った私は、彼の存在が酷く恐ろしかった。
カクが何か私に言うけれどそれどころじゃない。人間に戻りたいけれど、どうやって元に戻るのか分からないのだ。
何より今すぐルッチから離れたかった。
「ルッチ、この子怯えてるわ。そんな状態じゃ無理よ」
「さっきは捨てろと言ったが、こいつが能力者だというなら話は別だ。俺たちはこいつを管理する必要がある」
へたに海賊になられても困るしな。そう言って、彼は私をカリファの腕の中に寄こした。
ぶるぶると震えている私の身体をよしよしと撫でる彼女の細い指。彼から離れた所にゆっくりと腰を下ろした彼女の膝の上で、私は数分間撫で続けられた。
はこの能力自体意味が分かってないんじゃないかしら?」
「まだ兎のままじゃしのう」
漸く震えは収まったものの、人間への戻り方が分からない。どうして私は兎に変身してしまったのだろうか。思い当たるのは、空から落ちてくる時に何かを飲み込んでしまったことだ。だけど目を瞑っていて何を飲み込んだのかは分からない。ただ、物凄く不味かったことだけは覚えている。
、人間に戻りなさい」
「?どうやって??」
私のことを膝に置いてくれている彼女が、優しい声で促す。しかし、私は彼女を見上げることしか出来なかった。いきなり兎になったのに、それでまた人間に戻れなんて無茶な話だ。そんな私に、彼女は人間の自分を想像するのよと私の背を撫でながら言う。
人間の私……。ちゃんと手足の長い自分を想像してみる。すると徐々に変化していく私の身体。
「ほら、戻れたじゃない」
「あ…、ありがとう…」
怒鳴ることをせず、私が自然に元の姿に戻れるようにしてくれた彼女にはにかみながら、感謝した。すると、彼女はその言葉に面食らったようにぱちりと瞬きをする。何だろう、何か間違えたかな。
「別に気にしなくていいわ。私はカリファよ」
これから一緒に暮らすんだから、仲良くしましょうね。そう言って手を差し出す彼女。――??ああ、握手か。
私は彼女の綺麗な手を取って握手をした。先程までは少し冷たそうな印象だったけれど、あっという間に私の中で彼女は優しいお姉さんと位置付けられた。
「それじゃあ私は長官にのことを話してくるわ。カク、この子の部屋に案内してあげて」
「分かった」
私の頭をするりと撫でて立ち上がった彼女に、ばいばいと手を振る。そうすれば、彼女も微笑みながら同じように手を振りかえしてくれて嬉しくなった。
それじゃあわしらも行くかのう。そう言うカクに連れられて私は仏頂面のルッチさんが残っているこの部屋から出た。
「とりあえず、今この司法の塔にいるわしらの部屋だけ案内しとくかの」
「…?……かくと、るっちさんと、かりふぁ?」
「そうじゃ」
何となく彼ら以外にもまだ誰かがいるのだということが理解できた。まずはわしの部屋から行こうかのうと彼が私を見下ろしながらにっこりと微笑む。彼とは年が近いおかげでそこまで気後れすることが無い。私はそれに微笑み返して彼の後に付いて行った。
「さぁて、ここがわしの部屋じゃ」
「おおきい……」
彼に促されて入ったその部屋は私が今までに見たことのない程広い部屋だった。あまり家具は置きたがらない性格なのか、必要最低限の物しか置いていないそこはそれのせいで余計に広く見える。私は彼の部屋をぐるりと見渡して感嘆の声を漏らした。わあ、ベッドがあんなに大きい。天蓋付ベッドなんてハリ○タ以外で初めて見た。それと、何か高そうな壺がいくつか置いてある。骨董品を集めるのが趣味なのかなぁ。
「すごい」
「そうかの?」
素直に感想を述べれば、彼はははと笑いながら首を傾げた。次はカリファの部屋に行くぞ。そう言って彼は自分の部屋から出ていく。彼女の部屋は同じ五階にあるらしく、私は彼と共に長い廊下を歩いた。
「カリファはここじゃ。何かあったらここに来ると良い」
「なにか…?」
「おお、何でもじゃ」
カクはカリファではないのに、まるで自分が彼女のように胸を張って答えた。わしの所でも良いが、わしは散歩に出ていることが多いからのう。そう付け加えた彼にふうんと返す。とりあえず彼がそんなに部屋にいることがないのだということは理解できた。
そして次はルッチさんの部屋に向かう。一つ階を上がった所に彼の部屋はあるらしく、私は彼の後について階段を上る。ぴたりと足を止めた彼にぶつかりそうになった。あぶないあぶない。どうやらルッチさんの部屋に着いたらしい。
ここじゃよ。そう言った彼にうんと頷く。カリファと同じく彼の部屋ではないからその扉が開けられることはないが、私は少し緊張した。あまり寄り付きたくはないなぁ。近寄っただけで怒られそうだ。
「さて、次は長官のところにでも行くかの」
「ちょおかん?」
少し面倒くさそうに声を発した彼を見上げる。そうじゃと頷いた彼はどうやら同じ階にあるその人の所に行くらしい。その人は何なんだろうなと思いながら彼について行く。
「長官、わしじゃ。失礼」
「ああ」
彼が扉をノックして中に入っていく。私は彼に続いて中に足を踏み入れた。その部屋はやはりカクの部屋のように豪華な造りになっている。ソファやテーブルなどの調度品を並べてもまだ余裕のあるその部屋の広さといったら。
「長官の所に落ちてきた子が起きたのでな、連れてきた」
「ああ、そうか」
お前がか。窓際にあった机の前で座っていた男性が私を見つめる。この人がカクの言っていたちょーかんという人なのだろうか。機械のようなものを顔に付けた人に舐めるように見られて私はたじろいだ。普通だな。暫くしてぽつりと彼が呟いた言葉に首を傾げる。
「カリファから聞いていたがやっぱり普通のガキだな」
「???」
カリファ?彼女の名前は聞き取れたがそれ以外が分からない。
「まあ能力者ってことだし、世話してやるよ」
せわしてやるお?私は馬鹿みたいに首を傾げることしかできなかった。そんな私にカクが彼の言ったことを分かりやすく説明してくれる。それでも私には難しかったけど。どうやら服はくれるしご飯だって食べさせてもらえるし部屋だってある――それは先程見たから分かった――らしい。ええと、つまり衣食住を提供してもらうわけか!私はようやく彼が私に伝えていたことを理解した。そ、そんな申し訳ない。何も働かなくてそんな良くしてもらえるなんて。まるでニートじゃないか。
「わ、わたしなにすればいい?」
「あ?何もしなくて良いっつーの」
そんな。私は返ってきた彼の言葉にそれはもう困った。どうすれば働かせてもらえるのだろうかと頭をフル回転させる。た、端的に働きたいという思いを伝える言葉は。
「わたしはたらきたい」
「物好きだな…つってもお前がやるようなことはないしなァ」
働きたいですと彼に伝えてみると彼はなぜか私のことを変な奴というように見た。それに渋っているようだし、私なんかには任せられないと思っているのだろうか。お世話になるのに何もしないのは酷く心苦しいと思ったのだが、やめた方が良いのだろうか。
「長官、をわしらの雑用係にするのはどうじゃ?」
「あ?ああ、それが良いな」
――よし、今日からお前は俺達の雑用だ!
今まで黙っていたカクの進言により、私はざつよーという仕事を与えてもらえることになった。しかしざつよーの仕事内容が分からない。ありがとうございますと彼に頭を下げながら、その仕事は何かと訊ねた。雑用というのはわしらに言われたことを何でもやる仕事じゃ。ゆっくりと私にそう教えてくれるカクに頷く。ええと、つまり何でもすれば良いのかな。とりあえず分からないことがあったら聞こうと決めて私はその仕事を明日からすることになった。もう出てって良いぞというちょーかんにぺこりとお辞儀をして、私たちは外に出る。
「さて、最後はお主の部屋じゃ」
「わたしのへや?」
歩きだした彼についていく。どうやら私の部屋はカクたちと同じ階になったらしく、私は笑顔になった。だって二人と一緒の階だったら好きな時に行きやすいし。私の歩幅に合わせてゆっくり歩いていく彼の横を歩きながら、私はどんな部屋なのだろうと想像してみた。彼の部屋みたいな広さはなくて良いから必要最低限の家具があってほしいなあ。なんて考える。
「ここじゃよ」
「わあー」
――広っ!!私にはもったいなさ過ぎる程の部屋の広さに目を見開く。正面にある窓からは眼下の滝が拝め、部屋の壁紙はペールグリーンを基調としたストライプ。視線を右にずらせば、キングサイズの天蓋付きベッドがあり、左を向けば大きな鏡がある豪華なドレッサーがあった。その他にもソファやサイドテーブル、絵本が入った本棚があり私は正直恐れおののいた。庶民の感覚ではこれらの配慮についていけなかったのだ。
「どうじゃ?カリファが用意したんじゃが」
「きれい!すてき!ありがとう」
ぽかんと部屋を眺めていたら彼が私の顔を覗き込んできた。私ははっと意識を取り戻して彼にどれほど感動したかを伝えようと手をぶんぶん振ってアピールする。そうすれば彼はそれは良かったと微笑んだ。
この部屋のデザインはカリファが考えたんだあ。道理で品の良い部屋になっているはずだ。私はこの短時間でここまで素敵な部屋を作り上げた彼女の手腕に驚いた。
今日からここで暮らすのだ。頑張って皆に認めてもらえるようにしよう。私はそう意気込んだ。


2013/06/06

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