ハロー、非日常

 珍しいこともあるものね。カクとルッチと私がこんな風にテーブルを囲んで和やか――とは一概には言えないかもしれないが――にお茶を飲みながら談笑しているなんて。
普段なら会話をするとしても任務の報告だったり殺伐としたものが多いのに、今日はあのアホ長官のことや自分たちの趣味について話していた。
「のう、カリファ。お前、今度の任務はいつじゃ?」
「一週間後ね。ルッチは?」
「俺は暫くは無い」
「わしは一か月後じゃ。面倒じゃのう」
CP9としての日常を忘れてしまいそうなほど、穏やかな時を過ごしていたそんな時。ドシャーン、パリン!うわっ、熱ィィイ!!そんな騒音が耳に入る。
『………』
何も言わなくてもアイコンタクトだけで、この場いる者たちの心中が見事に一致したことを察した。
――あの長官、また何かやらかしたな。
そんな気持ちが一番強いだろう。誰ともなく溜息を吐いて、万が一呼び出された時に備えて脱いでいた上着を羽織る二人。
「今日はいつにもまして五月蠅かったな」
「空から何かが落ちてきたりしての」
ははは、と笑うカクにそれはないでしょうと微笑を返す。何だってこのエニエス・ロビーの、しかもCP9の長官の部屋に何かが落ちてくるのだ。いくらあの長官がドジだからといえども、そんなことはないだろう。
「ぷるぷるぷる………」
電伝虫が声を上げる。きっと、否、これは間違いなく長官からの電話だろう。出たら面倒なことになりそうだ。そんなことを思いながらも、ルッチが渋々といった体で受話器を取った。その瞬間必死の形相になる電伝虫。
『お前らァア!!早く俺の部屋に来い!!お、俺の部屋に――ギャァ!』
ぶちっと途中で切れた電話に三人で溜息を吐く。切れる寸前に何かに身体をぶつけるような音が聞こえたから痛みにもんどり打って電伝虫を床に落としたのかもしれない。
仕方がない、と三人で目を合わせて和やかだった雰囲気の部屋を出てスパンダムの所に向かう。
「スパンダム長官、失礼します」
ルッチがノックをしてから彼の部屋に足を踏み入れた。そこはめちゃくちゃな状態だった。コーヒーカップは割れて破片が飛び散り、その中に入っていた液体が豪奢なカーペットを茶色で汚している。まとめられていた筈の書類でさえ、ばらばらに床に散らばりその上に机と椅子が倒れているという悲惨さ。
いったい何があったのだ、とルッチの背で隠れていた部分を見る為に顔を横にずらすと、床には黒髪の少女が横たわっていた。目は閉じられていてぴくりともしない。
「長官、まさか……」
「ち、違うぞカリファ!俺は断じて」
「セクハラです」
「名前呼んだから!?」
まあ長官をからかうのはこのくらいにしておいて。私はぎゃあぎゃあ騒ぐ彼を無視して、気絶しているようである少女を観察した。彼女の服には瓦礫の破片がいくつも付いており、彼女から目を離して上を見ると天井に穴が開いて青空が窺えた。
「コーヒーを飲もうとしていたらこいつが落ちてきたんだよ!理由を訊こうにも気絶してて訊けやしない!!」
ったく。そう吐き捨てられた言葉に、先程冗談としてカクが言っていたことを思いだす。
はははなんてあの時の彼は笑っていたけれど、流石に今の彼は笑ってなんかいないで信じられないといった顔で少女を見ていた。まさか本当に何か――少女が落ちてくるなんて思わなかった。
「とりあえず、こいつが起きるまで監視してろ!そんで起きたら尋問しとけ」
心底疲れたといった体で彼が椅子に腰かけようとする。しかし、そこにはいつもあった椅子など無い。再び痛ェェという彼の耳障りな声がこの部屋に響いて、私は心中溜息を吐いた。
「分かりました。では失礼します」
ルッチがその少女を肩に抱いて部屋を後にしようとする。その際、彼の部屋を片付けにやって来た部下たちに頭を下げられて、私たちはさっさと先の部屋に戻ろうと歩く速度を速めた。
「本当に空から落ちてくるとはの……驚いたわい」
「それにしても、この子何者かしら?」
監視しておけと言われた為、ルッチは私たちが座っていた隣のソファに彼女を横たえる。見た感じ、私たちのように何か武芸に秀でた雰囲気は感じない。筋肉だって全くないような身体だし、この少女が何らかの悪意を持って長官の部屋に落ちてきたとは考えられなかった。それに、もし悪意があったのなら屋根を突き抜けた程度で気絶などしないで長官に攻撃をしているだろう。しかし実際、彼は自爆というもので怪我をした程度なのだから、警戒するには値しない人物に思えた。そう分かっていても警戒してしまうのは今まで暗躍してきた癖だろう。


 少女は中々目覚めなかった。既にソファに寝かしてから二時間は経っている。いい加減監視という仕事にも飽きてきた。さっさと部屋に戻ってワインでも楽しみたい気分なのにそう出来ないこの状況が腹立たしかった。
『……っ』
「ん?起きたようじゃ」
くるりと上を向いた睫毛が小刻みに揺れて、彼女が夢の中から現実に戻ってきたのが分かった。薄らと、徐々に光に慣らすように開かれた瞼の下には黒曜石のような瞳がある。綺麗な黒だ。俺たちが纏う正義の黒とはまた違う、何者をも受け入れることのない純粋な黒。
しかし、そんなものに惑わされるような俺ではない。カリファが尋問しやすくするため、少女に警戒心を生ませないように微笑みながら彼女の身体を起こしてやっていた。彼女はこの状態が全く理解できないのかきょろきょろと落ち着かなさげに周囲を見渡している。その様子からは全然戦闘慣れた匂いも感じず、いっそ隙だらけで今すぐにでも殺してしまえそうな状態だった。
「お前、どうしてスパンダム長官の部屋に落ちてきた?」
「???」
俺は組んだ手の甲に顎を乗せながら彼女に問うた。しかし彼女はまるで意味が分からないといった体で首を傾げる事しかしない。このガキは頭が悪いのか?
そんな苛立ちがカリファに通じたのか、彼女の隣でもう一度同じことを問う。しかし、やはり彼女は不安げにカリファのことを見上げるだけだった。
「あなた、言葉は分かる?」
「…すこし。わたし、。日本から来ました」
たどたどしい、子供のような発音で話す少女。名はというらしい。ニホンという地名は聞いたことが無い。俺たちは仕事柄色んな土地に赴いているのに知らないということはよっぽど辺境の地なのだろうか。
「ニホンとはどんな国じゃ?」
「……サムライいた…あと、キモノ…」
サムライとキモノ。その単語にああ、と思い当たる節があった。彼女が言っているのはワノ国の特徴のようだ。ニホンと名前は違うが、同じような国なのかもしれない。
確か、ワノ国は世界共通語に加えてもう一つ民族特有の言葉を持っていた。もしかしたらこの少女が話す言葉はそれなのではないだろうか。
そのことをカリファたちに伝えればなるほどと頷く。ワノ国についての情報を彼女がに伝えると、彼女は戸惑いがちにそうかもしれないと同意した。
海図を渡し彼女にそれを見せる。ワノ国はここで、今いるエニエス・ロビーはここだと指を指すと彼女は目を見開いて沈黙してしまった。それは何故かは本人にしか分からないだろうが、大分衝撃を受けたようで食い入るように海図を見ている。
は家はあるのか?」
「……たぶん…ない……」
カクの質問は彼女にショックを与えたようで、彼女はしょんぼりとしながら自分で導いただろう答えを俺たちに小さな声で言う。それはつまり、ニホンという国はこの世界で既に滅んでいるのかそれとも元々存在していなかったか。そのどちらかになるだろう。ワノ国を指差した時の彼女の反応。それは自分の知っているワノ国ではなかったということだろうか。
「今すぐこいつの素性とニホンという国を調べてこい」
「はい」
しかし目下の問題はこの怪しい少女をどうするかということだ。俺はカリファに情報収集を任せた。彼女なら一時間もかからずにこの少女の出自と国を探すことが出来るだろう。それでもしこの少女の存在を証明できなかったら、その時彼女はこの世界に存在していないものとして処分されるだろう。

――何がどうしてこんなことになってるの。目が覚めたらめちゃくちゃ背が高い美形の男女三人に囲まれて、何だか尋問まがいなことをさせられて。空から落ちたと思ったらまさかこんな所にいるなんて思いもしなかった。
先程見せてもらった地図は私の知っている世界地図とは全く違った。日本のような形をしている島国は確かにあったけれど、それを囲んでいる大陸の形が全然私の記憶と合わない。
何これふざけてるの?彼らが話す言葉は英語で日本語なんて全く通じない。自分の意志をきちんと述べる事も出来ずにフラストレーションが溜まりそうだった。
あの優しそうな女性がこの部屋から出て行って一時間。その間、私は主に鼻の長い青年に質問をされ続けた。

年は?――17。そうか、わしは18じゃ。両親は?――いる。

ふむふむと相槌を打ち、シルクハットの男よりもいくらか気軽に話しかけてくる青年はカクと名乗った。シルクハットの男は自己紹介する気はないのか、そのまま黙りこくって私たちの会話を聞いているだけ。
がちゃりと扉の開く音がする。先程部屋から出て行ったあの女性が帰ってきたのだ。
いくらか気落ちした様子でソファに腰掛けた彼女は、シルクハットの男に向かってこう言った。

「この子、はこの世界に存在してないわ」


2013/03/28

inserted by FC2 system