ソーダとレモンジュースの海をかきまぜて

 穏やかな波をぬって一隻の巨大な船が大海原を進む。以前の海賊の襲撃から何週間か経った。その間は何も危険なこともなく、いつもと変わらぬ平穏な日々を続けていた。

――俺の中には明らかに魔物が棲んでいる。それが悪魔なのか鬼なのかは知らないが、それは時々酷く血を求めて表に現れる。今回の、彼女に危険が及んだ時にそれが出てきただけのこと。
大好き、だなんてストレートで幼稚な言葉をぶつけられたのは彼女が初めてだった。俺に近づく女たちは大抵一晩だけの関係で、何かしら金とか俺の名前とか身体とかの見返りを俺に求めていた。打算的な考えで、純粋な思いなんて一つもない。汚い大人の例だった。しかし彼女はそんなものを求めない。きっと脳がそういった分野で発達していないのだろう。それは限りなく子供に近いと俺は思ったが、彼女がああいう女たちとは全く違う生き物だからだろうか、全然嫌な感じはせずむしろ好ましかった。そんな、誰にも思想を汚されていない純粋な彼女が組み敷かれた姿には、怒りが爆発しても仕方が無かった。俺のコックに手ェ出しやがって。彼女はただのコックだけど、俺たちの中では妹分の存在なのだ。それは俺の想像を遥かに凌ぐ破壊衝動を起こし、その勢いのまま男を殴りつけた。俺は怒りのあまりに能力を使うことも忘れていたのだ。
キラーが止めなければ俺はあのまま男が死ぬまで殴り続けていただろう。彼女はあんな俺の姿を見て恐れを抱いただろうか。今まで彼女に全くこういったシーンを見せてこなかった俺は、それだけが気がかりだった。

『きっど、せんちょうは、ひーろー』

そんな風に不安と苛立ちを感じていたのに、彼女はそんなものをたった一言で拭い去った。あんな残虐な行為を見た後なのに、俺がヒーローだと。言葉をろくに話せない彼女だから、その気持ちが本当はどんなものなのかは察することはできない。ただ、その言葉は本当だということだけは理解できた。こういうことをするから、俺たちはこいつを手放せないのだ。全く、平々凡々でそこらへんのどこにでもいそうなガキなのに、その平凡が俺たちには無くなってしまっていたからか、それを持った彼女が眩しくて仕方がない。
今度はあんな目に会わせないように、俺がしっかり彼女についていてやらねば。


 夏島に到着した。太陽の日差しが暑い。茹だるような暑さだ。しかし日本のような湿潤な地域ではないからか、からっとした暑さである。容赦なく降り注ぐ太陽の光を手で翳して見上げた私は、そんなことを考えた。
どうやらこの島は結構栄えているらしく、大勢の人が遊んでいる。無人島だったら自分たちで食料を調達しなければいけないと思い心配していた私は、それに大いに喜んだ。まあ、私たち海賊がやって来たことによって、その周辺にいた人々は逃げていってしまったけれど。少し離れた所にはビーチとして開かれている砂浜があり、そこには大勢の人が楽しそうにはしゃいでいるのが見える。私はそこに行きたいとキッド船長の服の袖を引っ張った。
「きっどせんちょう!うみ!うみはいりたい」
「海なんていつも見てるじゃねぇか」
この暑い気候の中で、さすがの彼もいつものファーコートを脱いで通気性の高いシャツを羽織っていた。てっきり上半身裸になると思っていた私は、意外にも洋服を着た彼に驚いた。「あせがべたべたひっついてきもちわるいだろ」って何だろう。
動く様子のない彼に、私一人では説得できないと思い、ヒートやワイヤーたちに目を向ける。彼らは私が望んでいることを分かってくれて、にっこりと微笑んだ。
「クルーたちもダウンしてんだし、涼むのも必要だと思うぞ、頭」
「ここには海軍もいなさそうですし」
「チッ…仕方ねェな」
二人が彼に何かもっともらしいことを言ったのだろう、彼は嫌そうな顔をしながらも頷いた。やったー!海水浴だ!彼がビーチで遊ぶことを許可した途端、甲板でだれていた男たちは活気を取り戻す。彼らはすぐさま水着に着替えに自分の部屋に戻りだした。私もその波に乗りたかったのだけれど、そういえば水着を持っていないことを思い出してうなだれる。せっかく海で泳げると思ったのに。
「どうした?」
「わたしみずぎもってない…」
甲板に残っていたキラーが私の様子に首を傾げる。ああ、確かにお前は水着を持っていなかったな。頷いた彼は私にちょいちょいと手招きをして買いに行くかと呟いた。かいもの?彼の言葉を反芻して彼を見上げると、そうだと彼が頷く。
の水着を買ってくる」
「おう、遅くなるなよ」
キッド船長は彼が私と一緒に買い物に行くことを許してくれて、私はわあいと喜んだ。私に歩くスピードを合わせると遅くなるからだろう、彼がしゃがんで俺の上に乗れと指示をしてくる。私はその言葉に甘えることにして、彼の背中におぶさることにした。
「しっかり掴まれ」
「うん」
彼の駆ける速度が速くて、私はきゃあきゃあと騒ぐ。彼は私のテンションが上がっても静かにしろとは言わずに自由にさせてくれていた。お店が並ぶ場所にまで来ると、彼は私を地面に下ろして水着が売っている店に入っていった。
扉をくぐると色々な水着が売っていた。男物から女物まで沢山の色とりどりな種類が陳列してある。
「これはどうだ?」
「やー」
ビキニを持ってきた彼に首を振る。ボンキュッボンなお姉さんだったらこういうのは似合うかもしれないけれど、私みたいな平凡な身体には勿体無い。とりあえず私はセパレートタイプではない物を探すことにした。
できればワンピースタイプとかだと良いんだけどな。そんなことを思いながらごそごそ探していると、とんとんと肩を叩かれる。
「これなんてどうだ?」
「あ!かわいい」
彼が手に持っているのは私が丁度求めていたワンピースタイプの水着だった。背中が大きく開いていて首の後ろでリボンを結ぶようになっている。下にはビキニを着るようだが、ワンピースを上から着るので安心できそうだ。それに柄が可愛い。ストライプで小さな花が描かれている。キラーってばすごい。一回で私の好みを把握するなんて。
それじゃあこれにするかと言って彼が会計場所にそれを持っていく。
「ありがとう!きらー」
「いつも頑張っているお前へのご褒美だ」
――やったね!!


遅ェ………。あいつら、どんだけ水着買うのに時間かけてんだ。既に四十分は経っている。俺はクルーたちが海に入って楽しそうに泳いでいるのをぼんやりと眺めて砂浜で寝転がっていた。何が楽しくてむさい男達が遊ぶさまを眺めてなきゃいけねェんだ。俺たちが来たことによって最初は怯えていた地元の人間たちも、今では俺たちが危害を加えるつもりはないということが分かったからか、少し離れた場所で俺たちと同じように楽しんでいる。
「きっどせんちょー!!」
少し離れた所から聞こえたソプラノ音に、やっとやって来たかと身を起こす。さて、どんな水着を選んだのやらと彼女の姿を視界に入れる。
「お」
空を彷彿させる薄水色にストライプと花が描かれているワンピースタイプの水着。それを着た彼女が手をぶんぶん振りながらこちらに駆けてくる。彼女の真っ白な太腿が眩しい。しかし後ろから同じように水着を着、歩いて彼女を追いかけるキラーと少しも離れていない彼女に笑ってしまった。きっと、砂浜で上手く走れないのだろう。
はあはあと大きく息を乱して俺の前に立った彼女は水着を買ってもらったことが嬉しいのだろう、いつもよりテンション高く俺にまとわりついてくる。
「みてみて!みずぎかわいい!」
「水着はな」
よく似合うと言いたかった口は全く逆の言葉を紡いでしまった。どれもこれもキラーが俺を試すようにじっと見てくるのが悪い。しかし彼女は全くそんなことは気にしていないのか、海で遊んでいるクルーたちに大きく手を振ってアピールしていた。
「おー!よく似合ってんじゃねぇか!!」
「センス良いな!」
それにでれでれと返した彼らにイラっとする。完全に八つ当たりだ。俺が言えないことを容易く行ってしまえた彼らに対する嫉妬だ。
「おらァァアア!」
「わああ!!?」
俺はそんな彼女に後ろから忍び寄り、がしっと彼女の軽い身体を抱えた。ぴいぴいと俺の上で声を上げる彼女をそのまま海に放り投げる。見事な弧を描き、ばしゃああんと大きな水しぶきを上げて海に落ちた彼女。俺はそれをげらげらと笑って眺めた。隣でキラーが女の子にする仕打ちじゃないなと呟くのが聞こえたけど、無視だ無視。
「ぷあっ!!」
海から顔を覗かせた彼女に周りにいたヒートたちが大丈夫か?と寄っていく。だけど彼女は彼らの心配をよそにきゃあきゃあと笑い声を上げ、今さっきのことを喜んでいた。ばしゃばしゃと泳いで岸に戻ってきた彼女が俺の元まで駆けてくる。何か、犬みてぇだなこいつ。
「もっかい!もっかいして!」
「なんだ、気に入ったのか」
びしょびしょに濡れた彼女が両手を上げて俺にせがんでくる。仕方ねぇな、と俺は呟いてもう一度彼女を海に放り投げた。きゃあああと大きな声を上げて、また海に落ちる彼女。それはもう楽しそうで、彼女を見ていたら俺まで心なしか楽しくなってきた。
「きっどせんちょー、およごう」
「俺は泳げねぇんだよ」
そういや、こいつは俺がカナヅチだってことを知らなかったな。俺は能力者だ。そういうことを伝えると彼女は本当に分かっているのか分からないがへえと頷いた。そしてそのまま、やはり海に入ろうと誘ってくる。やっぱり分かってねェな。
「だから、俺は泳げねぇって」
「だいじょーぶい!」
何だだいじょーぶいって。誰からそんな言葉習ったんだ。彼女は怪訝そうに見てくる俺のことなど気にせずに、持っていた浮き輪に一生懸命息を吹き入れている。二つ完成した頃にはぜえぜえと息も絶え絶えだったが、これは浮き輪を使えということなのだろう。
「ったく、仕方ねえ奴だな」
「はやく!」
ぐいぐいと手を引く彼女によっこらせと腰を上げる。そのまま彼女に誘われるまま、海に足を入れた。その途端身体からは少しずつ力が抜けていく。やべぇ、もう駄目か。早速浮き輪に身を横たえてぷかぷかと海に浮かぶことになった俺の周りを彼女が浮き輪を使いながらぐるぐる回る。力はなくなるが、冷たい海に浸かることは思いの外気持ち良かった。
「きっどせんちょー、およげない、わたしうれしい」
「あ?何でだよ」
俺の周りをぐるぐる回っていた彼女が俺の顔の付近で止まる。視線を空から彼女に移すと彼女は満面の笑みで言ったのだ。
「だって、きっどせんちょーたすけられる!わたしおよげる、きっどせんちょーたすける!」
これ以上良いことがあるだろうかというように笑っている彼女に、はっと笑いが込み上げる。俺を助けられることがそんなに嬉しいのかよ。そんじゃあ俺が溺れた時は頼んだ。そう返せば、彼女はぜったい!と大きく頷いた。真っ直ぐな彼女の言葉が少しむず痒くて、視線をにこにこと笑っている彼女から周りに移すとにやにやといやらしく笑っているヒートたちの姿が目に入った。
「テメェら後で覚えてろよ!!」
、こういう時は異常なしって言うんだぞ」
「きっどせんちょーにいじょおなし!」


2013/05/23

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