心地よい水槽

 前の島を出てから早くも三週間が経とうとしていた。次の目的の島は春島らしく、時間があれば桜を見ることが出来そうだとキラーが話していた。たぶん、彼が考えている事はどうせが喜ぶだろうなあという兄貴的思考から来たものだろう。彼は一回り程年の離れたあの少女のことが可愛くて仕方がないのだ。
まあ、かく云う俺もキラーにきっかけを与えられてからは以前よりも彼女と過ごす時間が増えたように思う。

甲板の上ですぴすぴと寝息を立てている彼女に近づく。彼女はワイヤーに膝を貸してもらって昼寝をしているらしい。長身の彼と彼女の組み合わせを見ると、まるで巨人と小人のように見えるのだから面白かった。
彼の胡坐の中に簡単に収まってしまう彼女の身体の何と小さなことか。丸まって寝ている姿がまるで猫のようで、少し笑えた。というか、こいつの剥き出しの脚に頭置いて寝られるなんてすごいな、は。
「あ、頭。どうしたんですか?」
「あ?ああ、こいつに次は春島だってことを教えてやろうと思ってな」
そろそろ陸を恋しがる頃だろうと思い、俺は彼女を春島に上陸させてやろうと考えたのだ。その旨を彼に伝えれば、桜が綺麗だと良いですねと膝の中にいる彼女の寝顔を見て笑う。
その寝顔は何も警戒する必要などないといった無防備なそれで、彼女の寝顔を見ていたら自分まで眠くなってしまいそうだった。
時折ぴくぴくと動く指は、何か夢を見ているせいだろうか。
「うむむ……」
変な声を上げて、ワイヤーの膝の中で伸びをする彼女。ぐぐ、と腕を数秒伸ばして、徐々に開かれたその瞳にワイヤー、次いで俺が映されて完全に彼女が眠りから覚めたことを教えた。
ふわぁと大きな欠伸をした彼女は「おはようございます。きっどせんちょー、わいやー」と舌っ足らずな声で述べてふにゃりと笑む。
「おい、。良い知らせがあるぞ。次は春島だ」
「はるじま……」
まだ眠気は完全になくなってないのか、ぼうっとする頭でゆっくり考えたのだろう。数秒沈黙が生まれるが、その直後彼女はワイヤーの膝から飛び起きて、はるじま!と大きな声で叫んだ。その声の大きさに、甲板にいた他の連中は今日も元気だなァなんて笑っている。
「さくら、もってる?」
「ああ。それと、“持ってる”じゃなくて“ある”だからな」
嬉しそうに桜のことを訊いてくる彼女に訂正を入れていく。こうやって彼女に正しい文法を教えるのは今では当たり前のことになっていた。
ふと、ふわりと風で靡いた彼女髪の隙間から、ワイヤーの網タイツの痕が薄らと残っているのが見えてそれが笑いを誘う。俺と同じように彼も気付いたらしく、元々下がり気味な眉を更に下げてくすくすと笑っていた。
「なに?なに?」
「鏡見てこい」
きょとんと首を傾げたは何で俺たちが小さく笑っているのか分からないようで、頻りに俺たちの顔を見比べていた。俺の言葉に頷いて船の中にたたたと小走りで消えた彼女。きっと、あと数十秒で自分の頬に付いたバツ印に気が付いて慌てるのだろう。その姿が容易に想像できて、俺はくつりと笑みを漏らした。

、気を付けろよ」
「知らない奴にはついて行くなよ」
「お菓子貰っても駄目だからな」
「はーい!」
ついに待ちに待った春島へ到着した私は、到着と同時に仕事を任せられた。この島には何日か滞在するらしく、遊ぶ前に色々と航海に必要な物資を買いに行かなければならない。その一部を私に任せられたというわけ。
私が買わなくてはいけないものは食料――玉ねぎオンリーだ。玉ねぎだけかと思うなかれ。長ければ何週間も海以外何もない所で料理を作らなければならないのだ。一つの材料だって大量に必要になる。
大きめのリュックをキラーに肩に下げてもらって、首から紐付き財布をぶら下げ服の中にしまう。玉ねぎだけとはいえ大量に買い込むため、その中にはそれなりのお金が入っていた。盗まれないようにしなきゃね!!
今回私が求められているのは、この船以外の人達ときちんとコミュニケーションが取れるかということと、お金の計算が出来るかだ。以前キッド船長から教えてもらったベリーは円とあまり価値が変わらないらしいから、ちゃんと紙幣と貨幣の単位だけ覚えていれば会計は出来る、筈だ。
「いってきまぁす」
私は縄梯子を降りて上にいる皆に手をぶんぶん振った。初めての土地に一人で買い物に行くのはかなり緊張する。ちゃんと話せるかなとか、お金を騙し取られたらどうしようとか思わない事はない。けれど、それくらい出来なくちゃこれからの航海で私は足手まといにしかならない。
――ちゃんと言われた通りに玉ねぎ200個買ってくるんだ!!私はそう意気込んで町に向かった。
かなり小さいながらも冒険じみたことをすることにどきどきとしていた私は、後ろから保護者のヒートとワイヤーが隠れながら跡を付けている事に気が付かなかった。
「頭もどうしてに初めてのおつかいさせようだなんて…」
「こんな風に心配して尾行させるくらいだったら止めれば良いのに」
――良いかお前ら。春島に着いたらにおつかいをさせる。買い物くらい出来ねェと困るのはアイツだからな。
昨夜彼女が寝てから密かに呼び出された俺たちはその言葉を聞いて少なからず驚いた。この一か月でもある程度言葉になれてきたとはいっても、それはあくまで理解しようとしている俺たちが相手だから伸び伸びと会話が出来るのだ。それをいきなり見知らぬ土地に一人放り出しておつかいとは難易度が高くないだろうか。
「でも、まあ意気込んでるしな」
「危なくなったら俺たちが守れば良いしな」
二人して彼女の背中を見つめながらぶつぶつと会話をする。結局俺たちは彼女に甘くて、彼女が頑張ろうとしている姿を見ると見守る側に徹してしまうのだ。彼女があたふたする度に、どうにかしてやりたいと思うのに手を貸してはいけないと歯噛みするのは辛い。彼女の為と思い自制心を働かせるたびに俺たちの心はもどかしさに悲鳴を上げる。しかし、彼女がそれを成し遂げようとするのだから俺たちはそれを我慢しなくてはならないのだ。
俺たちが見つめている背中はいつも俺たちの中にいる彼女よりも少し大きく見えた。
「たまねぎにひゃこください『あ、違う』たまねぎにひゃっこください」
春めいた格好で町を歩く人にぶつからないようにしながら、教えられた言葉を呪文のように唱える。これさえ言えればちゃんと買い物が出来るのだ。玉ねぎ二百個ください!これは私にとっての呪文である。
元気よく受け答えしなくては。
「こんにちは」
「おう、いらっしゃい!お嬢ちゃん、何がほしいんだ?」
沢山の野菜が並べられているお店を見つけてそこに足を踏み入れる。八百屋の主人と思われる恰幅の良いおじさんがにこにこと私に近づいてきた。ど、どきどきする。キッド船長たち以外とは話したことないからなぁ。
「た、たまねぎ、にひゃっこください」
「二百個?そりゃまた沢山だな。ちょっと待ってな、裏にもあるか見てくるから」
とりあえず声が震えることは無かった。おじさんは私の言ったことをちゃんと理解してくれたようだ。でも、どうして店の中に行っちゃったのかな?何か言ってたけど早すぎて聞き取れなかった。
「二百個ぎりぎりあったよ。けど、一人で持てるかい?」
「(こんなにたくさん!どうやって持って帰ろう…)はい、もてる」
私の前に現れた大量の玉ねぎに目が丸くなる。5分の1くらいだったらこのリュックに入りそうだけれど、その他はどうしよう。
とりあえず、これに入れてとリュックをおじさんに渡す。その中に次々と入れられていく玉ねぎの量に私は圧倒された。あっという間にぱんぱんになったリュックを背負おうとすると、あまりの重さに重心が後ろに傾いて尻餅をついてしまいそうになった。
「ああっ、あんなに入れたから…」
「転ぶかと思った…」
すぐ側の路地裏でこちらを窺っているヒートとワイヤーには気付かず、足に力を入れる。間髪入れずおじさんが大丈夫かいと手を差し伸べてくれたおかげで、私は尻餅をつかなくてすんだのだった。
「やっぱり心配だねぇ。そうだ、これで持っていきな」
「?」
ごそごそと店の裏で何やら探ってきたおじさんが、手に持っているものを組み立てていく。それは一番下に車輪が付いた板があり、大荷物でも簡単に引っ張ることが出来そうな道具だった。
「ほら、これで重くないだろう」
「ありがとう、おじさん」
玉ねぎが入っている五つの箱がそれの上に積み重ねられていく。キャリーバックの特大版のような形になったそれを手渡してくれた彼にぺこりとお辞儀をした。これで楽ちんに船まで玉ねぎを持って返ることが出来る。
「合計、4万ベリーだよ」
「はい(4万、4万…)」
財布の中から四枚の紙幣を出して彼に渡す。良かった、簡単な金額で。
――これはおまけだよ。ちゃんとおつかいができたお嬢ちゃんにね。
何やら真っ赤に熟れたトマトまでタダでくれたおじさんにまたありがとうございますと言った。
「あのおっさん俺たちのこと気付いてたのか」
「まあこんだけじろじろのことを心配そうに見てたら気付くよな」
トマトをくれた理由は分からないけれど、それと大量の玉ねぎを持って帰路に着く。キッド船長たちがいなくても自分一人で買い物が出来たのだという事実が嬉しくて、鼻歌交じりで道を歩んだ。途中何回も気を抜いて後ろに倒れ込みそうになったけれど、何故かその度に謎の手助けがあって、私はそれを不思議に思いながらキッド船長が待ち構えている船に到着した。
「きっどせんちょー!たまねぎかった!トマトももらった!」
見て見てと真っ赤なトマトの入った袋を掲げる。その拍子にまた後ろに重心が傾いたけれど、今度はそれを自分の力で元に戻して地面に下ろす。か、肩が千切れるかと思った。
「お前よく一回で持って帰ってこれたな」
颯爽と船から降りてきた彼がわしわしと私の頭を撫でる。やった、褒められた!
「頑張ったな」
彼の後ろから現れたキラーもよくやったと肩をぽんぽんと叩いて、大量の玉ねぎを船の上に積み上げるように部下たちに指示をする。いつの間にかいたヒートとワイヤーがそれを手伝って船に上げていた。
いつまでも私の頭の上から離れないキッド船長の手はぽかぽかと温かい。
あ、そうだ。
「とても赤!!きっどせんちょーといっしょ!」
真っ赤なトマトを彼に見せる。これを貰った時、燃え盛るような色をした彼の髪の毛と一緒だなと思ったのだ。
そう思ったら嬉しくって、すぐにでも見せたくなった。トマトぐらいでって笑われるかもしれないけれど、私にとって彼はこの船にいることを許してくれた特別な人だから、そんな些細なことでも大切なことなのだ。
「ったく……、お前は…」
てっきり、そんなくだらねェことで…と鼻で笑われると思っていた私は、彼が予想外に微笑んだことに一瞬思考が停止した。何だこのキッド船長は。理不尽な理由で怒るような大抵の彼の影など少しもない。
そんな私にふんと彼は鼻で笑ってさっさと船に上ってしまった。
「まってーせんちょー!」
急いで船に駆け上がった私は皆に笑われた。


2013/03/26

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