あ、目の前に金髪のお兄さん

 今は自分一人が船に残っている。キッドは俺が居残りのクジを引いたことに、久しぶりに一人の行動が出来ると喜んでいるようだった。全く、厄介ごとを呼びつけなければ良いのだが。他の連中も居残りにならなくて良かったと島の中にほくほく顔で出かけて行ってしまった。
だから俺はこうして甲板の上で船を守っている。新人が一人でこの船を守るなら心配だが、俺がいるなら大丈夫だろうと薄情にも出かけて行った彼ら。早く帰ってこい。暇を持て余していた俺はそう思いながら島を眺めていた。
『――ぁぁぁあ!!』
「?」
ふと聞こえる甲高い悲鳴。それは確かに人間の声だ。付け加えれば女になりきれていない少女の声といった方が良いだろうか。しかし、周りを見渡してもそんな少女は視界に入らない。
びゅうと風を切る音に、まさか、と視線を真上に向けてみると、空から落ちてくる少女が見えた。その顔は恐怖で引き攣っている。
――これは夢だろうか。
「違いない」
ぽつりと呟くが、それは希望的観測であってこれは現実だ。このままでは船に少女が激突してどちらも痛手を被る。俺は船を守るべく、もう甲板間近まで落ちてきている少女を、飛び上がって抱えた。
少女の体重プラス重力のせいでずしっと腕に重みを感じたが、俺は難なくそのまま目を回している少女を床に下ろした。
『ひぃ!か、仮面!!』
「………」
少女が何を言ったのかは理解できなかったが、たぶんそれは失礼なことだろうと推測できた。彼女の顔が先程の恐怖に引き攣った顔のままだから。


「で、お前はどうして空から落ちてきたんだ?」
「???」
私は突然空に投げ出されたと思ったら仮面を付けた金髪のお兄さんに助けられ、今正座をして彼に尋問されていた。彼はあぐらをかいているのに、私は正座だ。そろそろ痺れそう。
しかし、私には英語が理解できない。彼が何を問うているのかが分からず首を傾げた。
「……俺はキラーだ。お前は?」
「きらー?…なまえ?わたし、
えと、名前を聞いているのかな?そう思った私は素直に自分の名前を言った。か。そう呟いた彼は思案するように顎に手を置いた。どうやら少しは言葉が理解できるらしい、と。
じいっと見つめてくるキラーさんに私の心臓は今にも壊れてしまいそうです。仮面を被っているせいで何を考えているのか全く分からないのだ。加えて、表情が窺えないというのが不安を煽る。
私はどうなってしまうのだろうか。いきなり、こんな見ず知らずの世界に飛ばされて、こんな怪しい人に捕まった。まあ、彼は落ちている私を助けてくれたけれど。
しかも、先程ちらりと確認してしまったのは、この船が海賊船だということ。あんなにでかでかと海賊旗が頭上で掲げられていたら嫌でも気付く。
「キッドたちが戻ってくるのを待つか」
独り言のようにぽつりと呟かれた言葉は、やはり理解が出来ない。こんなことになるんだったら英語をもっと頑張って勉強していれば良かった。中高共に五段階中ぎりぎり三しかとれなかった私には、正直辛い。ネイティブスピーカーの会話の速さに付いていける訳が無いし、まず聞き取ることも難しい。
はぁ…と自分の不甲斐なさを心底痛感していると、そんな心とは反してぐううとお腹が鳴る。それもそうだ、私は昼食を買いに階段を下りようと思った時、足を滑らせてこんな所に来てしまったのだから。
「……」
『……っっ』
しかしこれは恥ずかしい。慌ててお腹を押さえるけれど、早くご飯を食わせろとばかりに唸るお腹の虫に顔から火が出るかと思った。沈黙が痛い。早く、この空気よ変われ!
私が一人わたわたとしていると、キラーさんは徐に立ち上がって船内へ消えて行った。何だろう、いなくなっちゃった。逃げるなら今だよね。だけど、私一人でこんな島をうろついても何もできないのは分かりきっている。なにせ言葉をろくに話せないのだ。
私は逃げるのを諦めて彼の帰りを待った。数分もしないうちに彼は戻ってきて、こと…と私の前に皿を置いた。そこには溶けたチーズを乗せたパンが何枚かある。
「食え。腹が減ってるんだろう?」
食べて良いってことなのかな?恐る恐る彼に目を向ければまた食えと言われた。
何て優しい人なんだろう。こんな突然現れてお腹を鳴らした私にご飯を恵んでくれるなんて。私はありがとうございますと言ってパンに手を伸ばした。
床に直接皿を置いてご飯を食べるなんて初めてだけど、今は彼が作ってくれたであろうご飯を食べることに集中して別に気にならない。
『ごちそうさまでした』
「……」
もぐもぐと最後の欠片を飲み込んで手を合わせる。彼はその動作の意味が分からないのか、無言のまま私を見つめていた。
しかし何かに気付いたように私ではなく、船の外に視線を向けて立ち上がる。
「隠れていろ」
「??」
船の後方を彼が指差したと同時にパン!パン!と響く銃声。な、何なの。何が起こっているの。
私は取りあえず彼が指差した方へ走って物陰に隠れる。ぞろぞろと船に乗り上がってきた粗野な男達の手に握られている物騒な武器を見た途端、私は歯がぶつかってがちがちと音を立てていることに気が付いた。…怖い!!
「おうおう、“殺戮武人”が一人でいるなんてな。俺たちゃ運が良いぜ」
「1億6200万ベリーだろ?山分けしても十分だよなァ」
げらげらと下卑た笑い声を上げる彼らが何を言っているのか全く理解できない。しかし、彼らの纏っている雰囲気が友好的でないことぐらい私だって分かる。きっとこれから戦いが始まるんだ。
私は初めて体験するその空気に震えた。映画やドラマで見た嘘の戦いではなく、本当に人が死ぬかもしれないそれ。
「オラァ!!やるぜ、お前ら!!」
「丁度良い暇つぶしだ」
刀のような武器を取り出したキラーを囲んでいる男達。あんな、一人にあんな大勢で向かっていくなんて、何て卑怯な奴らなの。いくらキラーさんが鍛えていたってあんな数の人を倒せる訳が無い。
甚振られる彼の様子が簡単に瞼の裏に描くことが出来てしまい、ぎゅっと目を瞑る。私に優しくしてくれた人が傷付くなんて嫌だよ!!
しかし、恐ろしい音が響き渡る中で彼の声は全く聞こえない。ただ、襲ってきた男達の劈くような激痛に悶える声が響いて、戦いは続いているようだった。恐ろしさから瞑っていた目をそろりと開いて、物陰から彼らの様子を窺うとあんなにたくさんいた男達が既に半分ほど甲板に倒れていた。
男達から流れている赤い血に慄きながらも、彼らをそうしたキラーさんに傷一つないことを確認した私は安心してしまった。こんなにも、人が傷付いているのに、私はなんてことを。
「口ほどにも無いな」
「うるせェ!!」
敵が繰り出す攻撃をひょいひょいと避けて逆に地に沈めていく彼。圧倒的に不利に見えていた彼が、こんなに強いだなんて思えなかった私は目の前の光景を疑った。
それでも彼はばったばったと敵を倒していく。あっという間に全員が甲板に倒れてしまって、彼は一息付いた。
戦闘の流れで私の近くまで来ていた彼が、私の隠れている物陰に近づく。きっともう大丈夫だってことを伝えに来たのだろう。しかし、彼からは見えない背後から敵が残った力を振り絞って銃を持ち上げたのに、私は気付いた。
キラーさんが撃たれる!そう思った時には私の身体は勝手に動いていた。
「きらー!うしろ!」
物陰から飛び出してどんっと彼に激突する。それと同時にパン!と乾いた音を放つ銃。彼はそれで状況を理解したらしく、私に押し倒された直後に傍に落ちていたナイフを最後の敵に放った。それは迷いなく敵の額を貫いて、彼は絶命した。
――はっ…はっ。極度の恐怖から荒くなった息がこぼれる。瞬きすることすら忘れて見開くことしか出来ない。こんな風に命の危険に曝された事がない私は心臓が今までにない程にうるさく喚いているのが分かった。
がたがたと今頃になって震えだした身体を抑える術を持てずに、キラーさんにそっと抱き起される。
まさか、一食の恩義があるからって自分がこんなことをするとは思わなかった。
「血が出ている」
『え…?』
労わるように頬に触れてきた彼の手は温かかった。今まであんなに人を殺していたのに、この人の温もりに触れた途端私は一気に安堵して身体から力が抜けてしまい、ずるずると甲板に座り込む。
生まれて始めてこんな怖い思いをした。恐怖と安堵が混ざって、どばっと涙が溢れだす。
「怖い思いをさせて悪かった」
『よが、った!キラーさんがしな、なくてっ。こわ、かった、よお!!』
わんわんと泣き喚く私の頭を撫でてくれる彼。その手つきはとてもぎこちないものだったけれど、どうにかして私の恐怖を取り除こうとしている様子が伝わって、益々涙が止まらなかった。
ぼろぼろとこぼれる涙を、瞳から溢れさせる度に彼が優しく拭ってくれる。仮面が怖いだなんて思ってごめんなさい。こんなにもこの人は私に優しくしてくれたのだ。それがただの偏見だってことが分かる。
「助けてくれてありがとう」
加えて、先程のことにまでお礼を言ってくれるキラーさんはとても律儀な人だ。きっと私なんかがいなくても、彼だったら簡単に避けられたのかもしれない。けれど、足手まといにしかならないだろう私の行動に感謝してくれる彼は本当に思いやりのある人間なのだろう。


2013/03/25

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